肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「下剋上 感想」黒田基樹さん(講談社現代新書)

 

黒田基樹さんによる戦国時代の代表的な下剋上事例を紹介する新書が発売されていまして、長尾景春さんを取り上げていてくれたり新たな視点で伊勢宗瑞(北条早雲)さんが高く評価されていたり最近の研究を採用して三好長慶さんのことも高く評価されていたりしてかんたんいたしました。

 

 

bookclub.kodansha.co.jp

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表紙画像。

"なぜ「主殺し」は、引き起こされたのか?”

しかし、上杉謙信朝倉孝景斎藤道三三好長慶織田信長と、全員「主殺し」というよりは「主追放」系の方が並んでいるのはいかがなものか笑。

本の中ではきちんと「主殺しをした長尾為景さんや陶晴賢さんは苦労したよね……」と「主殺し」と「主追放」を区別して記載されていますので、おそらく著者ではなく広告担当者さんあたりの筆が乗り過ぎたのでしょう。

 

 

 

内容紹介をオフィシャルHPから引用いたします。

戦国時代、なぜ、主殺しは引き起こされたのか?

 

<主な内容>
はじめに 下剋上の特質は何か
新たな身分秩序の形成/中世に頻繁だった

 

第一章 長尾景春の叛乱と挫折
――下剋上の走りは、太田道灌の活躍で鎮められた
転換をもたらした享徳の乱/「遷代の論理」と「相伝の論理」の衝突/主君としての器量を問題に

 

第二章 伊勢宗瑞の伊豆乱入
――「下剋上の典型」とは言いがたい名誉回復行為だった
書き換えられた「北条早雲」像/今川家の家督をめぐる内乱/茶々丸のクーデター

 

第三章 朝倉孝影と尼子経久の困難
――守護家の重臣が主家から自立し、実力で戦国大名化した
朝倉孝景と斯波家/越前国主としての確立へ/尼子経久と京極家/出雲の有力国衆を服属

 

第四章 長尾為景景虎上杉謙信)の幸運
――頓挫もした親子二代での下剋上には、幸運が重なっていた
上杉定実の擁立/最初の大きな危機/家督を晴景に譲る/晴景から景虎へ/景虎の思わぬ幸い

 

第五章 斎藤利政(道三)の苛烈
――強引な手法で四段階の身上がりを経た、戦国最大の下剋上
暗殺、毒殺、騙し討ち/十七年かけて戦国大名へ/嫡男義龍との抗争へ

 

第六章 陶晴賢の無念
――取って代わる意図はなかったのに、なぜ主君を殺したのか
西国最大の下剋上/主従関係の切断/隆房のクーデター/思わぬ戦死

 

第七章 三好長慶の挑戦
――将軍を追放して「天下」を統治し、朝廷も依存するように
戦国大名と幕府との関係が問題に/足利義晴細川晴元の和睦/細川家からの自立/将軍の反撃とそれへの妥協

 

第八章 織田信長から秀吉・家康へ
――下剋上の連続により、名実ともに「天下人」の地位を確立
将軍足利義昭の追放/独力で「天下」統治へ/羽柴秀吉下剋上徳川家康下剋上/最後の下剋上

 

おわりに 下剋上の終焉へ
「上剋下」の事例/封じ込められた下剋上

 

 

錚々たるメンバーが取り上げられていますね。

詳しい方であれば各章の見出しでなんとなく内容が推察できるかもしれません。

各領域のさいきんの研究を幅広く取り入れてくださっているので、ザっと知識をアップデートできる戦国時代本としてもおすすめです。

 

 

 

記述としましては、各章ともに冒頭で各人物の略歴と下剋上概要を紹介いただき、次いで詳細を解説いただく流れになっています。

 

 

個人的に好きな点を3つほど。

 

1つ目は長尾景春さんで、もともと意地や寂しさを感じる彼の生涯が好きなので、こういうオールスター本、多くの人の眼に触れるであろう新書の冒頭に取り上げてくれるだけでもう嬉しいです。

「戦国時代の始まりを示す象徴的な事例」と評されるのも納得感が高いと思いますし、長尾景春さんを学ぶと自動的に太田道灌さんスゲェな」となれるのも好ましいポイントだと思いますね。

 

 

2つ目は伊勢宗瑞さんで、いわゆる創作の北条早雲さんではなく解明が進んだ伊勢宗瑞さんとしての事績をしっかり紹介いただいた上で、

宗瑞のこの行動は、主君に取って代わるものではなかった。しかし室町幕府の政治秩序の構成要素であった堀越公方足利家を、幕府の承認のもととはいえ、それを討滅し、その領国を自らのものとして戦国大名に成り上がったことは確かである。

大名の身分になかったものが、隣接する勢力を打倒して戦国大名化したのは、間違いなく宗瑞が最初の事例であり、何よりもその領国に基盤を全く有していなかったものが、戦国大名化した事例としては、戦国時代の中でもこれが唯一である。

