肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「老年について」著:キケローさん / 訳:中務哲郎さん(岩波文庫)

 

古代ローマの政治家・弁護士・哲学者キケローさんの著作「老年について」が味わい深くてかんたんしました。

 

老年について - 岩波書店

 


本文78ページ・解説28ページの小品ですので読みやすいです。


内容はタイトル通り、「老いること」についての考察を古代ローマの大政治家「大カトー」さんの言葉を借りて著述されております。

日本人にとっては分かりづらいのですが、大カトーさんが紀元前234年生まれ、著者のキケローさんが紀元前106年生まれの人ですので、ざっくり100年ちょい前の有名人の名前・人格を拝借している訳ですね。

 


主に論じられる主題は以下のとおりです。

 さて、わしの理解するところ、老年が惨めなものと思われる理由は四つ見出される。第一に、老年は公の活動から遠ざけるから。第二に、老年は肉体を弱くするから。第三に、老年はほとんど全ての快楽を奪い去るから。第四に、老年は死から遠く離れていないから。もしよければ、これら理由の一つ一つがどの程度、またどのような意味で正当かを、検討してみようではないか。

 

いかにも弁術家キケローさんっぽい構成ですね。

テーマを掲げて、一つひとつの要素を検証・論破していき、「だから老いは惨めではない」とまとめるやり方です。

 


この前口上通りに、本文では様々な古代ギリシャ・ローマ著名人のエピソードや演劇の引用などを繰り返して「老年が惨めなものと思われる四つの理由」を否定してまいります。


説得力がある部分も怪しい部分も混じりながらですが、おおきくは現代にも通じる価値感……自身の努力や克己によって老いの惨めは回避可能、むしろ老年とはよいものだというスタンスに立ってはります。

この点、西洋世界で「老年賛歌」を謳い上げたのは当著が初めてかもしれぬそうですよ。
ギリシャ哲学などでは「老いはつらい・醜い」がスタンダードのようですので。

 

 

本文の中で、こういった物言いは私好みです。 

 わしがこの談話全体をとおして褒めているのは、青年期の基礎の上に打ち建てられた老年だということだ。そこからまた、これは以前にも述べて大いに皆人の賛同を得たことだが、言葉で自己弁護をしなければならぬような老年は惨めだ、ということになる。白髪も皺もにわかに権威に摑みかかることはできぬ。まっとうに生きた前半生は、最期に至って権威という果実を摘むのだ。

 自然に従って起こることは全て善きことの中に数えられる。とすると、老人が死ぬことほど自然なことがあろうか。同じことが青年の場合には、自然が逆らい抵抗するにもかかわらず起こるのである。だからわしには、青年が死ぬのは熾んな炎が多量の水で鎮められるようなもの、一方老人が死ぬのは、燃え尽きた火が何の力も加えずともひとりでに消えていくようなもの、と思えるのだ。果物でも、未熟だと力ずくで木から捥ぎ離されるが、よく熟れていれば自ら落ちるように、命もまた、青年からは力ずくで奪われ、老人からは成熟の結果として取り去られるのだ。この成熟ということこそわしにはこよなく喜ばしいので、死に近づけば近づくほど、いわば陸地を認めて、長い航海の果てについに港に入ろうとするかのように思われるのだ。

 

豊かな老後は青年期の頑張りあってこそ。

その上で、農業や創作に励み、死後の魂の不滅を信じて暮らせば……
老年期になんの惨めなことがあろうや。


そんなメッセージに彩られた名文なんですよ。

 

 


とりわけ農業……葡萄づくりに関する部分の記述は素晴らしいです。

迂闊にこの本を読んだら、「よっしゃ老後は田舎暮らしや!」と言ってしまいそうになります。

伴侶がそういう夢追い人になったら困る方は読ませない方がいいでしょう。

 


また、こうしたささやかな願望は現代シニアの共感を強く惹起すると思います。 

 一見取るに足らぬ当たり前のようなこと、挨拶されること、探し求められること、道を譲られること、起立してもらうこと、公の場に送り迎えされること、相談を受けること、こういったことこそ尊敬の証となるのだ。


こうした尊敬を勝ち得た老人は、古代でも現代でも稀なんでしょうね……。

 

 

 

早世しない限り、老いは誰のもとにもやってきます。

こういった本を読んでみるのもたまにはいいと思いますね。

 

 

 

 

それに。


この著を記したキケローさん自身が、「言葉で自己弁護をしなければならぬような老年は惨め」「果物でも、未熟だと力ずくで木から捥ぎ離される」という老年期・最期を迎えた方であります。

言うなれば、この本はキケローさんの「理想の老後」であり、「こうなりたかった姿」……願望を形にしたものなんですよ。

 


リア充が異世界に行って無双する的な……


現実ではカエサルさんやアントニウスさんたちに追いかけ回されながら……

著作の中では共和政ローマの善き頃に思いを馳せているという……

 



非常に人間臭い作品とも言えるのです。

 


キケローさんはスッラさん独裁~第一回三頭政治~第二回三頭政治というローマ版戦国時代において、けっこう「危なっかしい」「損な役回り」を演じてしまう人でした。

弁論上手なんですけど、時代のヒーローを敵に回す方向に弁が立ってしまう感じで。


そんなこんなで政治家としての評価は英雄カエサルさんたちの「当て馬」扱いになりがちなんですけど……


こうしたピュアな理念・情念に満ちた名文章を多く遺されているところはもっと評価されてほしいと思いますね。

 

 

 

老いの教科書としても、人間キケローさんに思いを馳せる材料としても、優れた書籍だと思います。


キケローさんが理想としたような立派なお年寄りが増えて、世代間の不毛な争いが少なくなりますように。

 

 

 

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ちなみにキケローさんが自身の理想を託した「大カトー」さんは。


どんなスピーチをしていても最後は必ず「だからカルタゴは滅ぼさねばならぬ」で締めくくったことに定評のあるおじさんです。

 

大スキピオさんがカルタゴの英雄ハンニバルさんを破ってイエーイした後。

カルタゴの猛烈な復興スピードを目の当たりにして危機感を強めはったということで。
敗戦国がすごいスピードで経済成長するのって、古代からよくある事例なんですよね。

 


太平洋戦争後、アメリカに大カトーさんがいなくてよかったと思います。