肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「武田氏滅亡」平山優さん(角川選書)

 

 

「武田氏滅亡」という大著にかんたんして、ぼろぼろ泣いちゃいました。

 

www.kadokawa.co.jp

 


某本屋さんでプッシュされていたので買ってみました。

約750ページという異常な厚さだったので躊躇もしたのですが……
鞄に入れて運ぶのも電車で読むのも難儀する重さだったのですが……

買って、読んでよかったと心から思っています。

 

帯にはこんなことが書かれています。

稀代の英雄か、暗愚な後継者か――
新たなる勝頼像と大国滅亡の真相に迫る決定版

武田勝頼を主軸に据え、武田家が滅んでいく経緯を厳選史料をベースに
丹念に記していく内容の本になります。

主役は武田勝頼さんですが、織田信長徳川家康上杉景勝北条氏政といった
近隣実力者に加え、信長包囲網や関八州にまつわる人物が数多登場してきます。

 

私の感想としては、真の主役は「動揺する国衆たち」ではないかなと思いました。
恐怖し、右往左往し、皆どうしているかなと辺りをキョロキョロし、
大きな流れができた瞬間に雪崩を打って離反していく姿。
あまりにもリアルで、人間的で、説得力があります。

戦国時代の歴史本ではありますが、同じような調査手法を以てすれば
雪印滅亡」も「タカタ滅亡」も「山一證券滅亡」も描ける気がするのです。

ひとつの巨大組織があっという間に、
当事者も敵対者も想像できなかったほどの速さで滅んでいく描写の迫真。
知れば知るほど「誰か一人の責任」「人間性や精神性が原因」とは言えない事情。


私はむしろ企業経営者などに読んでいただきたいと思いますね。

 

 

以下、いろいろ書きますが長いのでご留意ください。

 

 

 

本書のざっくりした内容

 


ものすごくかいつまんで紹介します。
(素人の頭の整理なので理解を間違っている可能性も高いです)

詳しくは買って読んでください。

 


序章 諏訪勝頼から武田勝頼


よく知られている話ですが、もともと勝頼さんは武田信玄の跡取りでは
ありませんでした。
武田家中が対今川戦略で割れ、信玄嫡男の義信さんがお亡くなりになったので、
急遽跡目として登板してきたのが勝頼さんなのです。

もともとは「諏訪勝頼」として扱われていましたし、家中もそう思っていました。
昔のイエ文化において、一度養子として本家から出ていった子どもは
基本的に二度と本家の子として扱われません。

勝頼さん、のっけから足下が不安定です。

しかも親の信玄さんは、織田信長と戦うことを決意し、徳川家康三方原合戦で
おおいに破って決定的に西方外交を破綻させてからお亡くなりになってしまいました。

勝頼さん、のっけから未来が見えません……。

 


第一章 長篠合戦への道


勝頼さんが武田家当主となりましたが……。

信玄さんの遺言にはこんなことが書いてありました。

 ・自分の死を三年間秘匿せよ
 ・勝頼は嫡男(信勝)が成人したら速やかに家督を譲るように
  (勝頼はあくまでピンチヒッターだからね)
 ・勝頼は武田家当主の証である「旗」等を使っちゃダメよ
 ・あ、諏訪の旗や兜は使ってもいいよ


……むごい。実にむごい。

武田家中の反発を防ぐには仕方ないのですが……。
こういう遺言を残すあたり、信玄さんも武田家中の統制には
よくよく注意を払っていたんでしょうね。


こうして、勝頼さんは相続直後から家内統制に苦慮することになりました。


とは言え勝頼さん、徳川家康の領地をどんどん攻めていきます。
この頃は信長さんが河内で三好康長さんにてこずっていたので
織田の援軍はないやろと思っていたのですが……。

