肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「羆嵐 感想」吉村昭さん(新潮文庫)

 

吉村昭さんの小説「羆嵐(くまあらし)」にかんたんしました。

 

www.shinchosha.co.jp

 

 

wikipediaニコニコ大百科でも「閲覧注意」として名高い、
三毛別(さんけべつ)羆事件」を題材にした物語です……。

 

 

吉村昭さんの小説を時々買って読むようにしているのですが、
この小説についてはグロい・怖いことが確定しているので
いままで手を出してきませんでした。

それが、新潮文庫の「紅白本合戦」という能天気な帯をまとって
本屋で平積みされていたため、つい手にしてしまったのですが……。


読んでみて、ゾクゾクが止まりませんでした。
序盤から終盤まで、緊張感が途切れることがない小説です。
息苦しくなるほどに……。

読むのを途中で止めても、ゾクゾクが身体から抜けないのです。
安心するには読み終えるしかない、というような気持ちになって、
一気に読み終えてしまいました。


以下、軽くネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 


物語のあらすじ。


序盤で羆の猛威が集落を襲います。
グロシーンも一部含まれますが、それ以上に羆が怖すぎて、
気持ち悪いというより身体が冷え冷えしました。

中盤は羆討伐隊が結成されるものの、たいした成果をあげられずに
烏合の衆と化してしまいます。
あまりにも凶暴強大なモンスターと対峙した時、
人の「数」がいかに当てにならないものなのかを、
嫌というほど見せつけてくださいます。

終盤ではひとりの猟師が登場し、羆を追い詰め、遂に仕留めます。
そして、羆に襲われた集落はその後……滅び去ります。

 

この小説の秀逸なところなのですが、約250ページのうち、
羆が登場するページは1割程度なんですよね。
後は全部、被害を受けた人々の行動・心理描写なんです。

目の前にいない羆の幻影に人々は惑い、恐怖し、統率を崩します。

2日間に6人(数え方によっては7人)の命を奪った羆は、
さながら自然の化身、荒ぶる神々が顕現したかのようです。
地域の人々はパニックを起こし、女・子ども・老人は海へ向かって逃げ惑います。
討伐隊に組み入れられた男たちも、羆の気配があれば恐慌状態となって
他者を押しのけ便所や梁の上に身を隠してしまいます。
更には、羆が退治された後も、人々は次々と集落から去っていき、
せっかく開拓した集落はあっという間に廃村となってしまうのです。

羆は死してなお恐怖の記憶となって土地に留まり、
コミュニティを破壊したのでした……。


人間が自然の前に敗れた、「開拓の失敗史」という見方もできる本かと思います。

そもそも、被害を受けた集落が開拓村ということも読むまで知りませんでした。

 

印象的な記述があります。
犠牲者を葬ろうとする場面などで、

 

土との融合は、植物の種子が地表に落ちるように死体を土に帰することによって深められる。人間の集落には、家屋、耕地、道とともに死者をおさめた墓石の群が不可欠のものであり、墓所に立てられた卒塔婆や墓石に備えられた香華や家々でおこなわれる死者をいたむ行事が、人々の生活に彩りと陰翳をあたえ、死者を包みこんだ土へのつつましい畏敬にもなる。

 

六線沢の者たちは、村落にとって初めての死者である島川の妻と息子の遺体を懇ろに回向し、埋葬しなければならぬ義務を感じた。遺体を土に帰すことは、入植者であるかれらが土に根を張ることをも意味している。


といった文章が挿入されています。
私はこういう吉村昭さんの言い回しが好き。

この「羆嵐」とは、「人が根付けない土地もある」「根付けなかった事例がある」
ということを教えてくれる作品なのです。
人口が減っていくこの日本列島を前にして、含蓄があるように思います。

 

 

「開拓」「フロンティア」って簡単に使われる言葉ですが、
本当は羆に出遭う覚悟がセットで必要なのでしょうね。

興味も湧いたし、屯田兵や西部開拓史について学んでみようかなあ。

 

 

 

 

最近、東京都荒川区吉村昭さんの記念館ができたそうです。


一度は行ってみたいな。

願わくば繁盛しておりますように。

 


