肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」西村繁男さん(飛鳥新社)

 

少年ジャンプ創刊メンバーにして3代目編集長である西村繁男さんの自伝を読んでみたところ。

ジャンプ創刊時の熱気や個性に満ちたエピソードは期待通りに面白く、その上臨時労働者組合活動潰しのエピソードが昭和経営史の一幕感があって予想外に面白かったものですから大変かんたんいたしました。

 

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少年ジャンプ創刊期のエピソード(第1章~第4章)

月刊誌「少年ブック」の苦戦、月2回刊行誌としての「少年ジャンプ」立ち上げ、好評を受けての週刊化……といった流れを振り返ってくださる内容です。

 

西村繁男さんはジャンプ創刊メンバーの一人(わずか4人の編集員で立ち上げたようです)ですから、どのエピソードも具体的かつ迫真味があって読みごたえがあります。

 

新人重視主義(後発なのでベテラン作家を確保できなかった)、アンケート至上主義、漫画家専属制度(せっかく育てた本宮ひろ志先生たちを他誌に取られぬよう)などなど、現在の少年ジャンプにも繋がるアイデアが次々に出てきてライブ感満点。

漫画や漫画雑誌が好きな方ならわくわくしっぱなしで読み進められることでしょう。

 

 

編集メンバーも個性的でいいですね。

 

著者の西村繁男さんは「外道マン」で「仁死村繁樹」として登場してはります。
(「地獄へ堕ちろ」しか言わない副編集長)

自伝を読んでも、だいたい「外道マン」通りな人物像を想像してしまいました(笑)。

 

初代編集長の「長野規」さんはスケールの大きい人物像で、熱意と経営者目線が両立している魅力的な方だったようです。

「激マン」でマジンガーZの打ち切りを宣言している場面でも筋が通った人物として一目置かれていましたもんね。

 

副編集長にして二代目編集長の「中野祐介」さんは上昇志向の強い叩き上げタイプですが、繊細な一面も持っていて人好きのする方だったようです。

「外道マン」ではムチャぶり編集長として平松先生を追い込んではりましたが、内面ではいろいろとストレスを抱えてはったのかもしれませんね。

 

後輩の編集者「加藤恒男」さんは秀才タイプで、永井豪先生の「ハレンチ学園」をモノにしてきはります。

本宮ひろ志先生を育てた西村氏とはライバル関係にあったようで、いい意味で互いの成果を高めあっていたような描かれ方で好印象でした。

 

 

本の中ではたくさんの漫画家さんが登場してきますが、その中でも著者との関係から本宮ひろ志先生の描写が際立っております。

わたしの胸の中に青春という言葉が、ある光芒をもって飛び交い始めていた。自分には想像もつかない青春を、二月の寒空に靴下もはかず空腹をかかえて、サンプルの絵を見せに来た二十歳になったばかりの本宮に見たのだ。

あるいは、本宮の絵を見ているうちに、自分も本宮の青春に参加できるかも知れないと錯覚したのだろうか。

「じゃあ、おれ、明日までにネームやって持ってきます」

と本宮がぶっきらぼうに言った。

一瞬わたしは、自分の耳を疑った。過去の本宮の最高のペースが、三ヵ月かかって三十一ページの読切一本だった。三回分のネームと言えば、九十ページ分に相当する。

 

言葉通りに一晩で連載三回分の「男一匹ガキ大将」ネームを仕上げてきた本宮先生。

しかも内容は西村さんが唸るほどの完成度。

パネェ……っす。

 

 

 

臨時労働者組合潰し(第5章)

っといっても、西村氏が主体的に潰したわけではありませんが。

西村氏が目撃した集英社小学館(親会社)の労務担当者の冴えっぷりが凄いです。

 

