吉村昭さんの「仮釈放」が、人の善意を踏みにじる最高に読後感の悪い内容でかんたんしました。
読者の倫理観形成に影響を与えそうな内容ですので、個人的には青少年には勧めたくない……ある程度年齢や経験を重ねた人以外は読まない方がいいんじゃないか、とすら思いました。
それだけの面白さ、鮮烈さがあるんですけどね。
無垢な若い人には読ませたくないなあ。
以下、ネタバレをそうとう含みます。
あらすじにこうある通り、
浮気をした妻を刺殺し、相手の男を刺傷し、その母親を焼殺して無期刑の判決を受けた男が、16年後に刑法にしたがって仮釈放された。長い歳月の空白をへた元高校教師の目にこの社会はどう映るか? 己れの行為を必然のものと確信して悔いることのない男は、与えられた自由を享受することができるか? 罪と罰のテーマに挑み、人間の悲劇の原型に迫った書下ろし長編小説。
悔いることのない男が主人公なんですよね。
これは難儀、因果な話でして、「罪と罰」というテーマは罪の意識を抱くことがすべての出発点でありゴールでもある訳じゃないですか。
それなのに、この主人公は16年の服役をしてもなお、自分が悪いことをしたとは欠片も感じていないのですよ。
浮気した妻を刺し殺し、その浮気相手にも重傷を負わせ、浮気相手の家に放火して関係ない浮気相手の母を焼き殺すという所業を犯しても、「あいつらは死んで当然」という風になんら悔いるところがありません。
今風に言えばサイコパスとでも表現したらいいのでしょうか。
タチが悪いことに、主人公は元高校教師で、誠実・知的じみた雰囲気を持っていて、社会に相応に適応することもできて、罪を犯す前も、服役中も、出所した後も、きちんと仕事も生活も築き上げていくことができるタイプなんですよね。
それだけに、刑務所の職員、保護司、出所後の就職先の方々、更には再婚相手が、皆、主人公にすこぶる親切で、善意を施してくださるんです。
主人公もそうした善意にしっかと応え、皆に手ごたえを感じさせるような厚生っぷりを示しよるんですね。
でも、内心では一切反省していないんです。
悔恨の情がないのです。
毎日まじめに仕事をし、定期的に保護司を訪れ、生活ぶりは慎ましく、やがて再婚して平凡な所帯を構えるに至る。
そりゃあ誰がどう見ても模範的な出所者ですよ。
でも、内心では一切反省していないんです。
悔恨の情は遂に湧いてこなかったんです。
最終的に、主人公は再婚相手を再び殺害し、その足で保護司のもとを訪れ、媚びるような眼を表しよります。
この酷い展開よ。人の善意の無力感よ。
これならドストエフスキーさんの方がよっぽど人間に光を見出していますわ。
吉村昭さんの書いたこの小説には、救いも希望もなく、ただただ真っ黒な闇、「罪」に対する底のない諦念が満ちていて、「罰」の甲斐なさが際立っています。
人の知恵や努力や良心を嘲笑されているような感覚すら抱きます。
吉村昭作品ならではの淡々とした、事実味ある文章のおかげで、こうした読後感が嫌になるくらいしみじみしとしとと胸に刻まれてしまいます。
こういう作品、傑作を、幼い人には読ませてはいけないんじゃないでしょうか。
エロとかグロとかよりも、こういう小説をこそR-18とかにすべき。
積み重ねた経験なしにこの本を読むと、あくまで特殊な主人公を題材にした物語を悪い意味で一般化して、「罪人の厚生は無理」という救いのないバイアスの呪いにかかってしまうような気がしますよ。
逆に、いい大人は、この本を読んでみて、自身の倫理観や規範意識がどんな反応を示すかを試みてみるのも趣ある読書体験かもしれません。
非常に業の深い作品だと思います。
いい小説って、いい毒ですよね。
実際のところ。人の厚生に努めている人、人の善意の恩恵にあずかる人に、救いのある世の中でありますように。
「透明人間の骨 4巻(最終話)感想」荻野純先生(ジャンプ+) - 肝胆ブログ