('17/4/30追記)
繁盛してました。

東京都荒川区の「ゆいの森あらかわ/吉村昭記念文学館」 - 肝胆ブログ

  

「ホラ吹き太閤記」古澤憲吾監督

 

「ホラ吹き太閤記」にかんたんしました。

 

ホラ吹き太閤記 - Blu-ray&DVD|東宝WEB SITE

 


植木等さん主役の、クレージーキャッツ映画シリーズの時代劇です。

内容はほぼほぼ無責任サラリーマンものと同じ
植木等さんが木下藤吉郎となってどんどん出世していきます。

ネタバレもへったくれもない気がしますが、内容は次の通りです。

 

 

 

 

 

 

 

蜂須賀小六と出会って、契約社員として信長に仕えて、草履を温めて、
馬の世話をして、正社員になって、桶狭間で手柄を立てて、次は墨俣だ!

でおしまい。

主題歌はあの「だまって俺について来い」
そう、こち亀アニメの主題歌でも使われていたやつです。
この映画が初出だったのですね。

 

 

最近までこの映画の存在そのものを知らなかったのですが、
やー、よく考えついたものです。

確かに植木等さんと秀吉(講談ベース)のイメージはぴったり合います。

秀吉役といえば竹中直人さんと勝新太郎さんがパッと思いつきますが、
竹中直人さんはいい意味でも悪い意味でも人間たる秀吉、
勝新太郎さんはいい意味で恐怖の太閤秀吉殿下ですから、
昔ながらのお伽噺の主人公チックな秀吉とはまた違う訳です。

突き抜けたハッタリと行動力と動じなさと頭の良さとで、
どんどん出世していく植木等さんは見ていて気持ちいいです。
こんな奴いる訳ないだろとは思いつつ、
「秀吉って本当にこんな感じだったんじゃないかな」
「こんな奴がいたら確かに皆ついていくだろうな」と納得しちゃうのです。

 

無責任シリーズ同様、もう50年以上前の映画なのですが。
評価されるサラリーマン像というのは案外変わっていないのかもしれません。
むしろ平均的に皆優秀になってしまった現代の企業組織からすれば、
この植木等さんのキャラクターは一層新鮮に感じられる気がします。

もしこの駄文を読んでいる方が20-30代くらいの若いサラリーマンなら、
一度は無責任シリーズの映画を観てみるといいですよ。

 

 

他の配役もよかったです。

「ガチョンといこう」と出陣する徳川家康谷啓)、
めちゃくちゃ爽やかで人がいい前田利家藤木悠)。

蜂須賀小六東野英治郎)と織田信長ハナ肇)の話の早さっぷりも気持ちいい。
こんな器大きい上司がごろごろ転がってるってどんな世界なんだ。
おかげでテンポがめちゃくちゃよいのでありがたい。

それにしてもこの方々、みんな亡くなっちゃったなあ……。

 

 

そして、一番かんたんしたのが合戦シーン。
人の数も馬の数もすっごく多い。
櫓もしっかり組んだり燃やしたりしている。

それを空から鳥瞰的に撮り下ろしているから、合戦の見栄えがいいんですよね。

1560年時点にしては鉄砲多すぎとか清須城きれいすぎ(ていうか姫路城)とか
気になる点がない訳ではないんですけど。
合戦の壮大さ華々しさがよく表現できているから細かいことなんていいんです。


しかし、黒沢明さんの時代劇でエキストラがめっちゃ多くても自然ですが、
クレージーキャッツの時代劇でエキストラがこんなに多いとは……。
現代の大河ドラマと比べると悲しくなってきます。

予算の問題だけではなくて、時代劇周辺の人材の層の薄さが大きいのでしょう。
うう。

 

 

過ぎ去りしよき時代の雰囲気を味わえるうえに、
企業組織で出世する要領まで学べてよい映画だと思います。

コンプラ疲れ名ばかり管理職疲れしている人も多い世の中ですが、
反動でスーダラ感が求められる世の中に変わっていきますように。
(参考:「食キング お好み焼き篇」)

 

「キングコング:髑髏島の巨神」ジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督

 

