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かんたんにかんたんします。

「南部信直 戦国の北奥羽を制した計略家」森嘉兵衛さん(戎光祥出版)

 

戎光祥出版から最近復刊された「南部信直」のさらば戦国時代感がなかなか面白くてかんたんしました。

 

戎光祥出版株式会社 / 中世武士選書35 南部信直―戦国の北奥羽を制した計略家

 

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昭和42年に刊行された「津軽南部の抗争―南部信直―」を再刊したものとのことです。

 

50年前の本ですが、南部家は記録が2度の火事でほとんど失われたとのことですから、この本以降も研究はあんまり進んでいないのかもしれません。

最近の南部家研究論文とかあれば読んでみたいですね。

 

 

本は五章構成です。

以下、各章のタイトルと概要と感想を書いてまいります。

 

 

第一章 中世の北奧と南部氏の系譜

南部家という家の素性の不確かさを説明いただいた上で、主に三戸南部家(本家)と八戸南部家が二大実力者であることを紹介いただけます。

更に15世紀の怪奇伝説「蛎崎蔵人の乱」が取り上げられ、主に八戸南部家の活躍で乱が収束したことを強調いただきます。

 

 

蛎崎蔵人の乱……

下北半島の実力者「蛎崎蔵人」さんが南朝復興を掲げて安東氏やアイヌ兵らとともに蜂起した事件で、乱は最終的に八戸南部氏を中心とした連合軍に敗れ、蛎崎蔵人さんは蝦夷地に逃れた……信長の野望でも登場する蠣崎氏はこの蛎崎蔵人さんを祖とするとも……てな事件でありまして。

 

奥州探題大崎氏の官位推挙状なんかが残っているので「乱が本当にあって」「当時の政権が認知していた」ことは間違いなさそうなのですが、乱を伝える記録の各種数字が妙に壮大だったり火牛計が登場したりと偽書の疑いもぷんぷんするという。

 

筆者さんもどこまでが真実かは分からないが、元となる事件があって、当時は三戸南部家よりも八戸南部家の方が勢いがあったということの傍証にはなるのではないか、という扱われ方をしております。

 

 

こんなに強かったと思われる八戸南部家ですが、16世紀に入ってからは当主の短命が続いてだんだん力を落としていったようで……。

 

 

 

第二章 南部氏の台頭

戦国時代に入って、南部家による津軽支配(もともと治めていた安東氏を追った)や斯波氏攻略を紹介いただくパートになります。

 

南部晴政さんについて

どうも晴政という人は領主としても人間としてもあまり大した人物ではなかったらしい。女性の問題で、部下から反感をもたれ、城に火をつけられたり、せっかく定めた相続人(信直)がいやになり、これを暗殺しようとしたり、周辺の諸豪族からも不信感をもたれていた。

 

などと盛大にディスっていたり、

 

素性の怪しい在地土豪の戸沢九郎五郎盛安さんが迅速に秀吉さんの所領安堵を取り付けたことについて

天下への唯一の与えられたチャンスを最大限に活用し、天下の情勢に結びついた炯眼・敏速さは、ちょっと東北人離れしている。これに比べると、葛西晴信のふん切りの悪さはいい知れぬものがある。

 

と褒めたたえながらついでに葛西晴信さんをディスったりしている筆のノリが楽しい章であります。

 

昭和時代の史書はこういう表現……片方をほめて片方を落とす……が多かったですね。

平成時代のみんな違ってみんな良いみたいな表現よりも分かりやすいのは確かです。

 

 

 

第三章 信直による南部藩の創設

有名なエピソード「信直さんの南部家家督相続時のゴタゴタ」と「津軽為信さんの独立」を扱う章になります。

背景情報として、晴政さん時代の領地拡大はほとんど石川高信さんと九戸政実さんのおかげ的な断定をされていて味わい深いですよ。
(実際そうかも知れませんが)

 

政実さんの勢力が強大なので家督相続問題がややこしくなり、高信さんが病死したので為信さん独立の道が拓かれた、的な流れを解説いただけます。

 

その上で、時はまさに豊臣秀吉さんが小田原攻めを始めようとしている時。

南部信直さんと津軽為信さんはそれぞれ「中央政権との関わり」という点で大きな成果を上げていくのです。

 

