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かんたんにかんたんします。

「松永久秀」編 天野忠幸さん(宮帯出版社)

 

最近出た書籍「松永久秀-歪められた戦国の“梟雄”の実像-」にかんたんしました。

 

宮帯出版社/商品詳細 松永久秀 歪められた戦国の"梟雄"の実像 天野忠幸 編

 

長い記事になりますので、興味のある箇所だけでも読んでいただけると幸いです。

 

 

松永久秀……戦国時代ではそれなりに有名な武将であります。


古くは何度も織田信長に刃向った「裏切りの謀将」として。
あるいは「主君と将軍と大仏を殺した三悪の魔将」として。

信長の野望での義理の低さから「ギリワン」と呼ばれたり、
最期は自爆したとの俗説からボンバーマンと呼ばれたりもしています。

近頃では信長の野望201Xなどで三好長慶大好きなツンデレ強面おじさん」として
別の側面がじわり有名になっていたりもしますね。
彼が主役の舞台「飛ばぬ鳥なら落ちもせぬ」はつくづく傑作でした。
「飛ばぬ鳥なら落ちもせぬ」企画演劇集団ボクラ団義 - 肝胆ブログ


何にせよ、おおいにキャラ立ちしている人です。

 

この書籍の帯にはこんなことが書かれています。

主家滅亡 将軍殺害 大仏消失
三悪”逸話は後世のねつ造だった!
三好義興足利義輝も殺しておらず、大仏消失も敵陣の攻撃以上の意味を持たない。…(中略)…三好長慶に対しては、謀反どころか専横な振舞いすらなく、忠義を尽くした。…(中略)…久秀にとって下剋上とは、江戸時代に創作されたような、傲慢な振舞いをしたり、上位者を殺害したりする単純な話ではない。それまでの社会秩序や世界観をしたたかに変えていこうとする運動であったと言えよう。(本書「松永久秀の再評価」より)

 

読んだみたところ、多くの興味深い切り口で研究が進展していることに
敬意と関心を抱きつつも、“実像”が明らかになったとまでは言えない状況、
「俺たちの久秀研究はこれからだ!」という段階のようですね。

三好長慶松永久秀の時代はこれまでの研究の蓄積が薄くて、
室町時代研究の延長線、あるいは織豊時代研究の前史として時々触れられつつも、
基本的には「ポテンヒット」で放置されてきました。

信長以前の畿内が人口に膾炙するにはいましばらくの時が必要なのでしょう。



書籍は4章構成です。

学術書なので内容をかいつまんで説明するのは難しいのですが、
一応私の感想を添えさせていただきます。



序章 総論

 

松永久秀の再評価(天野忠幸さん)

三好家ファンの間では有名な天野忠幸さんが執筆されているパートです。
この書籍全体のプロデュースもなされているようで。

天野氏による松永久秀のポイントは

 ・永正五年(1508年)、大阪府高槻市生まれ説が有力。
  三好家譜代家臣ではなく、三好長慶によって抜擢された。

 ・三好長慶・義興を裏切ったことはない。義興が病に倒れた時は悲嘆している。

 ・母と妻を大事にする家族愛に溢れた人物である。

 ・足利義輝を討ったのは久秀ではなく、三好義継や息子の松永久通などである。
  隠居していた久秀は三好家次世代の行動に不安を感じ、足利義昭を保護した。

 ・その義昭が反三好勢力のところへ出奔したのは久秀の失態である。

 ・東大寺炎上は、東大寺三好三人衆に味方し陣地を提供したからであり、
  結果として大仏殿は焼けたが、久秀は大仏の再興に向けて尽力している。

 ・久秀は信長上洛時に降伏したのではなく、足利義昭一派として同盟を結んだに
  過ぎない。その後、久秀は信長に背いたというよりは、筒井順慶を支援した
  足利義昭に手切れしたのである。信長に背いたのは最後の一度だけ。

 ・「平蜘蛛を抱いて爆死」は第二次大戦後に生まれた俗説である。

辺りでしょうか。

これまで天野忠幸さんが主張されていたことを再度まとめられている感じです。

そうなると、松永久秀という人物は

三好長慶・義興死後の三好家次世代の暴走や、三好三人衆・篠原長房・
 足利義昭織田信長など実力者たちのうねりを
上手くさばききれなかった、
 本来は楽隠居していたはずの気の毒なお爺ちゃん」

