新書の「ハプスブルク帝国」がものすごく良本でかんたんしました。
今年一番泣いた歴史書は「武田氏滅亡」ですが、今年一番クオリティにかんたんした歴史書はこの「ハプスブルク帝国」です。
素晴らしい。
このクオリティで1,000円(税別)とは信じられない。
これを読むだけでハプスブルク君主国を軸とした欧州史の理解がそうとう進む。
「教科書的」な構成を極めたような内容になっております。
教科書的ってのは眠い、つまんない、という意味ではないですよ。
大きな政治・軍事の流れを記した後、同時代における社会・世相の動向、更には芸術家や学者などの活躍を紹介してくださる、そういった通史的・総合的構成のことです。
なんせハプスブルク家ですからね。
文化関係の記述もふんだんに厚くなるというものです。
図版も豊富、日本に関わるエピソードも豊富。
読み手の関心を惹きつけるようなワードが次々と登場してまいります。
巧みやなあ、熱意工夫がびっしびし伝わるなあ、と思わずにいられません。
さっそく中身に移ります。
全部で9章仕立てです。
第一章 勃興
ハプスブルク家の事績がある程度確認できるのは10世紀以降とのことです。
オーストリア・ウィーンのイメージが強い一族ですが、もとのルーツはドイツ・フランス・スイスの三国が境を接するライン川上流。
豪族的勢力から、徐々に神聖ローマ帝国の有力者に成長していく様が記されています。
当時の皇帝=国王はいわゆる絶対君主的な存在ではなく、有力諸侯による選挙で選出される仕組みでございました。
諸侯の支持がないと統治できないやつですね。
日本の中世とその辺は同じです。
やがて13世紀、ハプスブルク家のルードルフさんがドイツ国王に選出されます。
とはいえルードルフ一世の時代では、いまだハプスブルク家門王権というよりは、伝統的な中世帝国の再建に尽力していたというのが実像のようです。
本人が称していたのは「ローマ王」であり、鬨の声も「ローマ、ローマ、キリスト、キリスト!」というものだったようで。
第二章 オーストリアの地で
有力諸侯や諸身分(聖職者、貴族、都市民衆等)との調整に苦慮しつつも、ハプスブルク家が皇帝・統治者として定着していく様が描かれています。
ハプスブルクのもとで徐々に発展し始めるウィーン。
(14世紀の時点で人口は約二万人)
100%服属的とまでは言わないまでも、総じて生活が苦しい中世農民社会。
中世末期の社会様相を丹念に紹介いただける章となります。
第三章 「さらに彼方へ」
15-16世紀となり。
ハプスブルクは「マクシミリアン一世」「カール五世」「フェリーペ二世」といった偉大な栄君を得、ヨーロッパ世界で勢力を急拡大いたします。
武力もさることながら、周辺王国で後継者不足が続いたこともあって政略結婚による勢力伸長もしばしば。
フランスなどと対立しつつも、ネーデルラントやスペイン、更には大航海時代による世界各国の利権を得てまいります。
いままで以上に多様な地域をバランスよく治める役割になってきました。
カール五世の肩書のインパクトがすごいですよ。
「朕カール五世、神の恩寵によるローマ人の皇帝、いかなる時も帝国の拡大者、ドイツ、カスティーリャ、アラゴン、レオン、両シチリア、エルサレム、ハンガリー、ダルマチア、クロアチア、ナバーラ、グラナダ、トレド、バレンシア、ガリシア、マジョルカ、セビーリャ、サルディーニャ、コルドバ、コルシカ、ハエン、アルガルベ、アルヘシラス、ジブラルタル、カナリア諸島、カリブ海諸島、大西洋中の国々等々の王、オーストリア大公にして、ブルゴーニュ、ブラーバント、シュタイアーマルク、ケルンテン、クライン、リンブルク、ルクセンブルク、ゲルデルン、カラブリア、アテネ、ネオパトリアそしてヴュルテンベルク等々の公、ハプスブルク、フランドル、ティロール、ゲルツ、バルセロナ、アルトワ、フランシュ=コンテの伯、エノー、ホラント、ゼーラント、フェレット、キーブルク、ナミュール、ルシヨン、サルダーニャ、ズトフェンの宮中伯、アルザスの方伯、ブルクアウ、オリスターノ、ブルグシオの辺境伯、シュヴァーベン、神聖ローマ帝国のシュヴァーベンの候、カタルーニャ、アストゥリアス等々の候、フリースラント、ヴィンディッシュ・マルク、ポルデノーネ、ビスケー、モリナ、サラン、トリポリそしてメヘレン等々の領主」。
ぜったい暗唱できないやつですね。
それだけ一元統治が困難な、それぞれの歴史・文化・法慣習を有する地域地域の集合体を収める立場だった、ということとご理解ください。
(たぶん「以下略」とか言ったらメンツを潰された地方で叛乱が起こるのでしょう)
