肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

三好長慶の法名「聚光院殿前匠作眠室進近大禅定門」……7/4は命日です

 

信長の野望シリーズの公式ツイッター三好長慶の命日について
触れられていてかんたんしました。

 

twitter.com

 

 

……けっこう驚きました。


信長の野望公式アカウントが三好長慶を話題にするとは。

しかも「信長同様に天下に近かった男」って、
長慶を信長と同じようなところに位置づけるとは。


「201X」のような外伝作品ならともかく、本家信長の野望では
初めてのことではないでしょうか。

 


三好長慶の研究であったり天下布武解釈の研究であったりが進んだ結果、
最近は「当時の天下≒畿内(足利幕府周辺)」であることが定説に
なってきております。

実際に長慶さんは当時の史料では「天下主」とか「天下執権」とか
呼ばれている訳です。
そういう経緯で「最初の天下人」とアピールされたりもしています。

(細川さんは? ねえ、細川さんは?)



狭義の天下と広義の天下。
史学的にはともかく、素人的にはやっぱりややこしいですね。

 


一方、信長の野望で言う「天下」とは、ゲームクリア状態のことと見て
問題ないでしょう。


「創造」の場合、

  ・全国制圧

     or 

  ・京を含めた30国(日本の約半分)を支配した上で惣無事令を発す

がクリア条件になります。


長慶さんも信長さんも京畿を含む広大な領国を有しましたが、
全国の諸大名全てを従属させた訳ではありません。
(もちろん、領国数や官位が信長>長慶であることは言うまでもありません)

よって、コーエーさん的には「天下人=秀吉・家康の二名」、
「天下に近かった男=長慶・信長の二名」という整理になるのでしょう
(細川高国 with 大内義興や細川晴元に対する評価は不明)


狭義の天下派です。
現代人にも理解しやすい定義ですね。

 


この他、ツイッター上にある「家臣の謀略に翻弄」とは……
おそらく松永久秀のことでしょう。


久秀忠臣説については定説になったと言い難い段階ですから、
いままで通りお腹真っ黒野郎としてキャラ立てされるんですかね。

個人的には、久秀忠臣説のあおりで三好三人衆が更に過小評価されている
気がして、引き続き多角的な議論がなされていくことを望みます。



まあ、歴史上の松永久秀がどういう人物であったかは一旦置いといて……

「長慶も信長も家臣に叛かれて道半ばで斃れた」と横並びにしといた方が
さまざまな方の精神衛生上よいのかもしれません


近頃、信長さんがますます不当に乏しめられがちだと思います。
有名税というやつなのかもしれませんが……。

どんなジャンルであれ、マニアは新説に飛びつきがちです。
皆が知らないことを披露すればちやほやされるからです。

三好長慶その他諸大名の研究が進んだからといって、それを元手に信長さんが
ディスられるのは三好ファンとしてもいい気分ではありません。

細かな政策や組織運営に注目して比較するのも大事なことですが、
その前にまず、長慶であれ信長であれ、混乱期の中央政界で「火中の栗」を
拾った勇気と才気の持ち主を尊敬する姿勢が人として必要だと思います。

 

 

 

脇道が長くなりました。


本題に入ります。

今日、七月四日は三好長慶の命日になります
(ただし旧暦ベース命日です)

 


長慶さんは1564年に亡くなりましたが、その死は秘密にされ、
1566年まで文字通り塩漬け状態で飯盛山城に埋められていました。


……死んでからも悲惨な身の上です。



1566年、ようやく葬儀や三回忌が執り行われます。

この際に送られた法名(戒名)が「聚光院殿前匠作眠室進近大禅定門」

 


私、この「聚光院」という名が好きなんですよね。

 


三好長慶⇒「光が集まる(聚)人」。

 

三好長慶 光属性説。

 

家族から受け継いだ光子力エネルギーの力で
Dr.ハルや暗殺大将軍と死闘を繰り広げた説。

 

 

そうとう暗い人生を送った長慶さんの戒名が
こんなに光の戦士感に溢れているなんて。


なんだか意外な面白さがありますよね。

 

 

ちなみに信長さんは「総見院」です。


「すべてを見る人」です。


これはこれで何か謎の納得力があるように思います。



法名って、当時も親しいお寺さんが色んな故事とか仏法とかをもとに
決めてくれるものなんでしょうけど、やっぱり生前の人物像・キャラも
踏まえて名付けてはったんですかね。

 

 

 

京都の大徳寺には、長慶さんと利休さんが眠るその名もずばり
「聚光院」という塔頭がございます。

「そうだ 京都は、今だ。」でも取り上げられていましたね。


私も特別拝観の際に伺ったことがありますが、ものすごく眼福でした。

石と苔がまぶされた百積の庭。 
狩野松栄・永徳父子による襖絵。
千住博さんが近年描かれた襖絵。
長慶さんと利休さんの木像。

ありがたい……
本当にありがたい……

 

拝観は叶いませんでしたが、お庭の裏では長慶さんと利休さんのお墓が
仲良く並んで立っているようです。

利休さんが植えた沙羅の樹がいまも二人の墓を見守っているんですよ。
(樹は三代目くらいのようですが)


千利休といえば秀吉さんとの諸々のエピソードが注目されがちですが、
「義兄」長慶さんや「義弟」実休さんとのエピソードを示す新史料とか
出てくれば面白そうですね。

 

 

そういう訳で、またしばらくしたら聚光院の特別拝観が許されますように。

次は雨か雪が降っているときに訪れたいです。