肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「法のデザイン 創造性とイノベーションは法によって加速する」水野祐さん(フィルムアート社)

 

 

表題の書籍がすこぶる良著でかんたんしました。

 

filmart.co.jp

 


この本、いいですよ。

ビジネス関係書籍でこんなに「おもしろい!」「すごい!」と唸った本は久しぶりです。


著者の水野祐さんはクリエイター界隈で有名な方ですが……

クリエイターさんに限らず、ビジネスパーソンや官僚・政治家などの中で、物事を「前」に進めることに関心のある方全般に広く読んでいただきたいと思いました。

 


但し、本の内容は「実践的な手順を教えてくれる」「何をしたらいいのか教えてくれる」類ではありません。

水野祐さんが法律家の立場から、世の中の流れと、今後求められていくであろう法や社会制度のあり方について「視点」を提供してくれる本となりますので、「何をしたらいいのか考えたい人」向けの書籍と言えるでしょう。

決して万民向けではありませんけど、熱意や知性に溢れた人材にとっては素晴らしい気づきを得られると思いますよ。

 

 

本は大きく二部構成になっていて、一部では「法のデザイン」に関する総論が、二部では様々な領域におけるトピックスと著者の考察が書かれています。

 

 

 

第一部

 

いきなりカタい話から始まりますが。


著者のスタンスとして、高度情報社会、あるいは成熟した社会では、人間の活動を規制する四要素「規範・慣習」「法律」「市場」「アーキテクチャ※」、とりわけ法律やアーキテクチャが硬直的になりがちであり、「余白」が生まれにくいということを述べられております。

 ※アーキテクチャ……物理的・技術的な環境。
  たとえば技術的にデジタルデータをコピーできなくする設計、
  ホームレスが寝られないような形状のベンチ、
  ファーストフード店の椅子の硬さなど。


その上で、イノベーションや創造性は「余白(コモンズともいう)」から生まれるものなんだと。

ガチガチに各種権利を守るような規制をつくってしまったら身動きが取れなくなる。
もちろん余白を広げ過ぎても社会秩序が維持できなくなる。

「程よい余白」をみんなで考えてみようよ。
法律だって上手く使えばガチガチ部分と余白部分を使い分ける設計ができるんだよ。

 


という趣旨のことが書かれています。

 

 このような情報化社会において、法律や契約を私たち私人の側から主体的にデザイン(設計)するという視点が重要になる。「リーガルデザイン(法のデザイン)」とは、法の機能を単に規制として捉えるのではなく、物事や社会を促進・ドライブしていくための「潤滑油」のようなものとして捉える考え方である。

 さらに言えば、リーガルデザインとは、国家が一方的に定めるルールに従うのではなく、私たち私人の側から自発的にルールメイキングしていく、という考え方であり、その手法のことである。 

 「コンプライアンス」は、企業などの組織が、その組織に求められる社会的な要請や責任を法令等のルールに従って、適切に実現していくためのプロセスや枠組みのことをいう。そして、創造性やイノベーションを標榜する個人、企業、そして政府などであれば、これらの個人または組織に求められる社会的要請をいかに実現していくのか、そのプロセスを戦略的に実践する枠組みこそが新しいコンプライアンスの形と言える。このような新しい形のコンプライアンスは、まだ体系化こそされているわけではないが、GoogleTwitterFacebook、近時ではUberAirbnbなど、主に米国で世界を変えてきたサービスや企業による実践のなかですでに世界中に広まりつつあるように思われる。よく知られているように、彼らは時に大胆な法解釈の読み替えや社会的要請を背景に強力なロビー活動を行ってきた。それは決して「法令順守」という思考停止からは生まれてこない。彼らはそのような大胆な法解釈の読み替えが自らに課せられた社会的な要請を実現するため必要だと判断し、それを遂行してきたのだ。この読み替えやロジックの組み立ては法の潜脱や違法の助長とは異なる。自らのビジョンやアティチュードを社会的意義のなかに位置づけるということを、社会のルールである法は時代とともに変化しうるということを当然の前提として行っているのである。
 私たちはそろそろ、「法令順守」に代わる新しいコンプライアンスの訳語を発明する必要がある。その新しい訳語は、リーガルデザインの概念とも相似するのではないだろうか。