 

と高く評価されているのがいいですね。

確かに……伊勢宗瑞さん以外でそういう事例はパッと思い浮かばないです。

あえて言えば松永久秀さんとかでしょうか。
(こういう下剋上本で松永久秀さんがノミネートされないのも世の中変わった感ありますね)

 

俗説は俗説だとしっかり整理しながら、だからと言って短絡的に評価を下げるようなことをせず、実像をベースに新たな視点で評価する……という著者の姿勢が好き。

 

 

 

3つ目は三好長慶さんで、長慶さんによる前例が後の織田信長さんたち天下人の登場に繋がった……という内容なんですけど、そうした評価を関東戦国史の良質な研究で著名な黒田基樹さんに採用いただいていること自体が嬉しいです。

(おもねるような表現で恐縮です)

 

以前取り上げた列島の戦国史シリーズの「織田政権の登場と戦国社会」もそうでしたが、何となく畿内や四国の内輪で盛り上がっているような印象がなくもなくだった三好長慶さん再評価が、直近ではだんだん各方面の戦国時代研究者に採用されてきていて、ああ着実に定説化に向かっているんだなあと。

こういう動きを見つめていると、更に何年かすれば、戦国時代以外の歴史研究者や歴史ライターにも取り上げていただけるようなことが増えて、注目の高まりが更に研究の促進に繋がって……という風になるかもしれません。

まさに今日、飯盛城が国史跡に指定される的なニュースもありましたし、流れが続くといいなあ。

 

「織田政権の登場と戦国社会 感想」平井上総さん(吉川弘文館 列島の戦国史⑧) - 肝胆ブログ

 

www.sankei.com

 

 

この本で取り上げられた人物の中で唯一、

こうした事態になったことに、長慶はどのように思ったであろうか。その心情を伝えてくれるような史料は、いまのところはみられないようである。成り行きで「天下」統治までも担うようになってしまい、戸惑いは生じなかったのであろうか。逆に、意気揚々としたのであろうか。実際にはどうであったのか、ぜひ知りたいところである。

 

と「彼の実際の心情知りたいよね」と書いてくれていたのも嬉しいです。

三好長慶さんの生涯って、こちら側の人生観とかを試してくるところがあると思う。

 

 

 

あと、好きな点というより、今後に向けた関心という点でひとつ。

 

家格や官位について。

尼子家は経久の時は実現されなかったが、後継者晴久の時に守護職に補任された。朝倉家や長尾家、織田信長は後者の守護家相当の家格を獲得した。斎藤家も利政の時は実現されなかったが、後継者義龍の時にそれを獲得した。三好長慶も、室町幕府から最有力大名の家格を認められた。

室町幕府が滅亡すると、それに代わる「天下人」として織田信長が確立する。それまでの身分秩序は、室町幕府将軍家を頂点にして構成されたものであったから、将軍家不在により、そうした身分秩序への編成は行われなくなった。

もっともその後も、慣習的には戦国大名は「守護家」と表現され、あるいは国主と認識され、それなりの身分秩序観念は残存した。しかし信長は、それに取って代わるような、諸国の戦国大名に対する政治秩序の編成方法を確立するところにいかないまま、その生涯を閉じた。

だがその萌芽はみられていた。自身の「天下人」の地位は、朝廷官職によって正当化された。政権内部でも、官位による序列化がみられ始め、諸国の戦国大名にも官位推挙を行うようになっていた。これを引き継ぎ、明確な政治秩序編成の手段としたのが、信長の「天下人」の地位を引き継いだ羽柴(豊臣)秀吉であった。

 

と、段階的な秩序の変容を紹介してくれていまして。

 

下剋上した人は室町幕府のお墨付きを求めていたんだけど、

三好長慶さんや織田信長さんにより室町幕府秩序が崩れていくと、

徐々に朝廷の官位や官職による秩序が形成されていった、

ということです。

 

私自身、家格や官位の重みについてまだまだピンと来ていないところも多いので、引続きこうした当時の社会的評価に関する相場観は学んでいきたいですね。

最終的に室町幕府は滅んだので、私のような素人目線だと室町幕府栄典を過小評価して朝廷官位を過大評価しがちな気がしないでもないですし、その相場観も戦国時代の節目節目で違うみたいですし。

 

 

 

 

それにしても新書で、下剋上をテーマにしたガチ歴史本が出るとは。

この本を読んだビジネスパーソンや官僚はどんな風に受け止めるのでしょう。

 

とりあえず、優秀な人へ安易に下剋上をそそのかしたり、上の人に「あいつ下剋上しようとしていますよ」とか注進したりする風潮が起こりませんように。

我々が学ぶべきなのは杉重矩さんの事例(通説)かもしれない。

 

 

 

 

 

「じゃりン子チエ 文庫版17巻 感想 猛威を振るう危険酒"ばくだん"」はるき悦巳先生(双葉文庫)

