月見うどんを食べていたらコロンブスの卵的なことを思いつき私すげえと一人でかんたんしていたのですが、興奮して周りに話しても誰も共感してくれなくて悲しかった次第です。
月見うどん(そば)という食べ物があります。
かけうどん(そば)の上に生卵、あるいは半熟卵を乗せただけで値段が60円くらいアップするあやつです。
完全に私個人の思い込みベースな話になりますが。
私はあの卵、これまでのン十年間の人生でずっと“具”だと思っていました。
そりゃそうですよね、追加のお金を払ってわざわざ乗せてもらっているんですもの。
“きつねのおあげ”とか“ちくわ天”とかと同じに扱ってしかるべきであります。
さぬきうどん系のお店には“半熟卵天”という親戚みたいな具材もありますしね。
で、“具”だったらどうなのかといいますと。
なんとなく心情的に「全部食べなければならない」「残したらもったいない」という気持ちになってしまうのです。
なりますよね?
(ひょっとして私だけなんでしょうか……)
そうすると、あのトロトロした美味しいけど掴みどころのないヤツをどうやってきれいに完食するかが問題になってきまして。
おつゆを完飲すれば万事解決ですが塩分とかいろんな障害があります。
箸で持ち上げるのは不可能です。
麺に絡めても100%食べきるのは困難です。
器に口をつけてすするのはビジュアル的にもタイミング的にも微妙です。
味としては麺に絡めるのが一番うまいように思えるので、いままでずっとそうしてきて、そのたびに絡めきれなかった卵を残してしまうことに罪悪感を覚えてきたのですけど……。
今日、月見うどんを食べていて天啓のように閃いたのです。
卵とは、“具”ではなくて“調味料”なのではないか。
おあげさんや天ぷらの仲間ではなくて、七味や刻みネギの仲間なのではないか。
ハッとしましたよ。
調味料だと、料理の風味を変えて楽しむアイテムだと割り切ってしまえば。
ちょっとくらいおつゆに卵が残ろうが罪悪感を感じなくて済む!
七味を一粒残さず食べ切ろうとか、ネギを一切れたりとも残すまいとか、あんまり背負い込まないじゃないですか。
(主観的な主張なのは自覚しています)
肩の力を抜いて、卵をもっとおおらかに楽しもうよ。
お前はもう充分に頑張った、これからは安らかに卵へ向き合えばよい。
そんな啓示を得た気になったのです。
お前は一食分の調味料に60円も出すのかと突っ込まれればその通りなんですが、もういい大人なんだからケチケチすんないとも考えられますよね。
よく考えたらすき焼きの卵とかも調味料よりですもんね。
……的なことを一瞬の間にあれこれ論理構築し。
長年のストレスから解放された喜びを伝えたくて、この英知を人類でシェアするべきだと思って、一緒にうどんを食べていた仲間たちにその旨を話したところ。
誰も共感してくれませんでした。
ものすごくどうでもええわという表情をいただきました。
なぜだ。
空回りに傷つきつつも、どこかで一人くらいはこんな発想を求めている人がいるかもしれませんので、一応ネットに記録を残させていただきます。
これからも卵が物価と衛生の優等生でありますように。