康長さんがあっさり降伏した(情勢を見極めて自分を高く売ったんだと思います)
せいで、信長さんが急遽駆けつけてきます。

世に名高い長篠合戦です。
世に名高い大敗で、武田家自慢のベテラン勢がことごとく討ち取られました。


いきなり大ピンチですが、敗戦後、勝頼さんは上手に家中をまとめ直します。
織田・徳川軍は武田領地に深入りすることはできませんでした。
老臣が減ったことで自分の権力を高めることもできたようです。

 


第二章 織田・徳川の攻勢と武田勝頼


家康さんに遠江、信忠さんに美濃を攻められてじりじり後退していく武田家。

勝頼さんは国境防衛の配置を再編成し、粘り強く対峙していきます。

 


第三章 甲相越三国和睦構想と甲相同盟


足利義昭さんが頑張って「武田・上杉・北条同盟」を実現しようとしますが、
この頃はまだ「上杉謙信」さんがご存命なので交渉が上手くまとまりません。

謙信さんは関東管領職として北条家と死闘を繰り広げてきた方ですから、
上杉-北条ラインの関係改善が難しいのです。
これも武田家にとっては辛いところですね。

まずはということで勝頼さんが北条夫人(氏政の妹)を娶り、
甲相同盟だけは成立しました。

北条家と組めば東方は安全です!

 

 

第四章 御館の乱武田勝頼


謙信さんが突如お亡くなりになり、有名な御館の乱が始まりました。
上杉景勝さんと上杉景虎さんが跡目争いをするやつです。

この経緯が下手な上杉本よりも詳しく書かれていておもしろかったです。
どうも景虎さんは「反景勝派」に担がれてしまったみたいですね。


北条氏政さんは景虎さんの兄貴なので、当然景虎派になります。
介入します。
ただ、介入がどうも中途半端で……。
北関東情勢(主に佐竹義重さん対応)が心配で、景虎支援が後手後手です。


勝頼さんは、甲相同盟があるので景虎派になるのかと思いきや……。
なんと、「景勝・景虎両方に中立」「俺が間に入ったるから和睦せいや」という
スタンスで介入していきます。

これが色んな人(当時の人含む)から「景虎を助けなかったのが武田家滅亡の原因」と
言われてしまう行動なのですけど……。

一時的に景勝・景虎間の和睦が成るものの、結局景虎さんは滅んでしまい……。

 

 

第五章 甲相同盟の決裂と武田勝頼


同盟を結んだばかりですが、武田家と北条家の関係は急速に悪化します。

そりゃそうです。
景虎さんは滅び、ちゃっかり勝頼さんは上野で領地を拡大しているのです。
氏政さんが怒っても仕方ありません。
(じゃあ氏政自身で景虎助けに行けよという突っ込みもありますが)

結局断交と相成り、武田家は上杉景勝佐竹義重と同盟を結び、
北条家は織田家・徳川家と同盟を結びます。


さっそく武田家と北条・徳川連合が戦になったりもします。
面白かったのが、

 勝頼:決戦しよーぜ! かかってこいよ!
 氏政:嫌どす

というやり取りがなされている場面。
北条家は堅陣を組んで出てきませんし、徳川家は勝頼が接近すると退却します。


どうも、この後もそうなのですが、勝頼さん直轄部隊は長篠後であっても
周辺諸国からそうとう恐れられていたようですね。

勝頼さんは決戦ではなく、外交と調略で追い詰められていくのです。

 


第六章 苦悩する武田勝頼


関東圏での武田-北条戦争は武田家優位で進んでいました。

しかし、西方情勢が不安なのは言うを待ちません。
勝頼さんは密かに信長さんとの和睦の道を模索し始めます。

ただ、信長さんサイドは次々と包囲網参加チームを打ち破っており、
いまさら武田家と和睦するメリットなんてなく……。

 