ということになってしまいます……。

三好義興が死なずに三好家と畿内政局があのまま安定していたら、
久秀は長慶の思い出を胸に余生を過ごせていたのかもしれませんね。

三好義継や松永久通では制御不能になった天下政情を鎮めるために隠居撤回。
(久通はともかく、義継はいきなり三好家総領になったのだから無理もありません)

気の毒な、本当に気の毒な……。

 

 

第1章 久秀を取り巻く人々

 

松永久秀の出自と末裔(中西裕樹さん)
松永長頼(内藤宗勝)と丹波(高橋成計さん)
久秀の義兄・武家伝奏広橋国光と朝廷(神田裕理さん)
松永久秀と将軍足利義輝(田中信司さん)
松永久秀興福寺官符衆徒沙汰衆・中坊氏(田中慶治さん)

それぞれ興味深かったのですが、
三好政権(義輝和睦後)の政権運営に興味のある方は「松永久秀と将軍足利義輝」、
呉座勇一さんの「応仁の乱」を読んだ方は「松永久秀興福寺官符衆徒沙汰衆・
中坊氏」のパートが面白いのではないかと思います。

三好長慶松永久秀の勢力が増す中、上野信孝や進士晴舎(ともに義輝近習)は
どんな気持ちだったんだろう、そりゃムカつくよね、口惜しいよね、とか。

奈良における「興福寺」の存在って本当に大きいなあ、叶わんなあ……とか。

色々思うところがありました。


個人的には「松永長頼(内藤宗勝)と丹波」に惹かれます。

松永長頼(久秀の弟で、丹波を支配した有能武闘派ですよ)の事績は
兄以上によく分からないですし、丹波戦国史も滅法複雑でよく分からないですし。

全盛期の松永長頼は若狭進出まで手掛けていたのですが、
三好長慶・義興父子の死後、赤井直正との戦で戦死してしまいます。

何しろ丹波という土地は山と盆地の連続で一国一面支配が難しい上、
波多野・宇津・赤井……と国人方も戦は強いわ離合集散するわで厄介なのです。
(後に明智光秀さんも苦労されていました)

「じゃ、丹波よろしく」と新参者に任せた長慶も長慶ですし、
それを相当程度まで上手くこなしていた長頼も長頼だと思います。
(同じく、あの大和支配にトライして一定の成果を出した久秀も久秀です)

ディープですが、丹波戦国史は面白いですよね。
天下≒畿内のすぐ隣にある魔境という感じで。

細川京兆家の内乱でも丹波国人衆は重要な役割を担いましたし、
もう少し勉強してみたいと思いました。

なお、どうでもいい話ですが丹波には「鬼饅頭」というあんこの塊のような
暴力的でおいしいお菓子がありまして、何度か食べたことがあるのですが
「普段からこんなん食べている人たちならそりゃ戦強いわ」と得心した記憶があります。

 

 

第2章 久秀の城と町

 

大和多聞山城研究の成果と課題(福島克彦さん)
松永久秀と楽市(長澤伸樹さん)
松永久秀信貴山城(中川貴皓さん)
久秀の時代の堺(藤本誉博さん)

この章は久秀の城郭と内政です。

関西の人にとって一番興味深いのは「堺」論でしょうか。

教科書とかでも堺の「自治」を強調されてきた経緯がありますので、
細川家や三好家との関わりが濃かったような新説は一般に馴染みが薄く、
かつ、受け容れられがたいような気がします。

堺の人の中には「俺たちは自治都市堺の末裔、お上なんかには頼らんわ」という
気概をお持ちの方がいるかもしれませんし、「むしろ時の権力と上手くつきあう
ことに定評のある町ですよね」とか口にしたら怒鳴られるかもしれません。

歴史研究が地域の人々にどう受け止められていくか、見守りたいと思います。


多聞山城・信貴山城の研究、楽市の研究については詳しく知りませんでしたので、
楽しく勉強させていただきました。

とりわけ城郭研究はどうしても織豊期以降、なんなら江戸時代初期の
「総石垣」「漆喰壁」「天守閣」な美しい城に注目が集まりますので、
中世山城は……地味で、研究が遅れているのも仕方ないのかな、と思います。

