肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「瓶詰地獄の矛盾と解釈」夢野久作さん(青空文庫)

 

夢野久作さんの短編小説「瓶詰地獄」が何度も読み返してしまうような仕掛けがいっぱいでかんたんしました。

 

青空文庫

夢野久作 瓶詰地獄

 

 

有名な小説で、解釈も読んだ人の数だけあるんじゃないかという内容です。

 

 

かんたんなあらすじを申しますと。

 

 

海岸で手紙の入った瓶が3本見つかった。

 

1本目の手紙。

島に助けの船がやってくる。

もはや私たちは生きていくことはできない。

崖から身を投げることにする。

 

 

2本目の手紙。

11歳だった私「太郎」と7歳だった「アヤ子」がこの島に漂着した経緯の説明。

10年ほど経って、アヤ子はどんどんけしからん肉体に成長していきよる。

さいきんはアヤ子も私のことを濡れた瞳で見てきよる。

あかん、一線越えてしまいそうや……。

聖書に忠実な私としてはそれだけは避けんと……神様……。

 

 

3本目の手紙。

お父さんお母さん早く助けに来て。

 

 

というものです。

 

 

 

以下、詳細なネタバレ……というか読んだ人向けに、矛盾・気になる箇所と、私の解釈を書いてまいります。

 

 

先にスタンスを述べておくと、「正解は存在しない、真実は読者の想像に委ねる」というタイプの作品だと思いますので、私もまた3種類の解釈を書き残しておきたいと思います。

3回読んだので、1回目・2回目・3回目それぞれの読後感想でもあります。

 

 

“地獄”とは、想像する人の数だけ場景が存在するのでしょう。

 

この小説は「瓶詰にされた地獄……それぞれが思い描く解釈」を読者にプレゼントしてくれる作品ではないでしょうか。

 

 

 

 

解釈と矛盾①(1読後感想)

第一の瓶。何があったんや。

第二の瓶。あ、聖書は婚前交渉禁止か。神父おらんから結婚できないということ?

第三の瓶。なるほど、アヤ子さんは実の妹だったのね。そらあかんわ。

 

瓶を出した順番は3→2→1ということやな。

3→2の間に10年、2→1の間にけっきょくヤッてもうたんやろなあ、しゃーない。

世間に復帰するのは難しいと悲嘆もするわなあ……。

 

アダムとイヴの時代とは違う。

人間はとっくに知恵の実を食べた後。性欲いう原罪をインプット済みや。

楽園ははじめから地獄になる定めやったんや……。

 

 

……あれ?

 

オープニングで3つの瓶が同時に発見されたと書いてたよな。

第三の瓶が発見されてないのに、第一の瓶で助けが来てるのは変やんか。

 

第二の瓶には鉛筆がもうなくなると書いてる。

鉛筆ないのに第一の瓶の手紙をどうやって書いたんや

 

 

ん? んん??

 

 

というものでした。

 

モヤモヤしたのでもう1回読んでみることにします。

 

 

 

解釈と矛盾②(2読後感想)

よく読んだら、第二の瓶は突っ込みどころだらけやんか……。

 

崖の上に青い葉を吊るしたというといて、後半では葉が枯れとる。

磐の上で祈るアヤ子のパラグラフ、夕方やったのに次の瞬間には青空になっとる。

これは……文中では「処女」「清浄」とか書いてるけど、本当はもうとっくに一線越えてしもうてたんちゃうかな。

越えてたからこそ青い葉を吊るすのをやめ、リアルタイムでまた越えたんで夕方から青空まで時間が経過したんやろ。

私たちのまごころを瓶に封じ込めて海に投げたとは言うけど、さすがにホンマのことまでは書けんかったちゅうことで。

そういう心理は分かるで。
人間、誰も読まん日記にも嘘や見栄を書いてまうもんや。

 

 

 

……うーむ。

 

第二の瓶内の矛盾はある程度こうやって解釈もできるけど、やっぱり第三→第一の矛盾(瓶は両親のもとに届いていない)、第二→第一の矛盾(鉛筆残量)は残るな。

 

瓶の順番が3→2→1ではない?

いや、余計変になる、矛盾が増える。

 

 

瓶は届いてないけど通りがかった船が助けに来てくれた、乗っているのは親じゃないんだけど神経がやられてる二人には親に見えた。

実は鉛筆の残量はまだまだあったんだけど、上記解釈の通りホンマはすでにヤッてもうてたから、良心の呵責に耐えかね鉛筆残量のせいにして書くのを止めた。

 

こうすれば繋がる……か。

 

うん……これが正解……??

 

 

 

いや、待て待て。

そもそも第三の瓶から第一の瓶まで10年以上の間隔があるはず。

 

それなのに、三本の瓶が同時に発見されること自体が不自然ちゃうか?

いくら海洋研究所が瓶探しのお触れをさいきん出したからって、10年前の瓶と他の瓶がいっぺんに発見されるのはご都合主義が過ぎるような……。

 

 

だいたい……聖書で字を学んだって。


聖書に載っている漢字は書けて、載ってない漢字はカタカナで書く。
それは分かる。


聖書の漢字に都合よくルビが振ってあったんだろうと考えておこう。

それでも、聖書というインプットひとつで、第一の瓶・第二の瓶のような文体を使いこなせるようになるもんやろか?

そもそも聖書とは難解な書物、子ども二人で正しく語意を理解できるかどうかすら怪しいはずやんか。

とりわけ第二の瓶。序盤こそ子どもっぽい文体だけど、後半にいくほど描写が切なく美しく彩られていく。

こんなん多様で豊富なインプット抜きには書けないような気が……。

 

 

やっぱりなにか変だ。

 

 

そういう訳で、もう1回読んでみることにしました。

 

 

 

解釈③(3読後暫定結論)

読めば読むほどに。

 

11歳と7歳の子どもが、聖書というインプットのみで育った状態で書いた文章とは思えません。

年や季節によって潮流も違うのに、時間差で流した瓶がまったく同じ海岸に到達するのも不自然です。

 

 

すなわち。

 

 

この一連の瓶詰手紙はフェイク。

何者かによる創作ではないでしょうか。

 

 

 

そう結論を出して「瓶詰地獄」でグーグル検索して他の方の解釈を見てみたところ。

 

……うわ、アヤ子=弟説まである。みたいな驚きもありつつ。

 

 

アンサイクロペディアの解釈がいちばん酷くていちばんフィットしたのでもうこれでいいやという気持ちになりました。

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/瓶詰の地獄

その真相は本文中には一切登場しない『瓶詰にされた手紙はエロい大好きなおじさん妄想で描いたもの』である。

 

新たな地獄の誕生や!

 

 

 

 

 

最後はちゃぶ台をハンマーで粉砕するようなことを書いてしまい申し訳ありません。

 

だってそうでもしないと辻褄合わないんだもん。

 

 

 

このように「瓶詰地獄」は読めば読むほどに疑問が湧いてくる、新たな地獄を想起してしまうという傑作兼怪作なのであります。

 

あれこれ思いつくことも出てきますので、ベルトコンベア的単純作業シフトに入る前とかに読んでおくといい感じに時間が流れていくのでおすすめですよ。

 

 

 

真実は読者の数だけ存在すると言いつつ。

よかった、不幸な兄妹なんていなかったんやという真実でありますように。