第七章 武田勝頼北条氏政の死闘


いよいよ二つの大きなダメージを喰らいます。


一点目。

上野の沼田城を攻め取ったのですが、攻め取るために国衆へ恩賞を約束し過ぎ、
戦勝後に恩賞不足が発生してしまいました。

もともと増税で評判が悪いところに、ますます国衆の信頼が揺らぎます。

小さな太平記を見ているようです。


二点目。

遠江における武田方の要衝「高天神城」が遂に陥落します。

家康さんの調略・付城戦術もさることながら、
家康さんに指示を出す信長さんの計略が冴えわたっています。

第六章の通り勝頼さんに対しては和睦をチラつかせ、後詰めを牽制。
高天神城からの降伏申し出についてはキッパリ拒否。

籠城勢を全滅させ、勝頼が見捨てたとおおいに喧伝すれば、
武田勢力圏の動揺は計り知れないものになるという冷徹な計算が
なされているのです。

織田家PR戦略の贄となって滅んでいく守将の岡部元信さんたち。
哀し過ぎます。


本題からそれますが、この本では岡部元信さんの「海の武将」属性
紹介されていて興味を引かれました。
岡部元信さんいいですよね……桶狭間でも201Xでも実に尊い

 


第八章 斜陽


勝頼さんは部下の反対を押し切って新府城に本拠を移したりしますが、
とうとう信長さんが本腰を上げて動き始めます。

やばい……やばいよ……。


ちなみに、第七章・第八章では武田家全体が綱渡りの中、真田昌幸さんだけは
実にイキイキと調略したり暗殺したり活躍してはります。
大河ドラマのせいで楽しそうに悪いことをしているイメージがついてしまいました。

 


第九章 武田氏滅亡


この章は涙なしには読めません。

日記や新聞記事のように、日単位でその日にあったことを粛々とまとめていて、
何層にも悲哀を畳みかけてくるのです。


地すべり的に離反していく国衆・一門衆。
巻き込まれて命を落としていく女・子ども・老人。
最後まで奮戦する数少ない忠臣。
勝頼・北条夫人・信勝の最期。


詳述はしませんが、「滅びの美学」と呼ぶにはあまりにも悲しい、
こんなものが美しさであってたまるかという気持ちを抱きます。


印象的なのは、信長さんも氏政さんも、そんなにあっけなく武田家が
傾く訳がない、慎重にことを進めよと現場に指示しているところ。

敵にとっても味方にとっても、武田家の滅亡はあまりにも意外な
スピードだったのでしょう。

浅間山噴火もありましたが、まさに天災のような、人智を超えた
崩壊だったのだろうと思います。

 


第十章 勝者のふるまい
終章 残響


……は、エピローグ部ですので詳しい紹介は省略します。
第九章までを読んだ上での味わいだと思いますので。


本筋に関係のないところでひとつ興味を引かれたのは、織田家の圧迫で
畿内から逃れてきた人が武田家に多く匿われていたというところ。

丹波波多野氏の縁者っぽい人とか、
六角義賢さんの二男っぽい人とか、
美濃国を追われた土岐頼芸さんとか、

色んな方の名前が出てきます。

武田家の武名はそうとうなもので、各地の敗者から頼りにされていたんでしょうね。




その他個人的な感想

 


人の上に立つ人というのは、
とりわけ継承者という立場の人は、
自分の「夢」や「野望」よりも、「周囲の期待」に応えることを
大事にする傾向があると思います。


私は武田勝頼さんは優秀な後継者だったと思いますし、
武田信玄が背負っていた期待」に引き続き応えようとされていたのではないかと
想像しています……。


そのことが顕著に出ているのが外交で、御館の乱での介入の仕方は
名門武田家当主・甲斐国守護として相応しい振舞いを心掛けていたように
映りますし、北条家との和睦・断交の流れなんてまさに信玄スタイルです。

その一方で、外の国にいい格好をするためにも、
自国内では無茶に無茶を重ねるのも信玄スタイルです……。

これは武士や騎士、高い家柄に生まれた者としての誇り高いあり方だと
思いますから、単純に武田家の作法を非難しようとは思えません。

 

 