読ませていただく限り、研究者の中には(一般人も?)「安土城最高」という
前提がありそうな雰囲気で、多聞山城のように「プレ安土城」っぽい城を
どう位置付けていくのか皆さん苦労されているっぽいのは面白いです(笑)。

また、松永久秀については「三好家時代」と「織田家時代」の両面があって、
どの事績がどちらの時代のものなのかを判定するのが大変そうです。
確かに、三好家時代なら「先進的」という評価になりますし、
織田家時代なら「織田家好取組の横展開」という評価になりますから、
判定は慎重にせねばなりません。

着実な研究・分析を続けられている学者の方々には頭が下がる思いです。

 

 

第3章 久秀と戦国の文化

 

松永久秀茶の湯(神津朝夫さん)
法華衆の宗徒」松永久秀-永禄の規約を中心に(河内将芳さん)

文化・宗教面の軌跡です。

久秀は九十九茄子・平蜘蛛釜と所持していた名物がよく話題になりますね。
茶の湯を始めたのがけっこう遅いのは知っていたのですが、
長慶死後はあまり茶の湯活動が確認できないのは存じませんでした。

史料の関係で断定はできないのですが、1554年義輝追放後~1564年長慶死亡の
十年間くらいしか茶会記録には登場しないようです。

その後はそんな気分になれなかったのかもしれませんし、内乱や信長との戦いで
忙しかったのもあるでしょうし、大仏が焼けて気まずかったのかもしれません。
茶の湯が織田家系武将にも急速に広がっていく中で、「オールドファン」として
「最近の茶の湯はつまらん」みたいな心境だったのならかわいいと思います。


法華宗徒としての久秀、「永禄の規約」の意義などは以前から論じられていました。
割と真面目な檀家だったようで、そのおかげで法華宗関係者からは感謝されたり、
キリスト教関係者からは憎まれたりしています。

いかんせん精神的な領域ですので、史料から法華宗徒としての久秀の内面を
語るのは難しいのですけど、代わりに久秀母のエピソードが紹介されていて
微笑ましかったです。

三好長慶松永久秀、更には当時の豪商・茶の湯関係者は宗教界との関係が強く、
そのことがまた現代人による彼らの人物理解を難しくしていると思います。
長慶や千利休を学ぶには禅宗にも触れざるを得ませんし、久秀は法華宗だけでなく
興福寺との関係を考慮する必要がありますし。

敷居、高いですねえ……。

 

 

第4章 各地の下剋上

 

関東足利氏と小田原北条氏(長塚孝さん)
陶晴賢の乱と大内氏(萩原大輔さん)
斎藤道三・一色義龍父子と美濃支配(木下聡さん)
安見宗房と管領家畠山氏(弓倉弘年さん)
宇喜多直家(森脇崇文さん)

真っ黒なラインナップですね。
ここで唐突に、久秀とは直接関係しない各地の下剋上メンツの紹介となります。

ページが余ったのかと一瞬考えてしまいました(笑)。


この章はおそらく、天野忠幸さんによる計らいで、
「戦国時代当時の下剋上・家格秩序の相場観」を読者に醸成したいという
趣旨で挿入されたのでしょう。

天野忠幸さんによる著作でしばしば出てくる当時の常識の具体事例として。

 ・足利義輝細川晴元を殺さなかった三好長慶をヌルいという人がいるけど、
  そんなん当時の常識やからね!
   ⇒古河公方を滅ぼさなかった北条家、土岐頼芸を追放に留めた斎藤道三

 ・当時の家格秩序ってすごいんだからね、そうそう克服なんてできないからね!
   ⇒大内義隆死亡後に大友家から晴英を招聘した陶晴賢

 ・家格秩序が凄いから、成り上がり者はみんな姓を変えるんだよ!
  三好・松永のまま偉くなった連中の頭がおかしいんだよ!
   ⇒「斎藤」ではもたないので「一色」に改姓した義龍

