肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

埼玉県「大里郡寄居町の鉢形城(長尾景春&北条氏邦)」と「深谷市の畠山重忠公史跡公園」

 

ゴールデンウィークということで埼玉県を旅してきました。

かねて行きたかった長尾景春さん&北条氏邦さんゆかりの「鉢形城」と、馬を背負う銅像で有名な「畠山重忠像」を見ることができ予想以上に素敵でかんたんしました。

 

鉢形城公園案内 - 寄居町公式ホームページ

畠山重忠公史跡公園 | 埼玉県公式観光サイト ちょこたび埼玉

 

 

鉢形城

埼玉県大飯郡寄居町にあります。

 

 

 

荒川と深沢川に挟まれた絶壁の上にある山城でございまして、文明8年(1476年)に長尾景春さんが築城しはったとのことです。

 

長尾景春さんはこの城を拠点に山内上杉家に対して反乱を起こしますが、残念ながらあの有名な太田道灌さんに敗れて追い落とされてしまいます。

負けたとはいえ長尾景春さんの乱は長期に亘り、ただでさえ享徳の乱などで弱っていた関東秩序はこれでますます崩れていき、やがて北条早雲(伊勢宗瑞)さんたち北条家の台頭を招くことになっていく訳ですね。

 

後に鉢形城には北条氏邦さんが入り、武田信玄さんや上杉謙信さんの侵略への備えとなったり、豊臣秀吉さんによる小田原攻めの際には前田利家さん、上杉景勝さん、真田昌幸さん、本多忠勝さんなどの豪華メンバーに包囲されたりというドラマが繰り広げられます。

北条氏邦さんは五万人の豊臣軍を相手に三千五百名で一か月半も粘り、最後は城兵の助命を条件に降伏したそうです。晩年は加賀前田家預かりになったそうで。

 

(参考:信長の野望・大志のイケメン氏邦さん)

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(強い)

 

ちなみに奥方は「大福御前」という親近感の湧くお名前であります。

 

 

 

 

そうした様々な逸話にまつわるお城ですし、日本百名城にも選ばれているしということで一度訪れてみたかったのです。

 

距離は東京から2時間ほどです。

池袋から東武東上線小川町駅まで行き、更に八高線折原駅へ。折原駅から20分ほどぷらぷら歩いたら到着しました。

 

城の入り口。左手には鉢形城歴史館がございます。

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かなりきれいに整備されていました。

撮影はできませんが、歴史館では城の歴史や見どころを分かりやすく教えていただけるのでありがたかったです。

全体的に北条家推しで、長尾景春さん要素は薄いですけど(やむなし)。

 

北条家って関東ではやっぱりすごく人気あるんですね。

大河ドラマ化されていないのは、五代に亘ってそれぞれの時代や人物が魅力的すぎて一つの物語として構成しにくいからなんでしょうか。

さいきんの大河ドラマを見ていると、むしろ史実ネタが適度に「少ない」方がドラマをつくりやすいのかなと思っています。

 

 

 

城の全容。

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かなり広いです。

訪れる際は歩き回る覚悟をしっかり決めてきましょう。

 

 

 

外曲輪から本曲輪方面に向かいます。

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以前訪れた山中城と同じく、芝生がきれい……だけでなく、土塁がまさに殺人的な高さです。静岡と埼玉で距離は離れていますが、やっぱり同じ北条家の城なんやなと思ってしまいますね。

北条家の名城「山中城」と三島市の「美観」 - 肝胆ブログ

 

 

 

本曲輪界隈。北条氏邦さんの御殿もこの付近にあったそうです。

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本曲輪から荒川を望む。

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ゴールデンウィークだけあって大勢の人が楽し気に遊んではります。

一方、鉢形城には人がほとんどいませんでした(笑)。

 

 

 

搦め手の笹曲輪。

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もうすぐ「寄居北条まつり」があるとのこと。

第57回寄居北條まつり5月13日(日曜日)開催‼ - 寄居町公式ホームページ

 

北条家と豊臣家の合戦を再現したり、北条家ゆかりの各地の食べ物が楽しめたりするそうですよ。

 

 

この辺りには石垣もありますが、徳川時代になってからのものかもしれないそうです。

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西側に足を延ばして二の曲輪、三の曲輪方面。

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写真ではわかりにくいのですが、堀にはうっすらと畝もありました。

どこの堀・土塁も高低差がすごくて、「攻めたくないなあ」と攻撃側の士気が下がること間違いなしです。

 

 

 

みんな大好き馬出・虎口の解説。

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鉢形城には馬出がたくさんあります。

この穏やかな芝生に秘められた殺意を偲びましょう。

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荒川にかかる正喜橋から鉢形城を望む。

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左手の木がいっぱい生えている辺りが鉢形城の本曲輪です。

荒川を背にした断崖絶壁の上にある訳です。

長尾景春さんの好適地を選ぶセンスにかんたんしてしまいます。

 

それにしても、荒川って東京で見るのと全然印象が違いますね。

 