フェリーペ二世時代の「天正遣欧使節来訪」のエピソードも記載されています。
フェリーペ二世は日本の刀や衣服に強い興味を示し、中国のものとの違いを指摘するなど審美眼の一端を見せたとか。
日ごろの厳かで抑制的な態度と異なり、遣欧使節に愛想よく快活に接しはったので皇帝の側近たちは驚いたそうです。
だんだん文化面もハプスブルクっぽくなってきました。
マクシミリアン一世は文化の持つソフト・パワーをよく理解していて、ハプスブルク家系譜の正統性立証であったり、芸術家を庇護したり、「双頭の鷲」紋章の顕示であったりと、様々なアピールを手掛けたとのこと。
英明ですね。
多民族国家の統治といえば文化的統合。
古代ローマも少し前のアメリカもであります。
画家としてはルーベンスさんやティッツアーノさんなどが登場。
この辺から美術館好きの淑女が食いつく人物名が増えていきます。
第四章 「ドナウ君主国」の生成
17世紀。
宗教改革によるプロテスタント勢力への対応、オスマン帝国によるウィーン包囲、加えて三十年戦争という欧州大戦の勃発。
ハプスブルク家はこの難局を何とか乗り切っていきますが、やることが多すぎて欧州での覇権確立は頓挫したような形です。
どうでもいいですが、ウェストファリア条約って世界史の中で妙に耳に残りますよね。
第五章 主権国家体制の下で
17世紀末から18世紀初頭にかけて。
引き続き第二次ウィーン包囲や九年戦争やスペイン継承戦争などに苦しみ、なおかつ国内諸身分の動揺収拾に追われるも。
絶対君主というよりは緩やかな共同体の盟主といった形でハプスブルクへの支持が高まり、結果として再びハプスブルク君主国の国力・勢威が増していきます。
有名な「プリンツ・オイゲン」さんも出てきますし、多様な人材が持ち場持ち場で力を存分に発揮しているような印象ですね。
バロック文化の盛り上がりもすごいですよ。
偉大な建築群などに加え、オペラといった音楽文化の発展も素晴らしいです。
細川ガラシャさんを題材にした音楽劇「勇敢な婦人」は、皇帝レーオポルト一世の前で上演されたそうで。
「ガラシャは無知で野蛮な夫の非道な仕打ちに耐えて信仰を貫き、ついには殉教した人物」として知られていたようです。
細川忠興さんもまさかオーストリアで(歪んだ? 風説をもとに)ディスられているとは想像もできなかったでしょうね(笑)。
第六章 「何事も人民のために、何事も人民によらず」
「マリア・テレジア様ありがとうございます」の章です。
この方の実務的交渉力というか、合意形成力は素晴らしいですね。
子育ては若干しくじった感ありますけど。
文化面でも、ついにハイドンさんやモーツァルトさんが現れます。
この時代こそがよくイメージされるハプスブルク家の爛熟なのかもしれません。
第七章 秩序と自由
18世紀から19世紀にかけて。
すなわちフランス革命・ナポレオン戦争、そしてウィーン会議……。
メッテルニヒさんの活躍などで知られる時代です。
一般的にはマリ・アントワネットさんの悲劇で知られる感じでしょうか。
文化的にはベートーヴェンさんやシューベルトさんが活躍していた頃です。
さて、ナポレオンさんの軍事的直接脅威もさることながら、それ以上に「自由主義」「ナショナリズム」の脅威が露わになってきております。
もともと複合的国家だったハプスブルク君主国で、革命的精神やナショナリズムが盛んになるということは……国家解体リスクが急速に高まっていくということなのです。
ウィーン会議後もクリミア戦争やイタリア統一政策で失態、斜陽感が高まります。
そして、国体は「オーストリア=ハンガリー二重君主国」へ……。
第八章 「みな一致して」
いよいよ19世紀末から20世紀冒頭です。
皇妃エリーザベトさんといった有名人が登場したりしつつ。
ナショナリズムは盛んになるばかりで、サライェヴォ事件を発端とした第一次大戦に敗れたのち、ハプスブルク君主国内の各地域が次々に独立。
「緩やかな共同体国家」というハプスブルク君主国の特徴が一旦は否定されることになりました。
ハプスブルク君主国の終焉。
ずっとハプスブルクの歴史を追ってきた読者にとって、喪失感はひとしおです。
当時のオーストリア国民にとってもそれは同じだったようですが……。
国が傾いている一方、文化はひとつの黄金期(一部退廃的)を迎えています。
文学にカフカさん。
心理学にフロイトさん。
生物学ではメンデルさん。
物理学ではマッハさん。
建築ではリングシュトラーセ様式(世界遺産「ウィーン歴史地区」にも内包)。
イベントではウィーン万博(日本展示も好評でした)。
とても挙げきれない……!