 

じゃりン子チエ文庫版17巻。

これまでにも時々登場していた怪しいお酒「ばくだん」がますます話をかき混ぜるようになってきてかんたんしました。

いまよりは多少おおらかな昭和時代とはいえ、「ばくだん」を小学生が売っている姿を堂々と掲載していいのだろうか……笑。

 

 

www.futabasha.co.jp

 

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17巻収録の話は次のとおりです。

 

  • 商売繁盛のきざし
  • 良い子は木刀で育つ
  • 雑誌の「チエちゃん」
  • 「下駄ばきグルメの店」繁盛記①
  • 「下駄ばきグルメの店」繁盛記②
  • 「下駄ばきグルメの店」繁盛記③
  • 「押し売り出版」は二度テツをくすぐる
  • 「押し売り出版」倒産計画
  • 「押し売り出版」はどこじゃ
  • 突撃「押し売り出版」
  • 帳面の怪
  • コケザルの入院!?
  • 闇に動くモノ
  • 夏の責任
  • 責任の逆噴射
  • サービスの配達
  • 始業式まで夏休み
  • 宿題後遺症
  • ピアノ・リサイタルの夜
  • 恐怖がまた来る
  • 文潮新人賞
  • 「花井拳骨」論を読む
  • 続「花井拳骨」論
  • 地獄のバースデイ・パーティー

 

以下、ネタバレを含みますのでご留意ください。

 

 

 

 

 

 

前半は、雑誌でチエちゃんの店が取り上げられて大繁盛する話と、裏側でテツとコケザルがヤクザを強請る話。

中盤後半は、マサルのオジさんにかかわるお話を軸にバタバタと様々な騒動がおこる展開となります。

 

 

まずは各登場人物の名ゼリフを。

 

 

チエちゃん

服なんか着がえるより

"ばくだん"でもひっかけたい気分やわ

 

マサルの誕生日会に呼ばれ、小学生が言ってはいけないセリフを吐くチエちゃん。

マサルの母の暴走で、チエちゃんヒラメちゃんはもとよりマサル自身も憂鬱極まりない状態になっているのが笑えます。

 

 

 

マサル

オレが悩んでるのはお母はんがメチャメチャ機嫌ええからなんやど

オレとこのお母はんええこと続き過ぎて完全に自分を見うしのうてしもてるんや

あ・・あれっ

あれっ

な・・

あ・・

あ~~脱ける~~~

髪の毛が脱ける~~

 

ストレスで円形脱毛症になってしまったマサル

さすがにここまでいくと可哀想すぎますね。

 

 

 

雑誌記事

マイナーなホルモンにパワフルなバクダン

ノレンをくぐるとベアナックルのリングサイドにいるようなワイルドなフィーリング

 

チエちゃんのお店が雑誌で取り上げられ、女子大生等が大挙してやってくることに。

ベアナックルのリングサイド、という表現が秀逸だと思います。

 

それにしても雑誌記者が絶賛するくらい、チエちゃんの店のホルモンはおいしいんですね。おバァはんの仕込みが上手いのでしょうか。

 

 

 

テツ

女学生

ばくだん呑んで

退学生

 

ばくだんを吞み始めた女子大生を見て一句読むテツ。

意外な文学性を発揮しますね。

 

この後の回で、悩める文学青年たるマサルのオジさんを救うのもテツの隠れた人徳でしょうか。

 

 

ヤクザでも五発どつかれたらサラリーマンにサービスするで

 

夏休みの宿題に励むチエちゃんにちょっかい出して、ソロバンで五発も殴られたテツ。スイッチの入ったチエちゃんは無敵であります。

 

 

 

おバァはん

これは悪い酒でっけど通の者はけっこうばくだんを注文しまっせ

これこれ

嫁入り前の娘はんが

あの…

ばくだんは下品な酔い方しまっせ

 

ばくだんについて的確に勧めたり止めたりするおバァはん。

ばくだんを扱うお店サイドの認識が伺えますね。

 

 

 

お好み焼屋のオッちゃん(百合根)

アル中のプロとして忠告するけどな

ばくだんのチャンポンは人間変わるぞ

さぁばくだんで仕上げよかい

コップでばくだんは素人や

どんぶりもらおかい

 

ばくだんと言えばこの方ですね。

別れた女房に引き取られた息子関係で、案の定荒れ狂います。

アル中のプロ、という表現も今日的には全然あかん気がしますね笑

 

 

 

 

 

さて、このように猛威を振るう「ばくだん」。

 

これはやっぱり、同名のまっとうな方のお酒ではなくて、戦後に粗製乱造されたカストリ的なやつの方なんでしょうね……。

 

文庫版15巻でチエちゃんがお好み焼屋のオッちゃんにばくだんを注ぎながら

これやこれや

ははは

悪酔いして暴れるんやったらこの「ばくだん」が一番なんや

オッちゃんやったら一本呑んでも眼ェつぶれへんやろ

 