 リーガルデザインは二十一世紀の知財戦略であり、法的視点からのビジネス戦略であり、文化論でもある。私たちはルールメイキングの舵取りを自らの手に取り戻す必要がある。そのために、法に従いながら、法を「超えて」いく必要がある。

 

 

この時点で私が日ごろ法律家に期待していることがそのまま記されていたので、非常に高い満足を覚えました。

こういう思いで働いてはる弁護士さんがたくさんいれば、ビジネス側ももっと顧問料なり相談料なり支払いますよ!

 

 

 

第二部

 

各分野のトピックス・考察が続きます。

すべてを紹介していたらキリがありませんので、各分野で私が特に印象に残った箇所に絞って紹介して参ります。

 

 

1 音楽

「サウンドの権利」と「リミックス文化」に興味を抱きました。


サウンドに関する著作権のあり方について。

 過去の楽曲の大胆なサンプリングは、一九八〇年代後半から一九九〇年代前半において、サンプリングした側が相次いで敗訴したことから、一部高額なライセンス料などを支払える有名ミュージシャン以外は使用できなくなり、下火になった

 著作権の問題によりサンプリングが弾圧された後にミュージシャンに残されたサンプリング手法は、いかに「細かく」するか(バレないようにするか)、または、いかに権利が生じていない部分を発見して切り取るか、の2パターンにならざるを得なくなった。

 音楽史が進む中で、メロディやコードといった有限な部分を権利で縛っていけば、やがて作れる音楽はなくなってしまうだろう(少なくとも、自由に使える部分は減っていくのは間違いない)。短期的な視点に基づく著作権の過剰な強化は、一部の権利者を利することはあっても、音楽文化を衰退させ、著作権法の目的である「文化の発展」(著作権法第1条)に反する結果を招来することはすでに自明である(権利の保護以外にも、著作権者に対価を分配する方法はある)。

 


その一方で音楽のオープン化、リミックス活性化を図る動きも。

 日本における事例としては、テクノ・ポップ・ユニットperfumeが、モーションデータや音楽データ、ボディ・スキャンデータなどをオープンソースにして公開する試みが注目された。これまで、音楽におけるオープンソースのプロジェクトは、初音ミクのようなキャラクターものか、一部の作家性の強いミュージシャンが取り入れるにとどまってきたが、このperfumeによるプロジェクトは、ポップ・ミュージックにおけるオープンソースの試みとして画期的な先例と言えるだろう。

 


JASRAC関係もよく話題になりますが(無責任にJASRACを叩いている人も多いと思いますが)、権利者保護と文化活性化の両面からちょうどよい落としどころを探る姿勢が必要なんでしょうね。

リミックスについては、オリジナル作品への敬意があまり感じられない作品も多いので、その辺はなんとかならんかなと思いますが……(笑)。

 

 

2 二次創作

初音ミクさんがしばしば「オープンソース」として扱われるんだけど、実際はイラスト部分が条件付きでオープン化されているだけで、ボーカロイドとしての音声ソフトウェアの部分はしっかり権利保護されていてマネタイズされているんだよ、という部分を読んで、あらためて「巧みやなあ」とかんたんしました。

二次創作は「放置」か「黙認」を選択することになりがちですが、上手くコントロールできればコンテンツをおおいに盛り上げることができるというやつですね。

 

 

3 出版 

欧米では出版者が作家から著作権の譲渡を受ける場合が多いけど、日本では作家に著作権が残るケースが多いので、権利を一元化できておらず、結果として出版者が作家の著作権を上手に活用できていないケースが多いんじゃないかという記載になるほどど思いました。

