肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「六義園の庭暮らし 柳沢信鴻『宴遊日記』の世界」小野佐和子さん(平凡社)

 

 

大名庭園六義園」での暮らしを綴った書籍にかんたんしました。

 

www.heibonsha.co.jp

 

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大名庭園の「鑑賞」について書いた本はよくありますが、
大名庭園の「生活」について書いた本は珍しいと思います。


こちらの本は、田沼意次時代の大名「柳沢信鴻(やなぎさわのぶとき)」さんの日記をもとに六義園での暮らしを紹介してくださっているものです。

柳沢信鴻さんといえば徳川綱吉さんの側用人柳沢吉保」さんのお孫さんで、芸達者であったり女好きであったりというエピソードが世に知られております。

安永二年(1773年)に大和郡山藩大名職を息子に譲って隠居、以後寛政四年(1792年)までを駒込六義園で過ごされたそうで。

信鴻さんがこまめに綴った日記類は田沼時代の暮らしや出来事を知る貴重な文献として重宝されているそうです。

当著も「田沼時代を舞台に漫画や小説を創作しようとしている方」にとっては垂涎ものかと思われます。
隠居した大名の暮らしがどんなものだったのかを掴める一級資料ですのでおすすめですよ。

 


六義園柳沢吉保さんによって設営された大名庭園で、現代でも「西の兼六園、東の六義園という人がいるくらい名庭園として知られておりますね。

(ちなみに私が一番好きな大名庭園香川県栗林公園です)


私も2回くらい行ったことがありますが、まことに端正で美々しいお庭でしたよ。
手入れが行き届いているのが印象的でしたので、よいスタッフさんに恵まれているのでしょう。

門の向かいにアンパンマンフレーベル館(ショップ併設)もありますので、ちびっ子土産の入手も可能です。

 

 

この「六義園の庭暮らし」は


 一 山里の隠居所


 二 庭の歳月


 三 庭のめぐみを頒かち合う


 四 動物たちとの日々


 五 六義園を見せる


という構成になっております。

 

 

一章はプロローグ的な導入部で、信鴻さんが六義園で暮らすようになる顛末を記してくださっています。


「庭園は手入れされなければたちまち荒れてしまう」という部分は印象に残りました。

柳沢吉保さんの死後、六義園は訪れる人もなく荒れ果てていたそうです。
そして信鴻さんの死後も、六義園は明治時代に岩崎弥太郎さんたちの手で復興するまでやはり荒れ放題だったそうで……。

大名庭園は見物するだけなら素晴らしいものですけど、維持・管理の大変さについても慮ることが必要なんでしょうね。

 

 

 

二章は本著のメイン部分で、四季折々の庭暮らしについて記されています。

 


当時は水道が整備されていませんので、夏になると円中央の池が干上がってしまい、魚を桶に逃がしたり、その魚を鳥に取られてしまったり……


様々な花や野菜を植えて楽しんでみたり……


園を巡る薮のところから、往来の人々を見物してみたり……


夏は信鴻さん自ら草刈に励んだり……


秋は茸や栗の収穫を楽しんだり……


俳諧の集会を園内で催したり、屋敷の皆で月に一度芝居を演じてみたり、近隣住民や植木屋さんと案外気さくにつき合ってみたり……と。

 

隠居した大名さんの、豊かで、風雅で、大地に根を下ろしたような暮らしをまざまざと見つめることのできる章になっております。



信鴻さん、土筆を摘むのも花を愛でるのも、何をやるにも側室の「お隆」さんが一緒で微笑ましいです。

また、信鴻さんはお姉ちゃん大好きっ子でもあるのですが、その姉が亡くなった時の描写が切なくて身に沁みます。

天明三年冬、姉の死去ののち、信鴻は姉の愛した梅の古木を居室の門の傍に移し植え、翌春花が開くと、「移し植えて色は其の世に匂えども花は昔の春や忘れじ」と歌を詠み、一枝を菩提寺に納める。梅は姉を偲ぶよすがである。草木は、それぞれに所有者との結びつきを保持し、土地の記憶を運ぶ。植物が思い出をまとうともいえる。植物のやり取りは、植物にまつわる思い出を交換することでもある。


この文章、好きです。

 

 

 

三章は江戸時代らしい風習のひとつで、様々な人々との贈り物を介した交流を紹介する章となります。


六義園で収穫できる土筆や茄子や栗はモノとしても信鴻様お手ずからの収穫物としても垂涎の的だったようで。

いろんな人が園内の産物を所望してはります。


従兄弟の「米洲」さんに雨の中収穫した芋の子等を贈った時の……

君が為我衣手は芋の露 (信鴻)


濡つつの恵みかしこし芋の露 (米洲)


という句のやり取りがいいですね。

 


 

四章は野鳥や狐などにまつわるエピソード集です。


六義園ほど緑が多い場所には野生生物がたくさん集ってくる訳でして。

野鳥の鳴き声に耳を澄まし、詩歌の朗詠に遊ぶ情景はたいへん典雅です。


鶴の飛来を吉事として祝っているさまも素朴な祈りや願いを感じられていいですね。

 

 

 

五章六義園を人に見せる章です。


大名庭園を見物させるのは、親しい人や家臣に限った特別な「もてなし」だったんですけど。
(ブシメシでもそんな話がありました)

だんだん六義園の評判が高まり、グループツアーよろしく見物客が増えていく描写はなかなか愉快ですね。


この「他人に庭を見せる」という行為。

日本の歴史では、表向きの剛構造の裏で、詩歌やさまざまな芸能を通じての付き合いの場が、身分や立場のちがいを超えた柔らかい社交の場として大事な社会的意味をもっており、そこでの付き合い方は、社交と美の創造をかねる一種の文化装置として、高度に洗練された文化様式を備えるようになったとの指摘もある*。安永・天明の頃の江戸では、歌・踊りや文芸はもちろんのこと生け花や園芸が趣味として広く庶民にも広がり、身分境界の仕切りを通り抜ける場がいくつも生まれていた。六義園を見せることの背景には、身分や立場のちがいを超えて庭の美を共有しようとする、いうならば、庭を見せる文化が存在したのである。
(*『美と礼節の絆―日本における交際文化の政治的起源』池上英子 NTT出版 二〇〇五より引用) 


という著者さんの指摘はたいへん意義深いように思われます。

 

 

 

こうした風情と喜びに彩られた六義園の暮らしも、側室の「お隆」さんが亡くなった頃から目立った活動が見られなくなっていきます。
(お隆さん死後、ほどなく信鴻さんは剃髪しています)

通説の信鴻さんは一種のハーレム主のような言われ方をされることも多い人なんですが、実際の信鴻さんは等身大の心でお隆さんに寄り添っていた人だったのかもしれませんね。

 

 

 

以上、地味あふれるような心持ちを授けてくれる良著ですよ。

繰り返しですが田沼時代の資料としても最高です。


何より、著者の小野佐和子さんの古典詩歌、江戸時代の風趣風俗に対する教養の深さがものすごくて圧巻されます。

この方の他の著書も読んでみたいと思います。

 

 


また折よい季節に六義園を再訪する機会に恵まれますように。