とコメントしてはりましたが(オッちゃんのアル中化にチエちゃんも確実に寄与している気がする……)、「眼ェつぶれる」という表現が出るあたり、この「ばくだん」は限りなくメタノールに近いアカンやつということなんでしょう。

チエちゃんとおバァはん、どこで仕入れてるんでしょうか……。

 

 

こんな酒を出してチエちゃんが補導されたりお店が潰されたりしたら不幸っぷりにますます磨きがかかってしまいます。

チエちゃんのばくだん酒提供がおおっぴらにならず(雑誌に載っちゃいましたけど)、これからも慎ましく暮らしていくことができますように笑。

 

 

 

「じゃりン子チエ 文庫版16巻 感想 ヒラメちゃん最高やなとなる鉄下駄編」 - 肝胆ブログ

「じゃりン子チエ 文庫版18巻 感想 おバァはんの謀略がエグい」 - 肝胆ブログ

 

 

「光と風と夢 感想 特に後半が好き」中島敦さん(青空文庫)

 

中島敦さんの南洋もの小説「光と風と夢」を読んでみたところ、はじめは西洋人の日記文学エミュレーターっぷりすげぇなと感心していたのですが、後半に進むにつれ主人公の自我の起伏がえらいことになってそれがまた大層美しいなとかんたんいたしました。

 

www.aozora.gr.jp

 

 

 

内容としましては「宝島」「ジキルとハイド」の著者として有名なイギリス人ロバート・ルイス・スティーヴンソンさんの晩年、南洋のサモアで過ごした日々を描く内容となっています。

 

以下、展開のネタバレを含みますのでご留意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

序盤はスティーヴンソンさんが回顧するかたちで彼の半生や病弱っぷりを紹介したり、南洋の暮らしを紹介したりします。

 

遠く西洋社会を離れてそれなりに快適な療養生活をサモアで送っている訳ですけれど、話のあう友人が少ないのがたまに胸にくる、という描写がリアルですね。

友人! 何と今の私に、それが欠けていることか! (色々な意味で)対等に話すことの出来る仲間。共通の過去を有った仲間。会話の中に頭註や脚註の要らない仲間。ぞんざいな言葉は使いながらも、心の中では尊敬せずにいられぬ仲間。この快適な気候と、活動的な日々との中で、足りないものは、それだけだ。

 

会話の中で余計な注釈が要らない関係、という友情の表現が好きです。

 

 

 

中盤はサモアにおける西洋諸国・現地人が入り乱れる政争に介入したりします。

 

政争介入時のスティーヴンソンさんは大変人道的な計らいをする方として描かれているのですが、それよりも印象的だったのは内紛で傷ついた現地の若者に対する描写。

二度目に病院に寄った時、看護婦や看護卒は一人もいず、患者の家族だけだった。患者も附添人も木枕で昼寝をしていた。軽傷の美青年がいた。二人の少女が彼をいたわり、共に左右から彼の枕に枕しておった。他の一隅には、誰も附添っていない一人の負傷者が、打捨てられ、毅然たる様子で横たわっていた。前の美青年に比べて、遥かに立派な態度と映ったが、彼の容貌は美しくはなかった。顔面構造の極微の差が齎す何という甚だしい相違!

 

サラッと古今東西変わらぬ現実が胸をえぐってきますね。

中島敦さん、こういう事象も拾うんだなあ。

 

 

 

そして、後半は急速に体調が悪化し、それにつれて精神面も躁鬱気味にアップダウンが激しくなる様が描かれます。

 

特に好きな場面がふたつありまして、

 

ひとつは16章で、酔っぱらってぶっ倒れたら、サモアの風景が故郷エジンバラに見えてしまったという箇所。

その時、うっすらと眼覚めかけた私の意識に、遠方から次第に大きくなりつつ近づいて来る火の玉の様に、ピシャリと飛付いたのは、――あとから考えると全く不思議だが、私は、地面に倒れていた間中、ずっと、自分がエディンバラの街にいるものと感じていたらしいのだ――「ここはアピアだぞ。エディンバラではないぞ」という考であった。此の考が閃くと、一時はっと気が付きかけたが、暫くして再び意識が朦朧とし出した。ぼんやりした意識の中に妙な光景が浮び上って来た。

私はよろよろ立上り、それでも傍に落ちていたヘルメット帽を拾って、其の黴臭い・いやなにおいのする塀――過去の、おかしな場面を呼起したのは、此のにおいかも知れぬ――を伝って、光のさす方へ歩いて行った。塀は間もなく切れて、向うをのぞくと、ずっと遠くに街灯が一つ、ひどく小さく、遠眼鏡で見た位に、ハッキリと見える。そこは、やや広い往来で、道の片側には、今の塀の続きが連なり、その上に覗き出した木の茂みが、下から薄い光を受けながら、ざわざわ風に鳴っている。何ということなしに、私は、其の通を少し行って左へ曲れば、ヘリオット・ロウ(自分が少年期を過したエディンバラの)の我が家に帰れるように考えていた。再びアピアということを忘れ、故郷の街にいる積りになっていたらしい。暫く光に向って進んで行く中に、ひょいと、しかし今度は確かに眼が覚めた。そうだ。アピアだぞ、此処は。