若いころのヒトラーさんがウィーンで画家になろうとして挫折したりもしてますね。
ちなみに、ヒトラーさんもスターリンさんも皇帝が住むシェーンブルン宮殿の庭園を好んでよく散歩していたそうです。
のちの独裁者たちはハプスブルクの黄昏に何を思ったのでしょうか。
第九章 ハプスブルク神話
ハプスブルク家のその後を、第二次世界大戦等の出来事を挟みつつ紹介いただき。
ハプスブルクが徐々に再評価され、あるいは観光資源として消費され……という戦後の流れを解説いただきます。
21世紀の現在もナショナリズムと共同体のバランスは最適解が出ておりません。
“EU”構想等の普及によりハプスブルク君主国の統治手法が再評価されたり、純粋に“古き良き時代”とシンパシーを集めたりするのは確かに理解できる風潮です。
その上で、ラスト2ページの著者さんのメッセージは白眉だと思います。
安易な比較や同一視には注意すべきだが、君主ー諸身分間の(議会制による)合意形成システム、封建制、継承問題(結婚政策)、複合的国制、普遍主義、「宗派化」、神権的君主理念、「財政軍事国家」、啓蒙改革、パターナリズム、自由主義、多民族性、ナショナリズム、工業化、反ユダヤ主義、都市化、大衆政治、帝国主義(大国主義)といった諸事象は、他国でもみられたものだった。この意味でハプスブルク君主国は、ヨーロッパ諸国と多くの特徴を共有する、「ふつう」の国だったのである。
ハプスブルク君主国に対する今日の再考・再評価の動きに行き過ぎがみられることに、注意を喚起しておきたい。
力及ばなかったもののナショナリズムの過激化に抗し、多民族・多文化の共存に努めたというハプスブルク君主国像は、多分に美化され単純化された見方である。「神話化」の誘惑を拒否し、多種多様な人・文化・地域の共存・共生をめぐる問題を丁寧に探求しようとする姿勢によってはじめて、ハプスブルク史は多くの示唆を与えてくれるものとなるだろう。
教科書的構成な良著のラストにこの文章。
最高です。
この姿勢こそを学ぶべきであります。
我々人間はなんでも単純化したものの見方が好きで、再評価が好きで、行き過ぎが好きな生き物です。
だからこそ、学問を志す者はこうした自制・自戒が必要なんです。
私もしょっちゅう三好長慶さん大好きみたいな文章を書き散らしていますので、こうした丁寧な心がけを常に抱いていたいと思います。
以上、「ハプスブルク帝国」のご紹介でした。
いい本なので歴史や欧州文化やウィーンに興味のある方には強くおすすめします。
内容もだいぶ端折りましたので、ぜひ自身の手で1ページずつ精読してみてください。
今年は一次史料・直近研究にもとづく良質な歴史本が多く誕生した年でした。
いい年だったなあ。
来年以降も
学問は学問としてまっとうに研究が進んで世の中に受け入れられて、
創作は創作として史実をリスペクトしつつ楽しい作品が増えていく、
そんな感じの流れで進んでいきますように。