キングコング:髑髏島の巨神」にかんたんしました。

 

wwws.warnerbros.co.jp

 

 

公開2日目に映画館へ行ったところ、見事に満席でした。

60歳前後のおじさんが多かったかな。
青少年グループや若いカップルもちらほら。


これはなかなかの傑作でした。

トーリーは「危険な場所ほど美しい」の一言で済むので、
ネタバレはしません。

「300」パシフィック・リムを撮った会社の作品、と聞けば
なんとなく内容が想像できる人も多いと思われます。

死にそうな人が死に、生き残りそうな人が生き残ります。
それっぽく深そうな設定や背景をつくったりはしていますが、
基本的には怪獣が暴れるシーンを繰り返し楽しむだけの映画になります。
それでいいだろ? それがいいです! というスタンスで正解です。

 

見どころは何と言ってもコング。
超神々しい。超パワフル。
このコングなら一匹でコナミワイワイワールドもクリアできるさ。
ヤシの木投げて鈍器で殴ればワルダー即お陀仏めちゃクール。

しかもすごく頭いい。
攻撃方法があれこれ多彩で観ていて面白い。
もうこのままスーパーロボット大戦に出てくれってくらい。

今回のコングは体長31.6メートル・体重158トンですからね。
全長18メートル・重量20トンのマジンガーZよりも遥かに大きい。
ナパーム弾(千度)でけっこうダメージを受けるくらいだから
ブレストファイヤー(3万度)一発で倒せるかもしれないけど。


監督はゴジラエヴァンゲリオンなどの日本怪獣映画の系譜が好きらしいですが、
個人的には日本の怪獣映画と共演してももうひとつノリが合わないと思います。

それよりもパシフィック・リムと共演してほしい。
パシフィック・リムキングコング
もちろん「対」は「たい」ではなく「つい」と読む。

ジプシーは79メートルだからそのままではサイズが合わないけど、大丈夫。
コングさんは成長期という設定だ。
たぶん育てば100メートルくらいになってくれるさ。
出る作品によって都合よくサイズは変わるだろうさ。

 

コングさん以外のモンスターはどれもキモくておぞましくて、
これもまた不快な満足感がありました。
特にクモとか節足動物系のモンスターが最低。
「うわっキモ! コングさん早くやっちゃって!」という感じ。

怪獣映画の敵はキモくて怖ければOK。
人間も変に賢い必要はなくて、適度に抵抗して後は無能にパニクっとけばOK。
感動ドラマなんて福神漬けかラッキョウ程度の添え物でいい。

劇中ではヘリが輸送船から飛び立つシーンが格好良かったり、
軍隊がちゃんとキビキビニギニギ軍隊っぽく動いていたり、
各キャラが各キャラらしく行動するバックボーンが設定されていたりと、
ほどよい活躍ぶり目立ちぶり。

何もかも、私にとってはちょうどよかったのです。

大変鮮やかな、見ていて楽しい映画でした。

 

日本ではあまりヒットしなさそうですが、世界ではけっこう売れているようです。
よかったよかった。

 

これに気をよくして、楽しくてバイオレンスな続編が発表されますように。

 

 

「2017大相撲春場所 結果」

 

2017春場所の千秋楽が終わり。この15日間にかんたんしました。

 

www.sumo.or.jp

 


稀勢の里にはもう言葉もありません。
すごいものを見せていただいてありがとうございました。

今場所の稀勢の里は落ち着きを一層深め、大仏のような存在感でした。
千秋楽の取組にどうしても目がいってしまいますが、
怪我を負うまでの安定ぶりは本当に凄かった。
しかも高安まで似たような雰囲気を放ち始めていて。

 

稀勢の里の怪我が長引かないことを前提に話しますが、
これから、力士たちは対稀勢の里・高安の研究に励むのでしょうね。
これまで白鵬がそうされてきたように。

白鵬の場合はむしろ白鵬の方こそがライバル力士の研究に熱心だから、
なかなか各力士は白鵬の次元に近づけませんでしたが。
稀勢の里・高安の場合はどうなるのでしょう。

今場所稀勢の里・高安が見せた重々しい力強さ。
これが一過性のものではないのだとしたら、なかなか難攻不落でしょう。
腰を据えて戦う相手としては実にきつい。

ならば考えられる作戦としては、立ち合いの集中力で一気呵成に決める……
今場所の日馬富士や先場所の琴奨菊がやってみせたように……とか。
嘉風のような機動戦とか、碧山・琴勇輝のような突き放しとか。