 

病の進行、寿命の僅かさ、あるいはホームシック的な感傷が生んだ幻覚でしょうか。

小説執筆や政治関与で精神がいかに摩耗しているか、こうした描写からひしひし伝わってくる気がします。

 

 

もうひとつは、19章のラスト、いよいよスティーヴンソンさんの心身が限界を迎えつつある局面での風景描写。

夜はまだ明けない。
私は丘に立っていた。
夜来の雨は漸くあがったが、風はまだ強い。直ぐ足下から拡がる大傾斜の彼方、鉛色の海を掠めて西へ逃げる雲脚の速さ。雲の断目から時折、暁近い鈍い白さが、海と野の上に流れる。天地は未だ色彩を有たぬ。北欧の初冬に似た、冷々した感じだ。

一時間もそうしていたろうか。
やがて眼下の世界が一瞬にして相貌を変じた。色無き世界が忽ちにして、溢れるばかりの色彩に輝き出した。此処からは見えない、東の巌鼻の向うから陽が出たのだ。何という魔術だろう! 今迄の灰色の世界は、今や、濡れ光るサフラン色、硫黄色、薔薇色、丁子色、朱色、土耳古玉色、オレンジ色、群青、菫色――凡て、繻子の光沢を帯びた・其等の・目も眩む色彩に染上げられた。金の花粉を漂わせた朝の空、森、岩、崖、芝地、椰子樹の下の村、紅いココア殻の山等の美しさ。
一瞬の奇蹟を眼下に見ながら、私は、今こそ、私の中なる夜が遠く遁逃し去るのを快く感じていた。

 

南洋ならではの美しい夜明けとスティーヴンソンさんの内面とが素晴らしくリンクしていて、物語のクライマックスとして充分過ぎる味わいがあるように思います。

 

 

こうした鮮やかな場面を中島敦さんが描いているというのがまたいいんです。

中島敦さんといえば「李陵」「山月記」が著名で、漢文調のストイックな文章を紡ぐ印象が強いのですけれども、こうした西洋人風の文章や南洋極彩色な描写もたいへんお上手なんですね。

本当に懐の深い作家さんで、33歳で早世されたのが惜しまれます。

 

 

中島敦さんという素晴らしい入口を通って、中国古典や南洋社会へ好奇心を抱く方がこれからも多くいらっしゃいますように。

 

 

 

「めとろ庵の春菊天そば 関西人にこそトライしてもらいたい美味さ」

 

東京メトロの立ち食いそば「そば処 めとろ庵」の春菊天そばが異常においしくてかんたんしました。

 

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「春菊天そば」。

 

関西人にはあまり馴染みのないメニューかもしれません。

 

 

私の場合、10年くらい前に「めしばな刑事タチバナ」の1巻で韮沢課長(好き)とタチバナさんが

「やっぱり外せないのが富士そばの春菊天だな」

「基本でしょう!」

 

と会話しているのを読んで 、初めて春菊天そばという概念を知りました。

 

その後、関東の立ち食いそばでは比較的メジャーなジャンルということを知って、物珍しさもあって何回か食べたことがある程度の理解、「ああ、けっこう美味いんだね」と思うくらいの愛着だったのでございますが。

 

 

めとろ庵の春菊天そばを食べて、衝撃が走ったんですよね。

うますぎて。

 

細かく刻んだ春菊が、かき揚げと同じく平たい丸型で揚げられており。

サクッとかじっても春菊フレーバーが爽やか美味い。

つゆにつけてジュクっと散らしても春菊フレーバーが爽やか美味い。

食べやすくて美味い。

 

しかも、めとろ庵は立ち食いそばとしては蕎麦もつゆもけっこうおいしいので。

やや甘めの味&やや固めのそばと、春菊天の相性が実にいいんですよ。

 

 

春菊の爽やかさが力強いので、ちくわ天なりイカ天なりを加えてもヘビィにならないのもいい。

春菊はビタミン豊富なので罪悪感を抱かない、むしろ身体にイイことしている感が出るのもいい。

 

 

美味い、爽快、身体にイイ。

完全食かよ春菊天そばァ! と盛り上がること間違いなしです。

 

 

 

真面目に、なんで春菊天って関西で流行っていないんでしょうね。

すき焼きには春菊入れるのに。

 

讃岐系を含め、うどん屋でもあまり見かけない。

うどん好きは野菜不足になりがちですから、春菊天を普及させたらいいのに。

 