 ・そもそも下剋上を「人間性の邪悪」に紐づけるのではなくて、
  当時の情勢や立場を考慮しないとダメだよ!
   ⇒宇喜多直家の生涯

というような思いを汲み取ってほしいのかな、と。


安見宗房の縁者(安見右近)が安見流砲術の祖になっていたことや、
津田監物(畿内に鉄砲を伝えたといわれる人)が宗房と地元が同じ(交野市)とは
存じませんでした。

この宗房さんもマイナーながら面白い人物ですよね。
応仁の乱以降、河内は傑物癖物が続出して大変なことになっています。


信長の野望 創造で陶晴賢さんの顔グラが超イケメンになったせいか、
厳島の戦いのこんな記述……

世に言う厳島の戦いである。大内軍を率いた総大将は陶晴賢だったが、毛利軍の前に大敗を喫し、厳島の地(現広島県廿日市市)で波乱に満ちた生涯を閉じた。享年三十七と伝わる。いうなれば、晴賢は大内氏に殉じた最期であったとさえ評せよう。

を読んだだけで「クッ……」と涙ぐんでしまいました。
顔グラって怖い。
201Xの晴賢さん欲しい。

 

 

私見

 

二点だけ、全体を通じた個人的な感想を書きます。

 

①木沢長政と遊佐長教の存在感。

各章の中で、ちらちらっとこの両者の名前が出てきます。
(特に大和史料の中における木沢長政)

河内・大和史の中で、あるいは河内畠山家の歴史の中で、
両者はやはり異常な立ち位置にいるのだなとあらためて実感しました。

三好長慶が勃興する中で両者は滅び去りましたが、少し歯車が違っていたら
歴史は全然異なる方向に進んでいたのかもしれません。
それだけの深さ・大きさを感じる両名であります。

201Xで☆4で出てきてほしいです。
異聞 御館の乱で「死者の復活」はアリだと分かりましたし。
まつりさんも秀吉さんもドン引くような河内異聞が見たいの。

信長の野望「大志」での登場・能力アップにも期待しています。
どんな「志」設定になることやら。

 

②三好家「戦史」研究の薄さ。

桶狭間姉川、長篠、川中島、三方ヶ原、河越、厳島、耳川……。
戦、とりわけ「野戦」は戦国時代の華であります。

三好家だって負けちゃいません。
元長時代の桂川原や大物崩れ、
長慶時代の太平寺、舎利寺、江口、教興寺、
松永久秀東大寺大仏殿とデカい戦は何度もやってます。
実は篠原長房が織田信長毛利元就二人を相手に戦ってたりもします

メンバーも人数も装備もすこぶる豪華です。
日本でもっとも早くから大量の鉄砲でドンパチしている連中なのです。

それなのに、「講談感」がまったくない。
「戦国時代のベスト合戦!」みたいなムック本にもまず登場しない。
戦国時代か? という大坂の陣島原の乱が出てきたりするのに。


この本でも久秀痛恨の敗戦として「辰市の戦い」が何度か紹介されますが、
詳しい戦の推移などは記されておりません。

もっとも、桶狭間や長篠が異常なくらい戦術レベルの研究や議論がされているだけで、
日本史における戦の研究はみんなそんなものなのかもしれませんけど。

それでも、一般人の関心を惹きつけるのはやっぱり「戦」ですよね。

専門の学者さんが研究するテーマではないのかもしれませんが、
もう少し三好家の合戦方面の話題が盛り上がってほしいと思います。


三好家って、「足利将軍権力の解体過程」「プレ織豊政権」として、
政権構造論から有名になってきていますから……。
持っている講談は文化芸術方面ばかりですから……。(除く鬼十河)

どうしても一般受けしないです。

普通の人は政権構造なんて興味ないです。
信長の桶狭間に興味はあっても足利義昭とのデリケートなバランスなんて興味ないです。
秀吉の水攻めに興味はあっても朝廷や諸大名とのデリケートな折衝なんて興味ないです。
家康だけゲーム化されないのは政治的人間なイメージがついてるからだと思いますし。


ようやく飯盛山城や多聞山城など「城」方面の話題が盛り上がってきたので、
そこから「野戦」方面のアピールにも繋がって欲しいなあ。

 

 

以上、とても長くなって恐縮です。

学術書ですし3,500円もしますので誰にでもおすすめという訳ではないのですが、
松永久秀に興味のある方はお目通しいただくと絶対楽しいと思いますよ。


3,500円……。

 

 

そうだ。三好家に必要なのは戦史研究だけではない。
「新書」だ。千円以内でサクッと読める本なのだ。

 

 


大手出版社さんが三好家の新書を出してくださいますように。
応仁の乱」の二匹目のどじょう扱いでもいいですから。


頑張れば採算取れるくらいは売れると思います!(根拠なし)

 

 

 

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