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肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「ローマ人の物語」塩野七生さん

 

塩野七生さんの「ローマ人の物語」にかんたんしました。

 

www.shinchosha.co.jp

 

文庫版で全43巻。
月に2-3冊ずつ読み進めて約1年半。

遂に読み終わってもうたなあとしみじみします。
長い作品を読み終えたとき独特の感慨ってありますよね。
こういう心境、個人的には「新・平家物語」以来です。

 

ローマ人の物語

極めて有名な作品で、しばしば経営者的な人が引用したりもするので
いまではナイスミドルの教科書みたいな扱いになっています。

都市国家ローマの建国と成長。
ハンニバル戦を経て地中海の覇者へと成り上がり。
内乱の果てにはカエサルアウグストゥスにより帝政が確立。
やがて五賢帝時代末期から始まる長い長い衰亡。
帝国はキリスト教に染まり、分裂し……イタリアは蹂躙される。

これら実に千年以上にも亘る歴史を、
人物から、インフラから、政治制度から、時には他国の視点から、
様々な角度で解きほぐし、物語として構成されているのです。

 

とは言っても、歴史の教科書ではありません。
塩野七海さんという作家の目を通した解釈であり、
ひとつの流れを意図的に通した物語というべき作品でありましょう。

出版当時は史学者サイドから「全てが史実だと勘違いする読者が多くて困る」
といったぼやきが多く出たように記憶しております。
司馬遼太郎さんとか、大河ドラマとか、それこそ平家物語太平記だとかと
同じことがローマ史でも起こった訳ですね。

まあ専門家の方々も本気で怒っていた訳ではなく、
あくまでぼやきだっただけだと思いたいです。

こうした事象は「企画・広報セクションと技術・開発セクションの対立」みたいに、
人間社会のどこでもしばしば起こることです。
世間に流布するためには、誰かの手で分かり易いストーリーをつくる必要がある。
ひとつの出来事ごとに、この件はこういう説とこういう説とこういう説があって、
この件は一般にこうこうと伝わっているけどそれを証明する一次資料はなくて……
とやっていたら、全100巻を超えてしまう気がします。

真摯に研究をしている人、真心こめて専門家をやっている人が、
小説家や企画・広報マンがやりがちな「多少の齟齬はスルー」「断定的な物言い」に
イラッとしてしまう気持ちはよく分かりますが。

庶民が触れる歴史とは、どこまでいっても吟遊詩人や琵琶法師やお年寄りが語る
物語であって、一次資料や論文ではないのです。
一部の、文献を査読して、それを正しく理解できる頭脳を持っていて……
という人だけに歴史を独占させてしまっては、歴史がもったいないですよね。

こんなことを書いていると、ふと大河ドラマ「昭和プロレス史」とかやったら
どうなってしまうんだろうとか想像してしまいました。

タイトルと主人公を発表した瞬間に炎上して、
登場人物と配役が出た途端にまた炎上して、
考証家の名前が明らかになったらまた炎上して、
一話放送で最大炎上を起こして、
それでも終盤になったら視聴者みんな号泣して……とかになるのかなあ。

主役が坂口憲二さんとかなら一定納得も得られるのかな。
猪木も馬場も鶴田も全部ジャニーズですとかやったら大変なことになりそう。

 

……話がだいぶ脱線しました。すみません。

この長い長い作品の中で、一般的な視点で面白いのは
「文庫版3-5 ハンニバル戦記」「同8-13 ユリウス・カエサルでしょう。

ともにエキサイティングな人物描写・戦争描写が満載で、
物語に起伏と魅力が溢れていて、歴史ものが好きな方ならまず間違いない
2章だと思います。
ハンニバルすげー!」「スキピオすげー!」「カエサル超すげー!」
存分に楽しめます。ドリフターズを読んでいる方にもおすすめです。


政治向きの話が好きな方なら、「同14-16 パクス・ロマーナがいいと思います。
人によっては「カエサルよりアウグストゥスの方が好き!」となることでしょう。


ちなみに私が一番好きな人物は「同6-7 勝者の混迷」に出てくるスッラです。
このスッラについては、また日をあらためて詳しく書こうと考えています。

 ⇒「スッラ」塩野七生さん ローマ人の物語 勝者の混迷より - 肝胆ブログ



さて、ただいまご紹介した通り、一般的な感性でわくわくどきどきするのは
「文庫版全43巻の中でせいぜい16巻まで」ではないかなと思います。

もちろんその後もティベリウストライアヌスハドリアヌスやインフラ特集や
アウレリアヌスやディオクレティアヌスコンスタンティヌスやスティリコなどなど
魅力的な場面が数多く登場するのですが、史実はどうあれ、
少なくとも物語上はいずれも「カエサルの章に及ばない」。