まったく見かけない訳ではないんですけどね、たいてい春菊を素材の形そのまま揚げていて、味はいいけどカサ高くて食べにくかったりするんですよ。

味はいいんですけどね。

めとろ庵スタイルみたいに、刻んでつゆに溶けやすいかき揚げにしている方が好き。

 

 

そもそも関東の立ち食いそば自体が苦手という関西人も多いと聞いたことありますけれども、先入観抜きに食べてみたらどの店もたいていおいしいし、どうせなら珍しい春菊天そばにトライしてウマァ! するのも幸せだと思います。

 

めとろ庵の春菊天そば、初めて食べたのは去年で、コロナ禍もあって出かける機会が減って全然再会できなくて、「早く春菊天を」「苦しい」「春菊天のことしか考えられなくなります」状態だったので久しぶりに味わうことができて何よりでした。

 

 

春菊天の魅力が全国区になって、そこかしこのそば屋やうどん屋にじわじわ普及していきますように。

 

 

 

 

「今川のおんな家長 寿桂尼 感想」黒田基樹さん(平凡社)

 

黒田基樹さんによる寿桂尼さんの評伝が気になる視点盛りだくさんでかんたんしました。今後、こうした論点提起に基づく後発研究が進むことを楽しみにしています。

 

www.heibonsha.co.jp

 

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「おんな戦国大名寿桂尼の発給文書から、今川家の当主代行としての政務とは何か、「家」妻の果たす役割は何かを明らかにする。

 

 

 

以前読んだ同著者による瑞渓院さんの本が面白かったので、こちらも手に取ってみた次第です。

「北条氏康の妻 瑞渓院 政略結婚からみる戦国大名」黒田基樹さん(平凡社) - 肝胆ブログ

 

 

 

当著は寿桂尼さんの生涯を記しつつ、寿桂尼さんによる発給文書等の一次史料を通じて彼女が今川家で果たした具体的な役割を評価していく内容になっています。

 

寿桂尼さんの生涯はざっくり知られている気もしますが、「おんな大名」等と表現されたりする寿桂尼さんのお仕事・お役目の実態まではよく知らなかったので、とても興味深く読み進めることができました。

 

 

本の終盤で

本書では、寿桂尼の場合について、当主の妾を含む「奥」の統括、当主への取り成し、子どもたちの処遇の差配、台所の管轄、近親一族の菩提の弔い、他大名との外交での内意の伝達、といったことが認識された。もちろん「家」妻の役割は、それだけではなかったであろう。その全容の把握は、やはり他の事例とあわせることで遂げられることになる。

寿桂尼が「おんな家長」として存在したのは、嫡男氏輝が当主になったものの、氏輝が体調不良によって政務が執れなかった時期においてみられたものであり、断続的なものであった。そこでは、当主氏輝が決裁できない状況にあって、今川家として決裁しなければならないものを、寿桂尼が当主を代行して家長権を行使したのであった。しかし、寿桂尼による保証は永続的なものとは認識されておらず、その後、男性家長によってあらためて保証をうける必要があった。そのため、寿桂尼による保証は、当座のものにすぎなかったとみなされる。

 

とまとめられている役割それぞれについて、発給文書を一つひとつ取り上げながら説明いただけるので実に面白い。

 

これは個人的な印象ですが、寿桂尼さんが果たした「家妻」って、現代の会社で言えば総務・秘書担当副社長のように映りました。

内向けのことに強い権限を有している一方で営業(軍事)の権限は有さない的な。

現代の行政機構や企業でも「トップがぶっ倒れた場合は誰々が代行する」というルールを定めて周知している訳ですし、戦国時代当時もそうしたルールや相場観が存在したのでしょうかね。

 

 

当著では史料が豊富な寿桂尼さんを題材にこうした戦国大名家における家妻の役割を考察しているのですけれども、その上で「史料的限界で分からない」「寿桂尼さん以外の他の家でもそうだったかは分からない」と誠実に書いてくれているところに好感を抱きます。

こういう振り出しをしていただけると、他の大名家における女性研究が進むきっかけになってすごくいいことだと思いますの。

 

この本の中でも、後の豊臣家や江戸時代になると家妻的機能は見られなくなっていき内向きのことも男性家臣が担当するようになっていく、その女性の役割の変遷を今後も研究していきたい、と書かれていて大変意義あることだと感じ入りますね。

時代の段階差という考え方もあるでしょうし、組織規模の違いという考え方もあるでしょうし。

いち戦国時代ファンとしては女性が果たしていた役割がクリアになればなるほど想像・解釈・創作が膨らむので歓迎です。

 

 

 

そのほか当著で印象深い点としては、

花蔵の乱について「寿桂尼さんが恵探派だったという説もあるが、当初から承芳(義元)派だったと考えられる」と考察を述べられているところ、

瑞渓院殿を例に「婚姻同盟の両家が敵対してしまうと結婚も破綻すると思われがちだが、実際は家妻としての役割等もあるんだから離縁したりしないんだよ」と紹介されているところ、

