「時代劇の「嘘」と「演出」」という本が看板に偽りありというか、ウンチク本だと思ったら著者の時代劇への愛をめいっぱい詰め込んだ情熱テキスト集でかんたんしました。
時代劇の「嘘」と「演出」 - 株式会社洋泉社 雑誌、新書、ムックなどの出版物に関する案内。
週刊ポストの「時代劇を斬る!」というコラムを再編成した書籍とのことです。
内容は「斬る!(斬ってない)」といいますか、初めこそ時代考証の誤りや苦労を指摘するような連載だったぽいんですけど、だんだん時代劇への愛が溢れてとまらなくなっちゃったような勢いを感じる愛おしい文章が楽しめるものとなっております。
各章の概要と、私の感想を紹介してまいりますね。
第一章 時代考証が支えるNHK大河ドラマ
歴史好きや大河ドラマファンにとっては「あるある」なエピソードが並んでおります。
一番本書のタイトルに忠実な章と言うことができるでしょう。
例として……
江の序盤。
スタッフ「小谷城燃やしましょう」
↓
↓
スタッフ「落城がひと目でわからないから、ちょっとだけ火をつけましょう」
↓
小和田哲男さん「ちょっとだけですよ」
↓
放送「大炎上」
といった有名なエピソードであったり。
「戦国史を歩んだ道 感想」小和田哲男さん(ミネルヴァ書房) - 肝胆ブログ
二木謙一さんが
・織田信長の時代にタバコはない
・毛利元就の時代に打ち上げ花火はない
・村上水軍の時代に望遠鏡はない
といった指摘をして、ドラマへの登場を水際で防いだり。
篤姫のときに「幾島」さんの新史実が判明したので急遽台本を変更し、松坂慶子さんのスケジュールを押さえ直して結果として名シーンを生むことができたり。
(江戸総攻撃の中止を嘆願する書状を西郷隆盛さんに届けるシーン)
などなどのウンチクネタの数々を披露いただいております。
素直に「へえ」と楽しめる章ですね。
第二章 時代劇黄金期の考証家たち
この章からは時代考証そのものの歴史、といった趣になります。
とりわけ二章はストイックな厳しさに溢れていて、史実重視主義の方から見れば「そうだそうだ」と頷くような内容が多いですね。
三田村鳶魚さんや稲垣史生さん、森銑三さんなど考証家の先達方のエピソードを交えながら、当時の時代劇・歴史小説家がバッサバサ斬られていたということを紹介いただいています。
三田村鳶魚さんのコメント
「小説だから、善人を悪人に、夜を昼に、どう扱ってもいいけれども、どうしてもその時代にないことを書き出すのは、どういうものだろうか。例えば、現代のことを書くにしても、昭和の今日、洋服姿で大小(の刀)を指しているものを書いたら、どんなものだろうか。それを考えれば、すぐ分かる話だ」
であったり、
稲垣史生さんのコメント
「歴史小説は史実的拘束を離れ、芸術的形象を追うことにおいて自由である。そうでなければ小説ではない」と綴る一方で、「作品の現実感のために、史実を変えてはならぬというリアリズムの立場」が歴史小説には必要で、「歴史小説では、徹底した史実主義によってのみ、過去の人間を描きうるのだし、人生の心理に肉薄しうるのである」
であったり。
背筋が伸びるような思いがいたします。
第三章 歴史小説家の功罪
一章でウンチクを語り、二章で厳かな時代考証の先達を紹介いただいたのですが。
三章からは著者さんの本音と言いますか、「時代劇・歴史小説の持つ懐の深さ」話が増えてまいります。
例えば司馬遼太郎さんが亡くなる前後から、読者の多くが「司馬が書いているのだから、それは全部史実なのだろう」という残念リテラシーな感じになってしまったり、歴史小説が「行き過ぎた教養趣味」「史実か否かばかりを問う姿勢」「自己啓発のように作品を扱う」のような感じになっていってしまったりという世相を挙げつつ。
一方では山田風太郎さんたちの伝奇小説や、佐伯泰英さんたちの文庫書き下ろし時代小説が、歴史エンターテイメントを盛り上げてくれたということを紹介しております。
佐伯さんのコメント
自分の作品は「消耗品」でかまわない。いっとき、読者が実生活の憂さや悩みを忘れるための「慰め」となれば、作品自体は忘れ去られてしまってもかまわない
は、二章の厳格な考証家たちに負けず劣らずの信念を感じたりもしますね。
歴史をあくまで舞台設定として活用して、読者を楽しませることに徹するのも立派な娯楽というスタンス。
確かに、どれだけ史実に忠実だったとしても、創作作品として面白くなかったら意味ないですもんね。
第四章 新しい時代考証を求めて
二章の厳しめな時代考証、三章の緩やかな時代考証を踏まえて、今後の歴史考証のあり方について様々書いてはる章となります。
学問としての正確性はともかく、日本人が歴史好きなのは「鞍馬天狗」の存在が大きかったのではないかという著者の意見はおもしろいと思います。
個人的にはこのご意見は賛成です。