 

 

以上、鉢形城でした。

 

マイホームや商売テナントと同様、築城も立地が大事だなあということがよく分かる城で見応えがありましたよ。

そして、好立地の堅城を更に人の手で強固にしていく北条家の執念染みた築城術にも恐れおののいてしまいます。

 

 

 

 

畠山重忠公史跡公園

続いて深谷市に移動します。

鉢形城から徒歩ニ十分で寄居駅秩父鉄道永田駅まで十分、更に公園まで徒歩ニ十分。たぶん人生で一番埼玉県を歩いた日です。

 

 

 

公園近くになると、なんと「重忠橋」の名が。

畠山重忠さん、地元ではいまも慕われているんだなあ。

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まったく知らなかったんですが、この「重忠橋」は「六堰頭首工」という巨大な治水・利水施設を有していてびっくりしました。

六堰頭首工 - 埼玉県

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巨大建造物好きとしてはサプライズな嬉しさがありました。

 

荒川を堰き止めて近隣の農業用水に活用しているそうです。

ルーツは徳川家臣の伊奈忠次さんによる治水事業とのこと。
内政で有名な方ですが、この辺りでも功績をあげてはったんですね。

 

 

 

治水のおかげか、道々では麦がよく実っていました。

埼玉県は麦栽培が盛んなんですね。

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さあいよいよ畠山重忠公史跡公園ですよ。

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畠山重忠さんは源平合戦の頃に活躍した武将さんです。

平家物語なんかにも登場してくるのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

 

大力・武勇に優れただけでなく、とにかく人物が素晴らしかったと様々な記録に残されていることで知られています。

看板にも書いていますが、「鎌倉武士の鏡」「坂東武士の鑑」とも評されますね。

曾我兄弟などの鎌倉系物語でも「畠山重忠さんが助けてくれた」みたいなエピソードがしばしば登場して参ります。

 

源頼朝さんの死去後は鎌倉幕府名物の内部粛清でお亡くなりになるのですが、粛清された側なのに「人柄最高」と史書などに記されているのはそれはつまり本当にそういうことだったのでありましょう。

(同時に、重忠さん粛清後の御家人憎悪を上手く捌き切った北条家の辣腕もすごいなと思います)

 

 

重忠さんの死後、畠山家は足利氏から養子を迎えてお家を保ちます。

そうして足利一門の管領家として室町時代にはブイブイいわせていたのですが、後に家督争いなどで衰えて戦国時代には三好長慶さん、上杉謙信さん、伊達政宗さんなどの有名人にしてやられていきます。

それでも重忠さん以来の家名は多くの武士の憧憬を集め続け、畠山氏は江戸時代も高家としてお家を保つことができた訳です。

 

家格や血統を素晴らしいものと言いすぎるのもアレなのですけど、畠山重忠さんの名前を出されてしまうとやっぱり畠山氏を粗略には扱えない……というのは多くの武士の本音だったんじゃないでしょうか。

だって当時の武士の教科書って源平や太平記の軍記ものですよ。どの教科書にも畠山は出てくるんですよ。そりゃその子孫が目の前にいたらハワワってなっちゃいますよ。

 

 

 

公園はそんなに広くありませんが、畠山重忠さんを愛する有志の方々の石碑記念碑があちこちに建立されていて、今に続く遺徳の大きさを感じさせられます。

 

なかでも目玉は「馬を背負う畠山重忠公の像」。

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有名な源義経さんの「鵯越(ひよどりごえ)」の際、みんなが崖を騎乗で下りていく中、優しい畠山重忠さんは馬が足を痛めぬよう逆に馬を背負って崖を駆け下りたというパワー系ハートフルエピソードを銅像にしてくださっているのです。

 

……こうやって冷静に実写化するとスゴイ迫力です。

馬ってポニーサイズでも軽く100kg超えるそうですから、畠山重忠さんの剛力ハンパなしであります。

 

史実かどうかはともかく、とりあえずJRAあたりに教えて差し上げたくなる話ですね。

 

 

 

公園内には畠山重忠さんのお墓や産湯の井戸なんかもありますよ。

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本当にいまも慕われているようで、訪問客が絶えない様子でした。

道沿いにあってアクセスがいいのも大きいのかもしれませんが、子連れのお父さんなんかが「畠山重忠かあ、ちょっと見ていこう」などと言ってはるのを耳にするとなんだか嬉しくなっちゃいますね。

 

埼玉県比企郡嵐山町「菅谷館(続日本百名城)と嵐山史跡の博物館」 - 肝胆ブログ

 

 

 

 

埼玉の旅、よかったです。

 

ゴールデンウィークだけど人が少なくて余裕で電車に座れたし。

都心部の方は、連休とかの際は埼玉を攻めてみるのもいいのではないでしょうか。

 

帰りには人生初の十万石まんじゅうも買えたし、土産お渡し先で相伴させてもらうのがいまから楽しみです。

 

 

明日も明後日もいい天気になって連休最後をみんなハッピーに過ごせますように。