肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

隠岐の島観光「島後:山中鹿之介潜伏先、水若酢神社、玉若酢神社、白島等」

 

隠岐の島にかんたんした続きです。

 

隠岐の島観光「島前:後鳥羽上皇、後醍醐天皇、摩天崖トレッキング等」 - 肝胆ブログ

 

 

こちらは島後。

 

 

島後には、山中鹿之介(幸盛)さんや尼子勝久さんがしばらく潜伏していたという伝承があり、城跡もいくつか残っております。

sitereports.nabunken.go.jp

 

 

 

潜伏先その①、国府尾城。

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島後中心部からほど近いところにあるのですが、残念ながら日ごろは現地の人も観光客も訪れることはなさそうな雰囲気で、やぶ蚊の大軍に襲われてえらい目に遭いました。

マムシとかもいそうな感じですので、訪れる際はご注意ください。

いちおう、城跡のある山が「城山」と呼ばれているようなので、城があったという事実は認知されているみたいです。

 

 

掘割?

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井戸の跡?

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このお城は港からも近いので、本土と連絡を取るにも隠岐経済に介入するにも便利だったのは間違いなさそうです。

 

 

 

潜伏先その②、宮田城。

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看板は発見しましたが、その先は民家&工事現場になっていて、ちょっと様子を見てもどこが登山口なのか分からないので潜入は断念しました。

内湾部に面している位置にありますので、こちらのお城も隠岐の水運経済に介入するにはよさそうな感じです。

 

 

 

潜伏先その③、勝山城。

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こちらも看板は発見しましたが、登山口が見つからない&見つけても山頂は遥か彼方ということで潜入は断念しました。

 

こちらのお城は島後の内陸部にありまして、なおかつ国府尾城と連絡を取りやすい位置にございます。

尼子再興軍の方々、毛利家の追手への備えをかなり入念に築いていたんですね。

仮に吉川元春さんとかが海を越えて隠岐に攻め寄せてきて、この島後を舞台に尼子勝久さんを守って奮戦する山中鹿之介さんとかが実現していたらそれはそれで絵になるような気がします。

激戦の果てに尼子主従は戦死するんだけど遺骸は発見されず、実は朝鮮半島まで逃れて満州まで行ってヌルハチさんと合流したんです的な伝説が生まれたりして。

 

信長の野望・大志「毛利元就と毛利家(1567年天下布武)」と「山中鹿之介言行録」 - 肝胆ブログ

 

 

 

お城から寺社に移りまして、まずは水若酢神社。

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こちらの神社も見応えがございます。

厚い茅葺がとてもご立派。

 

 

隠岐は相撲が盛んで、あちこちで土俵を見かけます。

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何人かの島の人に「やっぱり推しは隠岐の海関ですか?」と聞いてみたところ、

  • 稽古が足りない
  • 土俵際の粘りが足りない
  • でも好き
  • 怪我せずに長く続けてほしい

という意見でみんな一致していたのが印象的です笑。

 

隠岐の島出身の力士は八角部屋にたくさんいはりますので、要注目ですね。

 

 

 

 

続いて玉若酢神社。

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こちらの建築・茅葺もたいそう立派です。

いいですね、隠岐の神社。

 

 

鳥居の向こうに見える山が、国府尾城です。

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フォトジェニックな手水舎。めっちゃきれい。

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フォトジェニックな八百杉。めっちゃ神秘的。

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神社の次は、国分寺跡へ。

こちらも後醍醐天皇行在所跡と伝わっています。

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看板にもありますが、廃仏毀釈でお堂や寺宝の多くが焼けてしまったそうです。

天皇所縁の島故か尊王系教養の高さ故か、隠岐廃仏毀釈は激しかったようで……。

 

 

隠岐騒動という市民革命もやってはりますしね。

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史跡の後は、自然を。

小野篁さんも歌に詠んだという白島を観に行きました。

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残念ながら靄がかかっていてクリアに観ることはできませんでした。

小野篁さんは上司に逆らってリアル島流しにされてしまうも、その後見事に復帰して文才を以て活躍したという公務員の鑑のようなお方ですね。

 

「小野篁 その生涯と伝説 感想」繁田信一さん(教育評論社) - 肝胆ブログ

 

 

 

那久岬の燈台。かつては島後水道の道しるべだったそうです。

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島のあちこちで見ることができるアジサイ

年間を通じて咲いているそうな。

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その他のチップス。

隠岐にはカッパもいらしゃるらしいっす。

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ちゃんとぶっといキュウリが供えられていて感じ入りました。

 

 

 

写真は撮っておりませんが、隠岐は料理もおいしかったです。

観光的にはサザエやアワビやノドグロなどを推しているそうですが、私がいただいた中では「白バイ貝」「もずく」「アジの干物」などがしみじみと美味でお気に入り。

とりわけ白バイ貝は大きくて柔らかくてクセがなくて上品なうま味で、おすすめです。

 

 

以上、隠岐イイよ隠岐、というご紹介でした。

船旅、潮風、歴史、大自然

みんな一生に一度は隠岐に行ってみるといいと思いますよ。

 

 

私自身、もう何周か中世史や北前船や地学や生物多様性を勉強して、より隠岐の値打ちが分かるようになってから冥途の土産にもう一度再訪する機会に恵まれますように。