もう少し粘っていたら、武田氏滅亡がなくても本能寺の変があったのなら、
上杉家のように生き残ることもできたかもしれません。

単純に自身が生き残るためだけなら、
今川氏真さんや山名豊国さんのようなスタイルだってあるのです。


ただ、詰まるところ武田勝頼さんは毛利家・長宗我部家・上杉家と比べても
「手強い」「対応優先度が高い」と思われていたからこそ、
あのタイミングで激しい調略を受け、族滅に遭ったのでしょう……。

勝頼さんは優秀だった、信玄さんみたいだった、
だからこそ中央政権の覇者としては滅ぼさざるを得なかった
ということだと私は解釈しています。


後の秀吉・家康路線がまさにその通りですけど、
中央の覇者としては、東国の……武田家・北条家・上杉家のうち、
2つ程度には絶対に滅んでもらう必要があったんだと思います。

この3つの家は武名が高過ぎる。
地域の求心力になってしまうリスクが高過ぎる。

3つ全部を滅ぼしたらそれはそれで地域の安定が崩れますから、
2つを滅ぼし、1つは弱めて置いておくor国替えを命じる……と、
考えてしまうのは自然なことです。

優秀な人が生き残る人だとは限らない……という自然法則を
思い起こしてしまいます。




この本を読んだ方の中には、武田家配下国衆の離反祭に
眉をひそめる方もいるかもしれません。

武士の風上にも置けねえぞ、と。


想像してください。

ローカルな豆腐屋さんが、地場のスーパーと長年付き合いがあるからって。
スーパーの社長は同級生だからって。
スーパーの社長とは年に1回ゴルフで懇親を深めているからって。
スーパーの社長とはライオンズクラブでも一緒だからって。

イオン・セブンイレブン連合のような圧倒的資本力に、
更に皇室御用達という権威と、政府与党とズブズブという迫力と、
巨大宗教信者が支える購買力とを付け加えたようなメガ企業が進出してきて、
「うちと取引しろ。他の取引先は切れ。そうすれば悪いようにはしない」と
迫られたら、あんた断れますかっちゅう話ですよ。


大きな力は怖い。
怖いと混乱もする、迷いもする、裏切ったり間違ったりもする。

これは人間としてごく当たり前の反応です。
武田家が特別なのではありません。


一旦裏切ったり見捨てたりした後に、死んだ方々の遺骸や遺品を弔い、
悔やんだり泣いたり悼んだりするのも、同じ国衆たちです。

のちに徳川家が武田家を顕彰してくれたときに、
嬉しくて馳せ参じてきたのも同じ国衆たちです。


むしろ、武田家は一定の結束があったからこそ、
織田信長という超巨大プレッシャーに対してもしばらくは耐えられた。

耐えて、耐えて、耐えて……ついに閾値を超えてしまったとき、
雪崩のような、崩落のような、超スピードの離反現象が起きた。

弱っちい組織なら、早くからぽろぽろぽろぽろ崩れてたはず……
頑丈だったからこそ、壊れるときは一気に壊れる……。

そんな解釈もできるかもしれません。

 



最後に

 


以上、単なる歴史研究書というよりは、壮大な人間ドラマに出会える本、
後世に伝えるべき含蓄に富んだ本だと思います。

繰り返しですが、歴史ファンや武田家ファンだけでなく、
リーダー・マネジメント層のような見識を深めるべき方々にもおすすめです。

 

一個だけ残念だったのは、年表を巻末付録につけてほしかったなあということです。

良著なので、この本をベースに研究する方も創作する方もいると思うのです。
年表がついているだけで、ありがたみが数割増しになるに違いありません。

贅沢な要望を言っていることは自覚しています。



著者の平山優さんは、勝頼が滅んだ地「田野」にゆかりがあるそうです。

ご自身のルーツがある土地の歴史を調べ、公平に周辺地の歴史も調べ、
細部解析と大きな流れの両方から成果を残していく……。

素晴らしいですね。


こういう立派な研究者が地域社会から正当に評価されますように。
こういう立派な研究者が三好家周辺にも増えていってくださいますように。