「鉱物の人類史」という本を読んだのですが、内容は看板に偽りという感じであんまり史書的要素はなく、むしろ未来に向かって我々はどんなことを考えなければならないのだろうか的な内容になっていてうーむとは思ったのですが、それはそれでけっこう面白かったのでまあいいやとかんたんしました。
原著のタイトルは「Treasures of the Earth Need,Greed,and a Sustainable」。
こっちの方が本の中身を正しく表現していますね。
地球から得られる大事な資源を、需要と持続性を意識しながら扱っていこうよ的な。
日本の書籍マーケットでは衣食住だとか宗教だとか特定の切り口で歴史を扱った「●●の歴史」系の本が手堅く売れる印象がありますので、そっちの読者層も取り込もうとスレスレなタイトル調整をしたのかもしれません。
歴史ファンのニーズに応える本では正直ないと思いますが、一方で環境保全や資源開発やグローバル経営やSDGs等の潮流に興味があれば意外と楽しめるかと思いますよ。
本は3部構成になっています。
1部は鉱物……鉛、銅、鉄、塩、石材、金、銀、ダイヤ、石炭、石油……等の採掘や交易にまつわる様々なエピソードをご教示いただけるパート。
個人的には
というウンチクが妙に頭に残りました。
他にも金や宝石のマーケット動向、オイルサンド活用の模索等、ところどころ興味深い事例が出てきます。
いちばん「鉱物の人類史」っぽい部ではありますが、シュメールだのヒッタイトだのの要素はなく、近現代の資源開発の描写が中心ですのでお含みおきください。
2部は鉱物が引き起こす尽きることのない人類の消費・欲望、あるいは鉱業が引き起こす環境への著しいダメージ……といった、資源開発の負の側面、留意せねばならない要素をさまざま開陳いただけるパートです。
「そもそも人間にとって幸福とは何か」みたいな領域まで踏み込んで、思う存分著者が語っているのが好印象ですね。
西洋実務書独特の、著者が思想信条までオブラートに包まずガシガシ所信表明していくスタイルの文章、嫌いではありません(読みにくくはありますけど)。
明らかに環境保護を重視する立場にありながら、企業経営や消費行動を全否定しない、可能な限りフェアなスタンスを保とうとしている姿勢もよいと思います。
環境系の話をする人には極論的イメージが付きまといがちですが、中には全体バランスを重視する人もきちんといる訳ですよ。
3部はますます環境系の話になり、循環社会、それを達成するためのイノベーション、地域社会や顧客との対話……などなどの先進事例(とはいえ原著は2009年発行なのですが)を取り上げていただきます。
この頃になると「人類史どこ行った」みたいな気持ちは薄れ(諦め)、代わりに、環境も含めて「資源開発系経営者たるものアレもコレも念頭に置いたバランスよく持続性のあるマネジメントを行うべし」という主張に理解と共感の気持ちが湧いてきました。
この本で私が言いたかったのは、人口、非再生資源の消費、そして環境について、我々はもっと広い視野をもって(貧困削減、人間の開発、究極の目標である人類のサバイバルなど)議論すべきという事だ。
我々は、個人的な好みや感情によって歴史や科学を理解し、それに基づいて単純な考えに傾きがちだ。従って、百家争鳴の民主主義やひどく不平等な社会において環境に取り組む場合、結果は最適ではなく、ほどほどになる可能性がある。一方、功利主義な消費を徹底すると、味気なく進取の気性に乏しい社会が出現することになるだろう。物欲を認めることから出発しよう。そして地球を構成する要素や原料物質の複雑な関係を理解しようではないか。そうすれば人間が世界を滅ぼす自業自得な結果にはならないであろう。
SDGsなんかもそうですが、これから人の上に立って組織を牽引していくような立場の人は、異常なほど広範で繊細なバランス感が必須になっていくのでしょうね。
世の中の大半の人は専門職になっていって、数少ない、半端ない目配り気配りのできる人だけが適切なリーダーシップをとれるようになっていくんだろう、ハードル高ぇな、でもそういう時代なんだろうな……資源開発系に限らず……という覚悟を迫られるというかね。
現代や未来では……複雑系的、統合的な姿勢と思考が必要にならざるを得ないんだろうと、かねて漠然と感じていたテーマを、こんなところでも突き付けられた思いです。
単純な物語が人を動かしきれない時代に突入ですね。
まあもちろん難しい話はよく分かりませんが、これから先も環境とかがなんかこういい感じでありますように。