等々でしょうか。

 

後者については、確かに最近では「北条氏政室の黄梅院さん、同盟破綻後も実家の武田家に帰っていなかったっぽい」という新説も伺いますし、なるほど感がございます。

しかし、そうなると三好長慶さんや浅井長政さんの事例は……。

彼らには彼らの事情があったためか、彼らの人柄に帰するような話なのか、東国と畿内周辺との地域差か。

本当にこうした家制度下の女性研究が早く畿内に波及してもらいたいものです。

 

 

 

今川家や北条家や武田家は滅んだ大名家にもかかわらず、多くの意欲的な研究者の手でさまざまな角度から研究が進んでいるのがすごいですよね。

 

これから先も新たな視点や解釈の提示が続き、それが他地域の研究にも波及して、戦国時代観がより立体的になってまいりますように。

 

 

 

「神秘主義 キリスト教と仏教 感想」鈴木大拙さん / 訳:坂東性純さん・清水守拙さん(岩波文庫)

 

鈴木大拙さんの著作を久しぶりに読んでみたところ、相変わらずの奥深い思索・弁舌ぶりにかんたんしました。

 

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キリスト教神秘思想を代表する修道士エックハルト、中国、日本の禅僧の問答、真宗の念仏者の極点・妙好人の信心の世界、これら東西三者を宗教の普遍的真理「神秘主義」に連なるものとして、自在に論じる。大拙が戦後、英文で世界に発信、欧米人を感嘆・魅了した晩年の代表作。初の日本語訳を文庫。(解説=安藤礼二)

 

 

鈴木大拙さんは欧米に「禅」を紹介したことで著名な宗教学者? さんです。

スティーブ・ジョブズさんが禅にハマったり、wizardry#7にマスター・ゼンが登場したりする源流には鈴木大拙さんがいらっしゃる気もいたします。

各著作をサラッと読んだ限りでは、実際の鈴木大拙さんは禅だけでなく大乗仏教全般、とりわけ浄土真宗の魅力を推していた気がしないでもないですけどね。

 

 

当著は鈴木大拙さんが晩年に英語で執筆した著作を日本語訳した逆輸入盤のような作品でして、東西の神秘主義について似通っている点を論じたり、後半は鈴木大拙さんが推す浄土真宗妙好人 浅原才市さんを紹介したりする内容になっています。

文章は非常に難解ですし予備知識なしには分かりにくいしですけれども、浅はかにでも読んでいると上質な問答・瞑想をしたような気分にはなれるので日頃忙しくされている社会人の方にはけっこうおすすめですよ。

 

 

さて、神秘主義とは「神などの絶対者を理性ではなく,内面で直接体験しようとする思想。東洋ではウパニシャッド哲学・仏教・道教神道にこの傾向が強く,西洋ではプロティノスに始まる新プラトン主義の影響の下に,正統キリスト教の異端としてエックハルトベーメらの神秘家を生んだ。(旺文社世界史辞典)」とのことであります。

 

おそらく人によって定義は異なると思いますけど、悟り、神との一体化、的な「体験」に重きを置くような信仰のあり方ですね。

 

で、その神秘主義について、西洋(ドイツ)のエックハルトさん、東洋の禅、似通っているところがあるよねというのがこの本の前半部分の内容になります。

 

例えばエックハルトさんのお言葉。

神が人間を創造された時、人の魂の中に、ご自身と等しい、魂の活動してやまぬ永遠の秀作を籠められた。それはあまりにも偉大な作品であったので、それは現にある魂以外の何ものでもありえなかったし、人の魂は神の作品以外の何ものでもありえなかったのである。神の本性とか、存在とか、神性と呼ばれるものは、皆、人の魂の内なる神の作品に依存している。神が人の魂の内ではたらきたまい、神が自身のはたらきを楽しまれることは神にとって何と幸せなことであろうか!

そのはたらきとは愛であり、愛が神なのである。神は自らを、自己自身の本質、存在、神性を愛したもう。そして、自らに対する愛のうちで、すべての被造物を被造物としてではなく、神として愛したもう。神が自ら帯びておられる愛の内には、神の全世界に対する愛が宿されているのである。

 

 

例えば仏陀さんの悟り。

すべての構成されたものは常に移り変わる。

人が智慧により(このことを)自覚する時、

悲しみ(のこの世)が気にかかることはない。

これが心を清める道である。

 

すべての構成されたものは苦である。

人が智慧により(このことを)自覚する時、

悲しみ(のこの世)が気にかかることはない。

これが心を清める道である。

 

ものみなすべてに実体はない。

人が智慧により(このことを)自覚する時、

悲しみ(のこの世)が気にかかることはない。

これが心を清める道である。

 

