肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「桶狭間合戦時に織田信長と六角義賢が同盟していた説」読売新聞より

 

 

全国紙で六角-織田同盟説が取り上げられていてかんたんしました。

 

www.yomiuri.co.jp

 

今回初公開されたのが「桶狭間合戦討死者書上」という文書だ。江戸時代に書かれたものとみられ、今川軍はこの戦いで、今年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の井伊直虎の父、井伊直盛ら総勢2,753人が戦死したと記載されている。一方で、織田軍の戦死者も990人余りとしている。

「興味深いのは、織田軍の戦死者のうち272人が近江国滋賀県)の大名・六角氏からの援軍だったと書かれていることです」と、展覧会を担当する原史彦・学芸部長代理は話す。

 


江戸時代(1603年~)の記録をもとに桶狭間合戦(1560年)の真実を
語っていることになる訳ですが史料の検証って済んでるんですかね。

現代人が「太平洋戦争の記録つくっといたで!」というのとあんまり
変わらない気がいたしますけど……。


インパクトが強い内容ですから、「間違いのない事実」と受け止める人が
続出しちゃうかもしれません。

歴史に限らず、学問関係のニュースって難しいです。
新説が報道されること自体は本来何の問題もないはずなのに、
「新説=検証済の新事実」と解釈しちゃう受け手側のリテラシー問題がしばしば。

それで新説が「残念ながら間違っていました」って真摯に発表したら、
「騙しやがってクソが!」と激昂する人までいるんですよね。

科学文明はいまだ浸透途上であります。

 


そんな微妙な話はさておき。


この記録が1560年当時の史料を書き写したりしたもので信ぴょう性が高いのか、
江戸時代の高度な六角マニアがクリエイトしたものかは分かりません。

分かりませんが、事実だったらおもしろいので事実だった場合の事情や背景を
つれづれ妄想したいと思います。


以下の内容は素人の思いつき、上品に言っても仮説でございます。
しかも三好家等畿内戦国史好きの意見であることを割り引いてご覧くださいね。

 

 


桶狭間の戦いが起こった1560年前後は、戦国時代の流れを変える出来事が
続出したタイミングでございます。

六角家と織田家に関連することだけ取り上げても……


1558年

 六角義賢の仲介で足利義輝三好長慶が和睦。
 畿内の平和ムードが高まる。

 六角義賢が従属させている浅井久政の子に賢政と名乗らせる。

 

1559年

 六角義賢家督を義治に譲る。

 織田信長尾張を統一。

 足利義輝の帰洛を受け、織田家・斎藤家・長尾家が続々と上洛。
 斎藤義龍は「一色」を名乗ることを許され、家格が向上。 

 三好家臣松永久秀が大和に侵入。

 

1560年

 桶狭間の戦い(六角家が援軍を派兵していた?)。

 野良田の戦い六角義賢が浅井賢政(長政)に敗れる。

 三好長慶が河内を制圧し、畠山高政紀伊に逃れる。

 

1561年

 三好長慶細川晴元六角義賢の義兄弟)を幽閉。

 畠山高政六角義賢が三好討伐の軍を挙げる。

 一色(斎藤)義龍が死亡。

 

1562年

 久米田の戦いで畠山高政が三好実休を討ち取る。

 六角義賢が京を制圧。

 三好長慶教興寺の戦い畠山高政を破り、六角義賢は京から撤退。

 織田信長と松平元康が清州同盟を結ぶ。

 

1563年

 細川晴元が死亡。

 六角家で観音寺騒動が勃発。

 三好義興が死亡(三好長慶も急速に衰え翌年死亡)。

 北畠晴具が死亡。

 

という感じでイベントが起こっております。




1560年前後の周辺勢力の雰囲気としては、


 ・織田信長尾張を統一し、今川家を破り、急速に存在感を増している

 ・六角義賢は地域の実力者として周辺秩序の回復に努めている

 ・浅井長政(賢政)は従属していた六角家からの独立を図っている

 ・斎藤家は一色家に姓を改め家格を向上させるも、義龍が急死し、
  龍興への代替わりで家中が揺れている

 ・北畠具教は父を失うも堅調に勢力を充実させている

 ・三好家は五畿内を制覇しようとしているが不幸ラッシュも始まっている

 ・足利義輝三好長慶のもとで傀儡となっている

 ・細川晴元三好長慶のもとで幽閉されている

 ・畠山高政は河内奪還に向け六角義賢の力を欲しがっている


といったところでしょうか。

 

織田信長さんについては有名なので説明を端折りますが、
六角義賢さんについてかんたんに行動パターンを補足いたしますと。

この方、「極めて模範的な守護様」であります


足利義輝細川晴元といった幕府の偉い人を積極的に支援。

美濃で土岐様が追い出されるby道三と見るや下剋上けしからんと圧迫。

畿内で三好家が勢力を増してくると下剋上けしからんと圧迫。

領地で浅井家などが独立しようとするとそんなんけしからんと弾圧。


六角家は室町時代を通してけっこうロックな暴れん坊だったのですが、
六角定頼・義賢期あたりは極めて親幕府、忠実で有能な守護として
地域秩序の安定に奔走してはった訳です。