人は面白いものの周りにしか集まってこないもので、細部知識のマウント合戦場と化したコンテンツは衰退しちゃいますもんね。
また、一章の大河ドラマの話にも繋がるのですが、ドラマ制作現場は明確に「〆切」がある訳でして。
一方で歴史研究の専門家も「大奥で将軍と正室は同じ布団で寝るか否か」といったTV制作上必要な生活風景の細部までは知らないことも多かったりと(質問されて慌てる)。
限られたスケジュールのなかで、視聴者が思っている以上に制作側と考証側が協力し合って細部クオリティを高めようとしている、といった話もよかったです。
というか、本当に「時代物」の製作現場って大変なんでしょうね……。
第五章 時代劇復興の牽引者たち
大森洋平さん、山田順子さん、市川久夫さん、西村俊一さん、逸見稔さん、能村庸一さん、ペリー荻野さん、春日太一さん、小池一夫さん、大石学さん、天野隆子さん、中野良さんといった、近年の時代劇を取り巻く数々のキーパーソンを紹介いただいております。
大森洋平さんの著書「考証要集」(文春文庫)は私も小説を書いた時に参考にさせていただきました。
とても勉強になったとともに、修正すべき個所が数多あることに気づいて目の前が暗くなったことを覚えております。
文春文庫『考証要集 秘伝! NHK時代考証資料』大森洋平 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS
第六章 これもまた時代劇
著者さんの時代劇愛は高まるばかりで、歴史小説の挿絵や、「タイムスクープハンター」、「センゴク」「信長のシェフ」「へうげもの」といった漫画作品まで、どれもこれもいいよねといった章になります。
ほんとに間口広いですね著者さん。
学習漫画の監修を担当した川口素生さんが、連携されてきた漫画の源義経死亡シーンに桜が舞っているのを「現代の暦でいえば六月十五日のことだから桜はおかしい」ということで漫画をちょっと修正してもらったというエピソードは印象的でした。
第七章 特撮時代劇の系譜
著者さんの時代劇愛はとどまるところを知らず、特撮ものと時代劇の系譜まで語り始めます。
もはや時代劇史というより特撮作品史といった佇まいの文章になっていて超面白い。
著者さん一押しの作品「変身忍者 嵐」が「ウルトラマンA」に惨敗して迷走し、シリーズ化が実現することもなかったというくだりの文章は情念が籠りまくっていてとても良かったです。
「仮面ライダーオーズ」の劇場版で「暴れん坊将軍」とコラボした件も拾ってはりました。
主人公らが江戸時代にタイムスリップし、暴れん坊将軍こと八代将軍徳川吉宗と出会う。そこに特段の意味もストーリー展開もないのだが、松平健演じる吉宗と仮面ライダーオーズが交互に敵を倒していく立ち回りは、明らかに時代劇へのオマージュだろう。
あれは楽しい映画でしたもんね。
……と、歴史考証の話を真面目にやっていたはずが最後の方は特撮史や「るろうに剣心」の話をして締めるという楽しい新書になっておりますよ。
考証ウンチク以上に、著者さんの時代劇(+特撮)愛を受け止めて共感いたしましょう。
本のソデに書いてはる通り、「時代考証がしっかりしていれば面白い作品になる訳ではない……フィクションにはエンターテイメントを追求する自由がある」「その一方、真実を追求する歴史学には犯すことのできない固有の価値がある」「その両者が交差する地点にこそ理想の時代劇があるのではないか」といったところが著者さんの主張かと思われます。
まったく同感であります。
読者視聴者側も、「おおらかに楽しむ心」と「言うべきことは言う心」を両立できる器量の大きい人が増えていきますように。
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いや本当に、一度書いたら痛感しましたけど、考証ってほんま大変ですよ。
食べものとか衣服とかはもちろん、台詞の単語一つひとつを「その時代にあったんだっけ」「語源……語源は……」って検証していくんですよ。
戦国時代の話ですと。
「もなか」はまだ発明されてないとか。
「醤油」は紀伊か堺ならセーフ……? とか。
当時は「幕府」という言葉は使わないとか。
「~~的」という言葉は明治以降に使われるようになったんだとか。
ていうか明治時代にできた言葉多すぎ問題だとか。
真面目に拾っていったらキリがないので最後は割り切りましたけど。
更に言えば、まだ戦国時代はマシです。
史料が少ないから。
この本を読んでいても「考証要集」を読んでいても、「江戸時代の考証」はほんまディープですよ……。
マニアがたくさんいらっしゃいますよ……。
明治以降は明治以降でミリタリーマニアが合流してくるし……。
歴史創作って、楽しいけど難しいものであります。
調べるの自体が楽しいんですけどね。