前から気になっていた明治時代の小説「田舎教師」を読んでみたら、これが青年期の煩悶をすさまじくクリアに描いた傑作でかんたんしました。
高校の国語の教科書に載せたらいいのにと思うくらい。
私の中では夏目漱石さんの「こころ」に匹敵します。
以下、ネタバレを含みます。
実在した青年をモデルにした、救われない系の話です。
スカッとしたり笑い転げたり系ではありません。
埼玉北部を舞台に、貧乏と挫折と不健康とコンプレックスとを抱えた青年が悶々と日々を送り、夢破れ、恋破れ、病没していく物語。
貧困を理由に、東京で学問に励んだり栄達したりという思いは砕け散り。
仲の良かった学友たちはそれぞれの道で活躍したりイイ女を捕まえたりする中。
自分は望んでた訳でもない田舎の教師となって、日々給金を稼ぎ、親のこしらえた借金を補う毎日が、毎日だけを……という。
全編通してつらいことだらけなお話なんです。
貧乏描写が読んでいてつらい。
序盤の生活苦からしてつらい。
終盤の自分も病気、母親も病気、父親はひたすら頼りないがつらい。
何も持っていないのにエネルギーだけはあるのがつらい。
文学の同人誌を作り始めてすぐに投げ出すのがつらい。
友達同士で夢だけは壮大に語り合っているのがつらい。
こっそり東京藝大(音学校)を受験して落ちているのもつらい。
遊郭の女に入れあげるもあっさりと捨てられてしまうのがつらい。
何事も成さぬままに病に倒れるのがつらい。
生活を立て直そうと決意した直後に倒れるのがつらい。
まともな医者もいない環境で暮らさざるを得ない現実がつらい。
教え子の女性が自分のことを慕ってくれていることにもはや気づけないのもつらい。
世間が日露戦争の勝利に沸く中、主人公は人知れず命を落としていく対比がつらい。
あとに残された老いた母と、主人公を慕っていた女性、それぞれの寂寥がたまらない。
主人公のセリフが終盤に近付くほどにつらくなるのがつらい……。
「何か一つ大きなことでも為たいもんですなア――何でも好いから、世の中を吃驚させるようなことを」
こんなことを言った。そしてこれと同じことを昨年羽生の寺で和尚さんに言ったことを思い出した。堪らなくさびしい気がした。
「絶望と悲哀と寂寞とに堪え得られるようなまことなる生活を送れ」
「絶望と悲哀と寂寞とに堪え得らるる如き勇者たれ」
「運命に従うものを勇者という」
「弱かりしかな、不真面目なりしかな、幼稚なりしかな、空想児なりしかな。今日よりぞわれ勇者たらん。今日よりぞわれ、わが以前の生活に帰らん」
「第一、体を重んぜざるべからず」
「第二、責任を重んぜざるべからず」
「第三、われに母あり」
かれは「われに母あり」と書いて、筆を持ったまま顔を挙げた。胸が迫って来て、蒼白い頬に涙がほろほろと流れた。
「病気さえしなけりゃなア!」
「世の中と謂うものは思いのままにならないもんだ!」
こう書いているとなんでこんな暗い物語を読んで喜んでいるのか自分でも不思議なんですが、この小説、面白いんですよね……。
男女の違いや境遇の違い、時代の違いを超えた、青年期の普遍がありありと描述されているからでしょうか。
主人公「清三さん」の気の毒な部分も仕方ない部分も、たまらなく愛しい。
自分のかつてであったり、あの頃のアイツであったり、あるいはアノ人の息子さんであったり……数多くの若者の姿を「清三さん」の中に見出してしまうのですよ。
負のエピソード中心なるも、これはよい青春生活。
ティーンエイジの頃に読んで、年取ってからもっかい読むのがいい小説。
私が大学の先生なら、入試の現代国語に出して受験生を厭な気持ちにさせたいぞ。
病んでいる時ではなく、病みから復活した後に読むのがおすすめです。
現代日本にも主人公のような若者が無数にいらっしゃると思いますが、それぞれの煩悶を乗り越え、健康を害せず無事に大人になっていかはりますように。
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