まずは「慌てさせる」ことから始めないといけないのでしょう。
変化を狙う者も増えると思います。
思い返せば、白鵬稀勢の里相手の立ち合いでの駆け引きが上手でした。
幕内力士たちが、このまま田子ノ浦部屋勢の独走を放っておくことはないと思います。

 

白鵬の休場、琴奨菊大関復帰失敗はいやがおうにも世代交代を印象付けました。
残念なことですが、これもまた受け容れなければならない現実です……。

上に稀勢の里対策のことを書きましたが、誰が一番上手に対策するかというと
それはやはり白鵬になる予感がします。
フィジカルが多少衰えたとしても、身体が多少痛んでいるとしても。
白鵬の真価は研究力と対応力の高さで、その点はまだまだ衰え知らずです。
現状の身体でできることを把握しきれば、いままでほど圧倒的でなくても、
再び稀勢の里たちを振り回す大横綱として活躍されるのではないでしょうか。

 

琴奨菊。10勝に届かなかったとはいえ、関脇でしっかり勝ち越しました。
高安に当たりを止められた時はけっこう絶望感を覚えたものですが、
やはりまだまだ(好調時は)日本人トップ5に入っているように思います。
これからも長く活躍して、ファンを喜ばせてほしいです。
何かの拍子で数年後に平幕優勝とかしてくれたらとても嬉しい。

 

負け越しましたが、今場所は貴ノ岩と北勝富士の印象がよかったです。
共にどっしりしてきて、ごつごつした身体の感じが格好いい。
特に北勝富士の無骨な面構えは、昔の時代劇の悪役みたいで大好きです。

 

そして千代の国。
石浦や宇良が目立ちがちですが、体重軽い若手勢の中では彼に一番注目しています。
嘉風戦のY字バランス引き落としは最高でした。
怪我することもなく前頭六枚目での勝ち越し、おめでとうございます。

 

最後に照ノ富士
色々ショックもあると思いますが、十三日の鶴竜戦までは本当に凄かったんだから、
引続きふてぶてしく強い大関でいてほしい。
強い照ノ富士が帰ってきてくれたのは本当に嬉しかったのです。
変化の件も……まあ、照ノ富士琴奨菊に変化されたことあるしね……笑
今日も手負いの稀勢の里が変化してくれたことで、救われた部分もあるのかなあ。

千秋楽の二番は焦ってしまった感じがありましたが、
いまの稀勢の里が相手でも、照ノ富士なら力勝負に持っていけるはず。
これからも名勝負を繰り広げてほしいと願っています。

 

 

北の富士さんも復帰されたし、よい春場所でした。

来場所も、怪我なく事故なく、充実した土俵が見られますように。

 

 

「ローマ人の物語」塩野七生さん

 

塩野七生さんの「ローマ人の物語」にかんたんしました。

 

www.shinchosha.co.jp

 

文庫版で全43巻。
月に2-3冊ずつ読み進めて約1年半。

遂に読み終わってもうたなあとしみじみします。
長い作品を読み終えたとき独特の感慨ってありますよね。
こういう心境、個人的には「新・平家物語」以来です。

 

ローマ人の物語

極めて有名な作品で、しばしば経営者的な人が引用したりもするので
いまではナイスミドルの教科書みたいな扱いになっています。

都市国家ローマの建国と成長。
ハンニバル戦を経て地中海の覇者へと成り上がり。
内乱の果てにはカエサルアウグストゥスにより帝政が確立。
やがて五賢帝時代末期から始まる長い長い衰亡。
帝国はキリスト教に染まり、分裂し……イタリアは蹂躙される。

これら実に千年以上にも亘る歴史を、
人物から、インフラから、政治制度から、時には他国の視点から、
様々な角度で解きほぐし、物語として構成されているのです。

 