時代は、すでに豊臣氏という中央政権が確立しているのである。私闘化したり、そう見られたりすることは最も危険である。これはすべからく、中央政権の指示によって処理したほうが安全である。信直は、常に安全率の最大公約数を基礎にして行動する人間である。彼はついに、中央政権の構造から領内の政治を考え、領土の保全を考えるようになった。それは戦国期を生きぬいてきた人にとっては、簡単なようで実は一番むずかしい転換であった。

 

もはや「信長の野望」的領土争いの時代ではないのです……。

 

 

 

第四章 天下への道

豊臣秀吉さんへの帰順、葛西・大崎一揆の勃発、九戸政実の乱、朝鮮出兵……という激流に揉まれる南部信直さんの章です。

 

ほんまによく生き残りましたね信直さん。

しかも信直さんは病弱でもあったそうで。存じ上げませんでした。

 

 

印象深い場面としては……

 

信直さんが小田原へ向かうかたわら、八戸政栄さんが留守を引き受けるシーン。

八戸南部家は自らの独立・所領安堵の申請をフイにして、南部本家と一体での存続を選んでくれたのです。

(結果論からの美談かもしれませんが)

 

 

その対になるのが九戸政実さんでして。

小田原城の陥落は天下の勢力を一気に東北に浸透させてしまった。このことは結局、奥羽における中世末的独立運動を否定することである。秀吉政権は中世末的独立運動の中から生まれて、それを否定する社会をつくることを目的としていた。政実は、小田原落城が中世末的独立運動を否定する転機であることに気がつかなかったのである。

政実は、この変化を見落としていた。彼の叛乱は、行動としては大浦為信の行動となんら異なるところはない。ただ、違うところは為信の行動は一年前で、政治的に戦国的独立運動が可能であった時代であり、政実の行動はそれが否定された時代のものであったことである。

 

政実さんの意地は美しいけれども、巻き込まれた一族・民草は……ですね。

 

 

あと、朝鮮出兵のなかで奥羽勢が日本中の武家と交流することになって苦労しているシーンが身に沁みます。

京いなか古本を云ふ事すたり物に候(昔からの由緒を誇る時代ではない)

日本のつき合にはぢをかき候へば、家の不足に候(日本国内の付き合いで恥をかいたらお家の大事)

 

津軽為信さんも前田家との付き合いで恥をかくことがあったようで、奥州勢が都会人とのコミュニケーションに苦手意識を抱いていた様子が偲ばれます。

一方で奥州の鷹や馬や金は都会人からも珍重されていたようですけどね。

 

 

 

第五章 信直の内政

信直さんの内政や娘への私信を取り上げつつ、全章の総括を行っているパートです。

 

金を秀吉さんに献上することに不満を抱く方々へ

天下何れも山河共、領主の物になく候。是非に及ばず候。筑前殿御国も越中の金山に御奉行相付け申し候。佐渡・越後・甲斐・信濃何れも何れも其分に候間、我等手前ばかりに限らず候。

と、どうしようもないわみんな同じやと説得していたりしているのがいいですね。

ほんまに戦国時代は終わったんやなあという実感に包まれます。

 

 

本著の最後では信直さんを評して

信直は、時代はもう「古本を無用とする」と明言したが、信直は中世末に生まれ、この「古本」を無用にする時代を巧みに利用して、近世南部藩の創立に成功した武将出身の政治家であり、知将であり、名将であった。

 

と讃えてはります。

 

仰る通りかと思いますし、時代の境目にあって見事な舵取りをされたことは特筆に値しますよね。

いわゆる戦国時代的ロマンからは遠い存在かも知れませんが、こうした名経営者も評価されて然るべきかと存じます。

 

家督相続の経緯&疑惑から陰謀系の人と評されることも多いですけど……)

 

 

 

 

南部信直さんを通じて描き出される「ハッキリとした時代の変化」が楽しい本でございました。

こうした視点は50年後の現在もなお鮮やかさを保っているように思われます。

 

 

歴史系の研究本は絶版も多いですから、こういう再刊は大歓迎であります。

中世・戦国人気が高いうちにどんどん良質な本が出版されますように。

 

 

 

 

 

おまけ。

信長の野望・大志の南部信直さん。

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信長の野望・大志「南部晴政と南部家(1560年川中島シナリオ)」 - 肝胆ブログ