これはもう断言してしまってもいいでしょう。


ただ、じゃあ17巻以降はおもしろくない、読む価値がないのかというと。

断じて否です。

私がかんたんしたのは、むしろ「29巻 終わりの始まり」以降
ローマの長い長い衰退物語なのです。

カエサルアウグストゥスなどによって完成したローマの真価。

市民を主体とした軍事力。
元首制ともいうべきデリケートな政権構造。
シンプルな税制と富裕層の寄付文化。
ローマ古来の多神教信仰。
寛容の精神。
通貨の質。
道路や水道に代表されるインフラ。
そして、何よりも安全と平和。

これらが……巻を追うごとに、一枚、また一枚と剥がれていくのです。
落葉のように。
朽ちた油絵のように。

全43巻……2倍して、ローマ人の物語を86歳の人間に例えるなら。
ハンニバル戦記の頃は神童。
思春期の葛藤がマリウスとスッラ。
偉大な青年に成長した頃がちょうどカエサル
20代の終わりに、その後の人生の基盤を固めたのがアウグストゥス
40代までの働き盛りの頃が五賢帝で……というところでしょうか。

そこからは86歳で死ぬまで、ゆっくりゆっくり心身が弱っていく。

カエサルは暗殺されましたが、
ローマは暗殺された訳ではありません。
老いて、老いて、更には難儀な隣人(蛮族)と別れた家族(ビザンチン)の
喧嘩に巻き込まれて。銭も命も巻き上げられて。
いつの間にか息をしなくなっていたのです。

これを、晩節を汚したというべきでしょうか。
哀れな最期だと、目を背けるべきでしょうか。

私は、むしろローマの晩年にこそ人生の真実があるように思えます。

どれほど立派な人も。
どれほど功績を上げた人も。

いつかは老いて朽ちるのです。
誰しも環境の変化についていけなくなるのです。


死を看取るとき。
かつての繁栄に思いを馳せつつ、死を惜しみ、冥福を祈るとき。
人の心は荘厳と寂静に満たされます。

規模はまったく違いますが……
地域の名店、百貨店、ダイエーなんかが潰れるとき。
最終営業日に従業員が並んで頭を下げて、シャッターがゆっくり閉まっていく……。
そんなイメージに近いかもしれません。

塩野さんの手で、ローマの前半生があまりにも魅力的に描かれたから。
イタリアに対する愛着が、文章のそこかしこから滲み出ているから。
ローマ帝国末期の寂しさが一層引き立つ。
無常の観が際立つのです。

これほどの寂寥感を与えてくれる作品、そうはないでしょう。
なればこそ、小説家が通史を記した価値があるのでしょう。

 

おじさん、特に経営者に人気があるのも分かります。
成功している人は、みんな小さなローマ帝国なのですから。

若者への訓示にはカエサルの名言でも引用してやればいい。
自分の若い頃の活躍をカエサルになぞらえてもかわいいでしょう。

その裏側で、ひとりで酒でも飲みながら、
老い、生命力の喪失、頭脳の衰えに震えたらいい。思いっきり恐れたらいい。
あのローマですら崩壊したのだから。
己だけが盛者必衰の理から逃れられるはずがない。

胸を張って理に向き合ってこその成功者だと思いますし、
謙虚な内面を有していてこそ格好いいおじさんだと思います。

 


終わりに。

最終巻で塩野さんは読者に向けてこう書かれています。

この『ローマ人の物語』全十五巻は、何よりもまず私自身が、ローマ人をわかりたいという想いで書いたのである。書き終えた今は心から、わかった、と言える。
そして、読者もまた読み終えた後に「わかった」と思ってくれるとしたら、私にとってはこれ以上の喜びはない。

申し訳ないことながら、私は「とても面白かった」と思ったけれど、
「わかった」とは思えませんでした。

なぜなら、とても面白かったからこそ、「もっとわかりたい」と思ってしまったのです。

これからも、他の作家、あるいは研究者のローマ本に触れてみようと考えています。
そうして、今度は「私なりのローマ史」を醸していければ、と。

塩野さんのファンからは、生意気に過ぎる、素直じゃない、と
叱られるかもしれないけれど……。

 


この調子で、十字軍物語も早く文庫化してくださりますように。