とは言っても、歴史の教科書ではありません。
塩野七海さんという作家の目を通した解釈であり、
ひとつの流れを意図的に通した物語というべき作品でありましょう。

出版当時は史学者サイドから「全てが史実だと勘違いする読者が多くて困る」
といったぼやきが多く出たように記憶しております。
司馬遼太郎さんとか、大河ドラマとか、それこそ平家物語太平記だとかと
同じことがローマ史でも起こった訳ですね。

まあ専門家の方々も本気で怒っていた訳ではなく、
あくまでぼやきだっただけだと思いたいです。

こうした事象は「企画・広報セクションと技術・開発セクションの対立」みたいに、
人間社会のどこでもしばしば起こることです。
世間に流布するためには、誰かの手で分かり易いストーリーをつくる必要がある。
ひとつの出来事ごとに、この件はこういう説とこういう説とこういう説があって、
この件は一般にこうこうと伝わっているけどそれを証明する一次資料はなくて……
とやっていたら、全100巻を超えてしまう気がします。

真摯に研究をしている人、真心こめて専門家をやっている人が、
小説家や企画・広報マンがやりがちな「多少の齟齬はスルー」「断定的な物言い」に
イラッとしてしまう気持ちはよく分かりますが。

庶民が触れる歴史とは、どこまでいっても吟遊詩人や琵琶法師やお年寄りが語る
物語であって、一次資料や論文ではないのです。
一部の、文献を査読して、それを正しく理解できる頭脳を持っていて……
という人だけに歴史を独占させてしまっては、歴史がもったいないですよね。

こんなことを書いていると、ふと大河ドラマ「昭和プロレス史」とかやったら
どうなってしまうんだろうとか想像してしまいました。

タイトルと主人公を発表した瞬間に炎上して、
登場人物と配役が出た途端にまた炎上して、
考証家の名前が明らかになったらまた炎上して、
一話放送で最大炎上を起こして、
それでも終盤になったら視聴者みんな号泣して……とかになるのかなあ。

主役が坂口憲二さんとかなら一定納得も得られるのかな。
猪木も馬場も鶴田も全部ジャニーズですとかやったら大変なことになりそう。

 

……話がだいぶ脱線しました。すみません。

この長い長い作品の中で、一般的な視点で面白いのは
「文庫版3-5 ハンニバル戦記」「同8-13 ユリウス・カエサルでしょう。

ともにエキサイティングな人物描写・戦争描写が満載で、
物語に起伏と魅力が溢れていて、歴史ものが好きな方ならまず間違いない
2章だと思います。
ハンニバルすげー!」「スキピオすげー!」「カエサル超すげー!」
存分に楽しめます。ドリフターズを読んでいる方にもおすすめです。


政治向きの話が好きな方なら、「同14-16 パクス・ロマーナがいいと思います。
人によっては「カエサルよりアウグストゥスの方が好き!」となることでしょう。


ちなみに私が一番好きな人物は「同6-7 勝者の混迷」に出てくるスッラです。
このスッラについては、また日をあらためて詳しく書こうと考えています。

 ⇒「スッラ」塩野七生さん ローマ人の物語 勝者の混迷より - 肝胆ブログ



さて、ただいまご紹介した通り、一般的な感性でわくわくどきどきするのは
「文庫版全43巻の中でせいぜい16巻まで」ではないかなと思います。

もちろんその後もティベリウストライアヌスハドリアヌスやインフラ特集や
アウレリアヌスやディオクレティアヌスコンスタンティヌスやスティリコなどなど
魅力的な場面が数多く登場するのですが、史実はどうあれ、
少なくとも物語上はいずれも「カエサルの章に及ばない」。

これはもう断言してしまってもいいでしょう。


ただ、じゃあ17巻以降はおもしろくない、読む価値がないのかというと。

断じて否です。

私がかんたんしたのは、むしろ「29巻 終わりの始まり」以降
ローマの長い長い衰退物語なのです。

カエサルアウグストゥスなどによって完成したローマの真価。

市民を主体とした軍事力。
元首制ともいうべきデリケートな政権構造。
シンプルな税制と富裕層の寄付文化。
ローマ古来の多神教信仰。
寛容の精神。
通貨の質。
道路や水道に代表されるインフラ。
そして、何よりも安全と平和。

