青森県の恐山、および津軽氏ゆかりの城跡に行ってきたのですが、なかなかお目にかかれない霊場の雰囲気、また、失礼ながら意外なほどに立派な城跡の威容にかんたんいたしました。
恐山(むつ市)
862年に天台宗の慈覚大師によって開山された、日本三大霊場(比叡山、高野山、恐山)のひとつとして名高いですね。
ご由緒。蠣崎蔵人の乱について書かれているのが熱い。
境内の様子。この時点で独特の雰囲気が漂っています。
なんか空や土の色が違うのか、周囲の山があまり高くないからか、地図を知っているからか分かりませんが、「世界の果て」に来たような風情がございます。
恐山を象徴するアイテム「風車」も早速お目見え。
小さなお子様の霊を弔うためでしょうか、あちこちに備えられているんですよ。
風が吹くたびにクリカラ音が鳴るのが哀切を誘います。
お堂から西側にある「地獄めぐり」へ。
……のっけから異世界との境目感がございますね。
「地獄」の様子。
火山地帯のため、地面からは水蒸気がもくもくと立ち上がり、あたりには硫黄の匂いが充満しています。
写真は撮っていませんが、積まれた石の中には「また来るからね」などとメッセージが書かれているものがあって胸にきます。
自分より先に子を亡くしてしまったら……私も再訪してしまうかもしれません。
こうした霊場があることが、石を積むという行為の手本があることが、かすかな慰めになっているのでしょうね。
地獄に仏。
彼?のまわりだけ雲の切れ目から光が降りていて神々しい。
(仏様だから仏々しいと言った方がいいのだろうか)
地獄の先にあるのが「極楽浜」。
美しいのだけれども、極楽というにはあまりにも寂しい景色のようにも思えます。
仏教でいう悟り、涅槃寂静……静かな空寂の境地を極楽と見做すのでしょうか。
草履を置いたの誰。
こういうの、本当に胸にくるからっ。
以上の恐山霊場、1時間くらいで見て回れるほどの広さですが、その密度は非常に濃いものでした。
高野山もそうでしたが、人の立ち入らなさそうな山中に突如現れる異空間、古来より積み上げられてきた人々の思念……霊場って不思議な場所ですね。
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堀越城(弘前市)
「津軽為信 最後の居城」と冠されるとなかなか重厚味が増しますね。
津軽為信さんはこの城から出陣して石川高信さんを襲撃したそうです。
南部信直さんたち三戸南部家の皆様からすれば思うところがふんだんにあると思いますが、それだけ地元で大胆な行動をしながら、外交面でもいち早く豊臣秀吉さんに接近するという大胆さを見せた為信さんの手腕はやはりすごいものがございます。
立派な曲輪や土塁や堀の様子。
もちろん段階的に増築されていったものなんでしょうけど、平野部にこれだけ立派な平城を築くとは。
この地方の築城水準の高さに素直に驚かされました。
種里城(西津軽郡鰺ヶ沢町)
最後に津軽氏(になる前の大浦氏)発祥の地、種里城です。
近くには白神山地が。時間に余裕があればもっと周辺をぷらぷらしたかった。
山城ですので、軽く坂を登る必要がございます。
坂を登った上には牡丹園が。
ややデリケートな話なので深入りはできませんが、津軽家は近衛家とゆかりがあって、近衛家から牡丹紋を下賜されたと伝えられているそうです。
本丸跡。
いかにも古強者という風情の造形でいいですね。
銅像好き。
堀越城・種里城ともに、いわゆる白壁石垣天守閣のお城ではないのに、地元の方々からしっかり保全され、大事にされていることに感銘を受けました。
手入れも調査も大変だと思いますけど、一歴史ファンとしてとても嬉しいです。
以上、青森県で印象に残ったスポットのご紹介でした。
(他にも斗南藩の史跡等が印象的でしたがそれはまた別の機会に)
「斗南藩――「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起」星亮一さん(中公新書) - 肝胆ブログ
めったに行ける土地ではないだけに、感慨深いものがありましたね。
食べものもホタテの貝味噌焼きなんかがおいしくて幸せな気持ちになりました。
「流浪のグルメ 東北めし 3巻」土山しげる先生遺作(双葉社) - 肝胆ブログ
とてもお世話になった思いですので、またお伺いしたいです。
私に何ができる訳でもないのですが、青森県に何かいいことがありますように。