確かに、「行方不明の作家さんを探してます」みたいな話が時々ありますもんね。

出版社が作家に信用されていないからだ、ということかもしれませんけど……。

 


4 アート 

フランスで制度化されているという「追求権」に関心を抱きました。
(これはどちらかというと権利保護強化の話です)

アーティストって、ギャラリーなどの一次市場に作品を売却した後は、オークションとかの二次市場からはお金が入ってこないですよね。
フランスでは二次市場以降の転売でも、売買金額の一部がアーティストに届くみたいです。

これ、美術流通の透明化の観点ではいいかもしれませんね。
ギャラリーフェイクのような闇マーケットはダメージを受けそうです。

 


5 写真 

肖像権やパブリシティ権が強くなり過ぎてプロによるスナップ写真が死滅しかかっている一方、素人がInstagramFacebookにアップするスナップ写真は花盛りだということが紹介されています。


少し法律論から離れますが、

 情報技術により、人が一生かかっても見切れない量の写真が日々生産されゆく時代。写真がますますイメージとして我々の生活に氾濫し、溶けていくとき。そのような時代に、写真家は世界の何を切り取り、何を撮るのか? 写真というアートフォームは作家の思考をあまりにもシンプルに表出する(してしまう)からこそ、そのようなことを考えると、なんだか写真がこれまで以上に魔力的な魅力をもって迫ってくるように思えるのだ。


こういう著者のコメント、いいですね。

この章に限らず、そもそも水野祐さんはクリエイターやアーティストのことが好きなんだろうな、リスペクトしているんだろうなということが伝わってきます。

だからこそ、そうした業界の方々から頼りにされているんでしょう。

 


6 ゲーム

三國志Ⅲ事件」「ときめきメモリアル事件」といった懐かしい事例を挙げつつ(さすが弁護士)、ゲームを「映画の著作物」と見続けるのか、「プログラムの著作物」と見做すように変わっていくのか、ということを書いてはります。

一般には映画として扱った方が権利保護上よいと考えられている訳ですが、オープン化、MOD、実況、といった昨今の要素を踏まえれば一考の余地があるのかもしれません。

とは言え、ゲーム業界はいまも権利侵害勢と血みどろの争いをしていますので、個人的にはゲームメーカーは首を縦に振らないような気がしますね……。
ゲームに対価を払う発想のない人がなぜか世の中には多いみたいです。
私もよく中古ソフトを買いますので偉そうなことは言えないのですが……。

 


7 ファッション

ファッション界でも型紙やデザインのオープン化事例が出てきているんですね。
存じませんでした。

そもそもファッション業界が大きく成長してきたのは、お互いのデザインをパク……参考にし合う、フリーカルチャー性にあったのではないかという指摘は新鮮です。
オープン化した「今年の流行」でユーザーを席巻できるからこそ、どのブランドも服がよく売れるのかもですね。

 


8 アーカイヴ

土地の話に似ているのですが。
権利者不明で死蔵せざるを得ない作品……「孤児作品」の増加は深刻な問題であります。

強引に公開して、文句を言われたら取り下げる「オプトアウト方式」はまだまだ世間様の理解を得られておらず。
「何のために収集・保存してるんだ!」という感じなのですが、分かっちゃいるけどやめられない式にどんどん孤児作品が増えています。

個人的には、一定期間に亘って権利者不明な作品(や土地)はオープン使用を認めるか、公的競売に流しちゃっていいと思いますけどね。


こういうことこそ有権者で話し合って、行政に声を届けるべきなんでしょう。
何の意見もなければ、行政はリスクを取ることなんてできませんし。

著者の思いもそういうところにあるんだろうなと思います。

 