これらが……巻を追うごとに、一枚、また一枚と剥がれていくのです。
落葉のように。
朽ちた油絵のように。

全43巻……2倍して、ローマ人の物語を86歳の人間に例えるなら。
ハンニバル戦記の頃は神童。
思春期の葛藤がマリウスとスッラ。
偉大な青年に成長した頃がちょうどカエサル
20代の終わりに、その後の人生の基盤を固めたのがアウグストゥス
40代までの働き盛りの頃が五賢帝で……というところでしょうか。

そこからは86歳で死ぬまで、ゆっくりゆっくり心身が弱っていく。

カエサルは暗殺されましたが、
ローマは暗殺された訳ではありません。
老いて、老いて、更には難儀な隣人(蛮族)と別れた家族(ビザンチン)の
喧嘩に巻き込まれて。銭も命も巻き上げられて。
いつの間にか息をしなくなっていたのです。

これを、晩節を汚したというべきでしょうか。
哀れな最期だと、目を背けるべきでしょうか。

私は、むしろローマの晩年にこそ人生の真実があるように思えます。

どれほど立派な人も。
どれほど功績を上げた人も。

いつかは老いて朽ちるのです。
誰しも環境の変化についていけなくなるのです。


死を看取るとき。
かつての繁栄に思いを馳せつつ、死を惜しみ、冥福を祈るとき。
人の心は荘厳と寂静に満たされます。

規模はまったく違いますが……
地域の名店、百貨店、ダイエーなんかが潰れるとき。
最終営業日に従業員が並んで頭を下げて、シャッターがゆっくり閉まっていく……。
そんなイメージに近いかもしれません。

塩野さんの手で、ローマの前半生があまりにも魅力的に描かれたから。
イタリアに対する愛着が、文章のそこかしこから滲み出ているから。
ローマ帝国末期の寂しさが一層引き立つ。
無常の観が際立つのです。

これほどの寂寥感を与えてくれる作品、そうはないでしょう。
なればこそ、小説家が通史を記した価値があるのでしょう。

 

おじさん、特に経営者に人気があるのも分かります。
成功している人は、みんな小さなローマ帝国なのですから。

若者への訓示にはカエサルの名言でも引用してやればいい。
自分の若い頃の活躍をカエサルになぞらえてもかわいいでしょう。

その裏側で、ひとりで酒でも飲みながら、
老い、生命力の喪失、頭脳の衰えに震えたらいい。思いっきり恐れたらいい。
あのローマですら崩壊したのだから。
己だけが盛者必衰の理から逃れられるはずがない。

胸を張って理に向き合ってこその成功者だと思いますし、
謙虚な内面を有していてこそ格好いいおじさんだと思います。

 


終わりに。

最終巻で塩野さんは読者に向けてこう書かれています。

この『ローマ人の物語』全十五巻は、何よりもまず私自身が、ローマ人をわかりたいという想いで書いたのである。書き終えた今は心から、わかった、と言える。
そして、読者もまた読み終えた後に「わかった」と思ってくれるとしたら、私にとってはこれ以上の喜びはない。

申し訳ないことながら、私は「とても面白かった」と思ったけれど、
「わかった」とは思えませんでした。

なぜなら、とても面白かったからこそ、「もっとわかりたい」と思ってしまったのです。

これからも、他の作家、あるいは研究者のローマ本に触れてみようと考えています。
そうして、今度は「私なりのローマ史」を醸していければ、と。

塩野さんのファンからは、生意気に過ぎる、素直じゃない、と
叱られるかもしれないけれど……。

 


この調子で、十字軍物語も早く文庫化してくださりますように。

 

 

「ローマの歴史 感想」I・モンタネッリさん/訳:藤沢道郎さん(中公文庫) - 肝胆ブログ

 

 

 

「数の子は音を食うもの」北大路魯山人さん

 

北大路魯山人さんの「数の子は音を食うもの」にかんたんしました。

 

青空文庫リンク)
北大路魯山人 数の子は音を食うもの

 