事情としては、少年ジャンプも含め、当時の集英社はフリーの編集者を多く雇用していて、彼らの力は雑誌作りに欠かせなかった。

しかし、フリー編集者の待遇は正社員編集者と比べてあまりにもよくない。

そこでフリー編集者たちが組合を結成して運動を始めた、しかも旗を振っているのはジャンプのスタッフ「遠崎史朗」さんだったという。

 

配下から組合活動家を輩出するとなると、西村氏の立場も苦しい。

 

西村氏は彼らの言い分に同情的だったのですが……

何しろ昭和のことです。

組合側も激しいし経営者側も厳しい。

 

会社は、一切団交には応じない上に臨時雇用者(組合員を除く)を対象とした正社員登用試験」を実施することで臨時労働者組合をボロボロに分断することに成功。

もちろん、これで正社員登用の道が拓かれたので救われたフリー編集者も多かったようなのですが、臨時労働者組合を率いていた遠崎氏は辞職に追い込まれることになりました……。

 

 

と終わったら後味がすこぶる悪い話なんですが、この遠崎氏がユニークな人物で、ジャンプ編集部も人情味に厚くて。

 

遠崎氏は退職後なんと「漫画原作者」としてデビューし、シレッとジャンプで「アストロ球団」などをヒットさせていくのです。

 

 

「よしわかった。遠崎くん、こうしよう。きみは今までどおり、会社に来るんだ。今だって仕事を干されているから、ほとんど座ってるだけだ。その間に原稿を書けばよい。そうすれば現在の収入は確保できる。採用できる原作が書けるようになれば、原作者として独立すればいい」

「そうしていただけると助かります。原作を書かせて下さいとお願いしたものの、当座の生活費は喫茶店のボーイをやろうかと、漠然と考えていたんです。ありがとうございます」

 

なんかもう現代の会社組織とは全く違う熱と勢いと雑さを感じさせられますね。

 

単なる悲惨な話でないことも含めて昭和経営のリアルな場面を切り取ったような触感のある章で、個人的にはとても面白かったです。

 

 

 

ジャンプ編集長として、集英社経営陣として(第6章~第8章)

ここからは駆け足でさくさくと進んでいきます。

自伝という性質上、近年の話は生々しすぎて深入りする気になれなかったのでしょう。

 

サーキットの狼」によるスーパーカーブーム、山止たつひこ先生による「こち亀」の開始、そして鳥山明先生・ゆでたまご先生の登場などなどにより……

ジャンプは発行記録を次々に塗り替えていくことになります。

 

がきデカ」「ブラックジャック」等によりチャンピオンが強かった時代、ラブコメ路線が当たってサンデーが元気だった時代など、ライバル誌も少し触れられていて楽しいですね。

 

ブコメに追随したくなくて「北斗の拳」を世に出した判断は素晴らしいと思います。

「おまえは、もう死んでいる」

このセリフとともに日本中に『北斗の拳』が浸透していった。残虐シーンを映像処理でカバーしたテレビアニメも五十九年には放送が開始された。まさに北斗の一撃は、ラブコメを粉砕したと思う。

 

現代に至るジャンプとアニメのメディアミックス具合について、鳥島和彦氏の鋭すぎる才能を危ぶみつつ着実に発展させていったことも特筆されております。

 

 

その後、西村氏は役員会メンバー入りを果たしますが、ご本人的にはジャンプ時代ほどのやりがいを得られなかったようです。

もちろん自伝には書いてないあれやこれやがあったのかもしれませんが、モチベーションの低下は否めなかったのでしょう。

やがて西村氏は集英社を去ることになり、この自伝も終わりを迎えます。

 

 

 

 

ジャンプが好きな方、とりわけ昭和時代をご存知の方ならそうとう楽しめる本ですよ。

懐古趣味になり過ぎるとアレですが、先人をリスペクトするのは有意義だと思います。

 

これからもジャンプが熱くて魅力的な雑誌でありますように。

 

 

この飛鳥新社の本は絶版っぽいんですが、幻冬舎から文庫版も出ているそうです。