↓イメージ図

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観音寺騒動後の六角家は三好三人衆に味方しちゃって信長さんにぶっ飛ばされたり
ゲリラ戦法を続けるもパッとしなかったりで精彩を欠くのですけど、
1560年当時の六角義賢様はグレートでマーベラスな守護様だったんですよ。

「信長上洛時の雑魚敵」としての六角家は、三好家や浅井家にしてやられて
家中でも紛争が起こってボロボロになっちゃった後の姿なんです。



そういう訳で、桶狭間合戦に六角家の援軍があったとしたら
織田家にとっては勇気100倍、今川家にとってはマジかようぜーだったことと
思われます。

 

しかもニュースの中、織田軍戦死者が990人、うち六角家が272人って……

「兵が1割死んだら潰走」とか俗に言われますけど、勝った側の織田家で
仮に兵が1割死んでいたとしたら、総兵数は1万人、うち六角家が3,000人とかに
なっちゃいますね。

桶狭間の戦いのイメージが確かにずいぶん変わってしまいます。
そりゃ今川義元さんも全力で襲いかかってくるわという兵数です。
当時の六角家なら弓も鉄砲も充実しているだろうし。

 

 

じゃあなんで六角家は織田家と同盟していたんでしょう?


 ・琵琶湖商売と津島湊商売の連携?
  これならひょっとしたら織田信秀-六角定頼期まで遡れるかも。

 ・斎藤家への対策?
  これも織田信秀-六角定頼期まで遡れるかも。


ですが、こういう目的の同盟なら大国今川家との戦に
何千名も援軍を送る気にはなれないようにも思えます。

とりわけ織田家は「守護代の更に下」という家格ですから、
尾張守護斯波氏の影響が残っている段階では六角家は対等な
おつきあいをしてくれないでしょう

こう考えると、織田-六角同盟があったとしても、
1560年からあまり昔には起源を求められなさそうですね。



そうすると……


 ・1559年の信長上洛を契機にした、足利義輝の斡旋による同盟


という筋が思い浮かんでまいります。


六角義賢さんなら足利将軍の頼みは聞くでしょうし、
織田信長さんなら足利将軍に巧みな請願をするでしょう。


信長さんの上洛は尾張統一を認めてもらうだけでなく、
せっかく安定しかけている尾張をこれ以上乱さないように
幕府として今川家対策やってくださいよほらほら献金するからみたいな
交渉をするためだった。

将軍義輝さんも積極的に各地方の紛争を鎮めて幕府力をアピールする
姿勢ですから前向きにOKしてよっしゃ後は六角が面倒みたれと捌いた。

義輝さんを操る長慶さんも六角が尾張の方を向くならちょうどええわ
いまのうちに河内と大和を奪ったれとほくそ笑んでいた。

六角義賢さんは皆から頼りにされてニコニコしていた。
ひょっとしたら今川家に侵略やめろと勧告したり無視されてならば戦だと
援軍送るのを決意したりといった流れだったのかも。

浅井長政さんは六角家の兵力が尾張の方に向いて消耗するなら
チャーンスと考え独立準備を進めていた。

 

桶狭間で六角家の兵力が損耗
 ↓
浅井長政野良田の戦い六角義賢を破る
 ↓
六角義賢が無理をして三好長慶討伐の兵を挙げる
 ↓
一時的に京を制圧するも結局撤退する羽目になる
 ↓
六角家配下の国人衆「頑張ったのに何もいいことねーぞ!」
 ↓
六角氏と配下国人衆の関係がこじれる
 ↓
観音寺騒動

 

……無駄に説得力が出てきました。一応は繋がってしまう。



ただ、そうなると今川家って足利幕府から危険視されていたの?
足利を助けるのが今川っていう話だったじゃん。

という話になってきちゃいますね。


例えば、今川家に対してはニュートラルでも、武田晴信北条氏康
三国同盟を結んだ段階で「東国に巨大勢力誕生(現代のEUみたいな)」という
受け止め方をされたりとか、武田・北条の日頃の行いからまとめて危ない連中と
見做されたりとか、そういう空気があったんでしょうか。


足利幕府は長尾景虎さんとも仲が良いですから、武田家の悪口を景虎さんから
吹き込まれまくっていた可能性はあります。


この頃の幕府が北条家をどう見ていたのかも興味ありますね。
1562年に北条家の実家筋の伊勢貞孝さんが滅ぼされていますし、
もとより北条家は関東の足利勢力をいいように扱っていますし。

幕府と関東足利氏の関係もそもそも伝統的によくないから、
どうも関係性がすっきり見えてきません。


いずれにせよ、このニュースが真実だったとすれば、
義元さんが信長さんに中央政権への外交競争で遅れを取った、
という見方も出てきちゃいそうです……。

こんなところにも太原雪斎さん死去の影響があったりして。

 

 


以上、いろいろ書きましたがすべては妄言です。
本気になさらないでくださいまし。


これから実証的研究が進んでどんな解釈がなされていくか、
楽しみに見守りたいと思います。

織田信長さん近辺は人気があって研究進展も速いので、
その余波で六角家研究や幕府研究が加速するといいですね。


国盗り系大名や拡大戦争系大名ももちろん魅力的ですが、
六角義賢さんのような「守護としての務めを誠実に果たしていた」方の
魅力も認知されていきますように。