青空文庫に収蔵されている作品で、5分ほどで読める短いエッセイです。

陶芸家であり食通としても有名な魯山人さんが
「数の子ってうまいよね」と綴っている文章なのですが、
その表現の妙味にかんたんしたのです。

 

一部引用いたします。

数の子を歯の上に載せてパチパチプツプツと噛む、あの音の響きがよい。もし数の子からこの音の響きを取り除けたら、到底あの美味はなかろう。

 

もともとたべものは、舌の上の味わいばかりで美味いとしているのではない。シャキシャキして美味いもの、グミグミしていることが佳いもの、シコシコして美味いもの、ネチネチして良いもの、カリカリして善なるもの、グニャグニャして旨いもの、モチモチまたボクボクして可なるもの、ザラザラしていて旨いもの、ネバネバするのが良いもの、シャリシャリして美味いもの、コリコリしたもの、弾力があって美味いもの、弾力のないためにうまいもの、柔らかくて善いもの悪いもの、硬くて可いもの悪いもの……ざっと考えても、以上のように触覚がたべものの美味さ不味さの大部分を支配しているものである。そういう意味において、数の子も口中に魚卵の弾丸のように炸裂する交響楽によって、数の子の真味を発揮しているのである。

 

どうでしょう。

昭和五年の文章ですよ。

オノマトペによる実感に訴えてくる面白さ。
「炸裂する交響楽」という勢いで納得してしまう表現力。

食べもの文化全盛の現代でも、これだけの文章が書けるグルメライターは
なかなかいないように思えます。

 


食べものの話において、北大路魯山人という方は
良くも悪くも頻繁に名前が出てまいります。

料亭吉兆で器が愛用されていることが知られたり、
美味しんぼ海原雄山のモデルであることが知られたりして、
80-90年代のグルメブームで祭り上げられた頃もありました。

多様な価値観が受容される時代になってきて、
その個性的かつ断定的な食批評が独善に過ぎると指摘されることも
多くなってまいりました。

そもそもご存命の頃から毀誉褒貶の多かった人物のようであります。

 

この数の子エッセイにおいても、後段の方では

にしんや棒だらを美味として食わないような美食家があるとしたら、それはにせものである

 

数の子を食うのに他の味を滲み込ませることは禁物だ。だから味噌漬けや粕漬けは、ほんとうに数の子の美味さを知る者は決してよろこばない


という感じにいつもの魯山人節が絶好調です。
「ほんとうの数の子の美味さ」みたいなセリフが出てくると
まさに初期の山岡さんといった感じで楽しいのですが、
こういう物言いが嫌な人にとっては嫌なのでしょう。
私も実生活で周りにこんな言い方する人がいたら嫌です。


とは言え、そういう魯山人節の感心できない一面を以て、
魯山人の全体を悪く言うのもまた違うのかなと思うのです。

冒頭の数の子オノマトペで申し上げた通り、
彼の食べ物批評はとてもユニークで、鋭くて、含蓄があります。

使いこなせそうになくて個人的には欲しいと思わないけれど、
彼のつくりあげた器や書は一級の芸術品だとも思います。


いいところだけを見て、悪いところをスルーできるようになりたいですね。
なんか子ども向けのお説教みたいな雑まとめですけど。


そう、子どもと言えば、今日某所で見かけた幼児が
「抹茶好き! 抹茶好き!」と連呼していまして。

渋い子だなと思ったのですが、隣にいた幼児の家族が
「“まっちゃ”やなくて“めっちゃ”やろ」と突っ込んでいて
ちょっと面白かったです。

 

 

年に1-2回は魯山人の器が出てくるようなお店に行けるくらい、
いつかもう少し暮らしにゆとりができますように。

 

「メガ!-巨大技術の現場へ、ゴー-」成毛眞さん

 

「メガ!―巨大技術の現場へ、ゴー―」という本にかんたんしました。

 

www.shinchosha.co.jp

 

 

本の帯には

「大人の社会見学です。」

「こういう時だから、デッカいもの、見ようぜ!」

「巨大なのにディテールが緻密。」

と書かれています。


大きいもの好きなのでついつい手に取ってしまいました。

 


紹介文の通り、この本は大人の社会見学本でして、
紹介されている場所・技術は次の通りです。

 

Ⅰ ザ・巨大!