9 ハードウェア

「PL法厳し過ぎ」問題が挙げられています。

大企業ならともかく、ベンチャーなクリエイターにはキツすぎる、だから海外勢に負けるんだ的な感じでしょうか。

有名な都市伝説「日本の電機メーカーもルンバを創る技術はあったが、仏壇に当たって蝋燭が倒れて火事になったらどうしようということで作らなかった」に繋がりますね。


これも、有権者が「事故が起こる⇒行政が規制しろ」を言い続けてきた結果、裏側では「イノベーションが起こりにくい社会を築く選択をしてきた」ということなのでしょう。

うーーーん。

「経済成長の芽を潰さないためなら、ちょっとくらい爆発する製品が増えてもイイよ!」という有権者が増える気はしないなあ……。
子どもが減る中、命のインフレは止まりそうにありません。

 


10 不動産

家あまりの時代に、「新築至上主義」な諸規制が不整合を起こしている、という本当その通りなトピックスに頷きました。

リノベーションは少しずつ普及してきていますけど、減築ももっと話題になってほしいですね。

 


11 金融

必ずしも金融的な話題ではありませんが……。

ブロックチェーン技術が普及し、あらゆる領域に適用されていけば、記録管理が客観的・硬直的になり過ぎて、何かしら余白が足りない問題が起きるかもなあ、どんな問題かは分からんけど、という著者のコメントが面白かったです。

例えば、プライバシーに関わる領域とかでは「消せない・誤魔化せない過去」は不都合極まりない気がします。
国によっては国籍・戸籍管理方面で厳正管理が進めば困る人も増えるでしょうね。

 


12 家族

家制度の崩壊やLGBT認知の向上、戸籍制度のレガシーさといったトピックスが挙げられております。


家制度……「長男」「本家」といった言葉に付随する意味が消えていったとしたら。
私の愛する時代劇や中世史が更に取っつきづらいものになってしまう気が……。

 「家督争い? 先生、意味が分かりません」
 「大奥なんて金の無駄じゃないですか。意味が分かりません」


という風潮がますます進むんだろうなあ。
日本史の先生は大変だなあ。

 


13 政治

ここまでを読んだ方なら、「政治」という章に書いてあることも想像できると思います。

 情報化社会において、法律の解釈・運用により生まれる「余白」や契約をいかに設計・デザインしていくかというリーガルデザインの思想が本書のテーマであるが、単に法律や契約を設計するだけでは無意味であり、それを使う私たち個人、ひいては国家の法に対する認識のアップデートも同時に求められる。その際に重要なことは、法律の解釈・運用や契約を活用することにより、個人がルールの形成過程に積極的に参画していくというマインドである。そのような参画がやがて法制定や法改正の過程に反映される。そうした循環・エコシステムと、私たちの法に対するマインドセットの更新が必要になってくる。
 オープンガバメントは、本書が提示しているリーガルデザインという思想の前提として重要な意味を持つ。もはや、私たちは、技術的には、個人や企業間の契約のみならず、国と私たちの契約である法律も、私たち自身で主体的に設計・デザインすることができる時代を生きている。そのような時代にあって、リーガルデザインの考え方は、民主主義社会における政策決定プロセスを再生させるための有効な武器になり得るのではないだろうか。


こういうスタンスの有権者が増えたらいいな、と私も同感します。

 

 

 

 

 


以上、さまざまな知見を得られる良著でありました。

 


世の中には賢人さんがいらっしゃるものですね。

著者さんはあとがきで「私たちの社会に存在する多様で複雑な事象が、多様に複雑なまま成立し、受容されるしなやかさのある社会」が良い社会・豊かな社会ではないかと仰っていて、本当にその通りだと思います。

 

 

私見では。


余白が認められるためには、多様性が受容されるためには、景気がよくないとどうしようもありません。

残念ながら、仁徳や知性を磨くだけでは人は寛容にはなれない……寛容であり続けられない……
ということを人類の歴史が証明しております。


皆で頑張って働いて景気を良くする ⇒ 余白や多様性が生まれる ⇒ イノベーションが起こる ⇒ もっと景気がよくなる


という美しいサイクルが生まれるといいですね。


やーほんま、生まれてくれますように。