1.首都高・大橋ジャンクションの地下網
  -地下を約8.4キロ掘っても誤差は約数ミリの緻密さ

2.東海道新幹線の運行システム
  -15秒刻みの緻密なダイヤを集中的に制御する秘密の場所

3.三菱重工業長崎造船所
  -日本にエネルギーを運ぶ新型のLNG船が続々進水

 

Ⅱ 次世代エネルギー

4.東京ガスの世界最大タンク
  -横浜と川崎の地下に潜む世界最大容量のガスタンク

5.国家石油備蓄基地
  -備えあれば憂いなしを体現する巨大タンク群

6.大企業終結プロジェクト
  -世界初! 海に浮かぶ風力発電所 回転速度は新幹線並み

7.浜松ホトニクスの挑戦
  -夢の「核融合発電」実現のカギを握る超強力レーザー

 

Ⅲ 職人技――技術は細部に宿る

8.オハラのすごいガラス
  -宇宙の果てを見通す精密な巨大ガラス

9.本が届くことの驚異
  -一日最大200万冊を扱う日販の大流通システム

10.「グローバルニッチ」の未来形
  -メガなのにディテールにこだわる日本
    ・理研 放射光科学総合研究センターの「SACLA(巨大顕微鏡施設)」
    ・東レの「炭素繊維材」
    ・コマツ無人ダンプトラック運行システム「AHS」
    ・大林組のトンネル工法「URUP工法」
    ・三精テクノロジーズによる歌舞伎座の「廻り舞台」

11.この本の紙をつくる人たち
  -どんな紙でも精緻につくる 日本製紙と特殊東海製紙

 

Ⅳ 宇宙・地球の起源を探る

12.130億光年先を見る望遠鏡
  -超電導素子を手づくりする国立天文台

13.ミッションは「ちきゅう」
  -海洋研究開発機構 地球深部探査船の内部

14.宇宙の謎を探る、世界のCERN、日本のKEK
  -1兆円、完成まで12年の加速器で粒子をキャッチ

 


……どうですか。
目次を見ているだけでワクワクしてきませんか。


全部で130ページほどのブックで、
上記14章一つひとつに6~12ページほどが割かれています。
1章辺りの文章量は実質3ページほど。
残りはすべて施設や建造物の写真です。
何しろ被写体がメガ! だから、写真も大きなカットになるのです。

こういう構成だから、読むのに時間はかかりません。
1時間ちょいで読み終わり、10分ほど写真を眺めかえしてみました。

それでとっても幸せな気持ちになりました。


色々と難しい先端技術の話が紹介されていて、
それぞれに知的な関心と敬意を抱いて、
知らないことが多いことを知って、
ためになったと思って、
という面でも満足度が高い本です。


そして、それ以上に、
「大きいなあ!」「すごいなあ!」と一瞬で理解できる
写真の数々が楽しいのです。

 

私が一番気に入ったのは北海道の国家石油備蓄基地です。
巨大なタンクが57基も並んでいる超現実的な光景。
一つひとつのタンクは高さ24.5メートル、直径82メートルだそうです。

昭和の巨大団地全棟が丸ごとタンクになったかのよう。
すごいぞ。
ここでかくれんぼとかしたら絶対みんな迷子になると思います。
見学に行って、緑色のタンク外壁をぺしぺし叩いてみたいなあ。


この本は2015年出版で、それからも色々な環境の変化が生じています。

三菱重工長崎造船所は、確か客船事業からは撤退するはず。
この本で紹介されたLNG船づくりは続けるそうですが、
いつまで安泰かどうかは分かりません。

その他多数紹介されている国家プロジェクト群も、
日本の財政がもっと危なくなれば予算が縮小されるかもしれません。

ローマ帝国ではないけれど、巨大建造物をつくる技術は
一度失われたらそうそう取り返すことはできないものです。

 


どうかそれぞれの事業に大過がなく、
適切に成果を挙げて、
人類の文化産業遺産としてこれからも維持・発展していきますように。