表現のニュアンスは少し違いますが、お互いに深い瞑想の果てにたどり着いた境地として、確かに似たようなことを仰っているのかもしれません。

 

とはいえエックハルトさんの思想は西洋・キリスト教のあくまで一端にすぎませんし、当著で紹介された内容だけをもって東西神秘主義の相似性を断じることには慎重であった方がいいようには思いますし、本を通して少しだけ東洋優位なように表現している点に違和感を覚えたりもいたしますしなのですけれども。

鈴木大拙さんの異常な量の引き出し、縦横無尽にそれらを組み合わせて楽しげに文章を紡いでいる姿は読んでいて非常に知的好奇心が刺激されますので、一読に値する本だと思う次第です。

 

 

 

ここからは当著から離れて個人的な雑感ですが。

 

神秘主義というのはなかなか刺激的な思想ですよね。

 

私自身は特に強くハマっている宗教はなく、実家は●●宗なんですよねとか神も仏もいるかもね見たことないけどとか寺も神社も教会も機会があれば行くよね毎日は行かないけどとかを口にするような平凡な姿勢でありまして、もちろん神秘的な体験をしたこともございません。

 

いっとき流行ったマインドフルネスとかもそうですけど、自分の中に神なり仏なり日頃気づかないピュアな意志なりがあって、何かしらの習慣や何かしらの修業や何かしらを捨て去ること等を通じてそれらに出会うことができる、

出会うことができた者は、多幸感や万能感や生き抜く姿勢のようなものを得ることができる、

という発想は興味深いと思います。

 

ただ、実際の仏陀さんや達磨さんやエックハルトさんや鈴木大拙さんがどうだったかは別にして、

こうした神秘主義は「これまでの生き方や習慣や価値観を大きく変えましょう」というメッセージ性を伴って紹介されることが多いので、極論すれば洗脳事件のように多くの人を傷つける結果を招くことも起こり得ますから、そこに危うさを覚えたりするのは否めません。

素人が軽々に手を出すのは危険な臭いがするぞ、的な。

 

それでも、神秘主義的な思想が現代でも多くの人を惹きつけているのもまた事実ですし、自分の中に未知の何かが眠っているという考え方に強いロマンがあるのも事実ですから、たまにこうした本を読むこと自体は楽しいんですよね。

 

当著の内容に戻って、

本の後半で紹介される浅原才市さんの多幸感溢れる手記は本当にすごいのです。

(あえて引用しませんので興味のある方は調べてみてくださいまし)

こういう人生、こういう考え方感じ方はひとつの到達点である、という鈴木大拙さんの視線にものすごく共感できます。

鈴木大拙さんは相対性の克服というか、ふたつの狭間で揺れることなく止揚を目指すというかな考え方をよく提示されていますが、浅原才市さんの事例は確かに念仏を通じて仏と人がひとつになっている感じがする。

こういう凄みのこもった素朴な文章、大好きです。

 

 

 

宗教者のいう神秘体験、

アスリートや格闘家のいう「ゾーンに入る」、

冒険家が偉大な光景を前にして言う「神からの授かりもの」、

芸術家や特級呪霊のいう「なんて新鮮なインスピレーション」、

 

こうした何がしかの体験を伴ったレベルアップ現象って、人のありようとして興味深いですね。とても文学的。

 

それぞれの世界で多幸感を得られるような人、多幸感を広められるような人が増えていきますように。

 

 

 

大相撲'21夏場所感想「NHKの大相撲取組動画、超いいね」

 

大相撲の21年夏場所がコロナ禍の中でも無事に終了いたしまして、照ノ富士関の優勝、貴景勝関や遠藤関の奮戦等々見どころが多い内容でかんたんしました。

そして、今場所からテレビ放送での視聴をやめてNHKの大相撲取組動画サイトで視聴するようにしたんですがHP・編集のつくりが大変優れていて超いいですね。

 

www.sumo.or.jp

 

 

NHKの大相撲取組動画サイトはこちらです。

www3.nhk.or.jp

 

各取組が立ち合いの瞬間から視聴できるので大変クイックに内容をチェックできてありがたいです。

時間さえあればゆっくり生でテレビ放送を見たいところなのですけれども、なかなか昼の稼業があると難しいですもんねえ。

 

個人的には十両の取組も見れるのがありがたくて、近頃推している武将山関の活躍も追えるのが嬉しい。

 

 

 

さて、幕内の勝ち越し力士は次のとおりです。

 

12勝 照ノ富士(優勝)、貴景勝

11勝 遠藤(技能賞)

10勝 高安、御嶽海、千代大龍

9勝   正代、逸ノ城、若隆景(技能賞)、琴恵光、

   隠岐の海魁聖

8勝   明生、千代丸、千代翔馬

 

 

照ノ富士関は先場所までより安定度が高まっている印象でしたね。

強引な体勢にならず、危なげなく白星を積み重ねていて何よりです。

来場所はいよいよ綱取りです。

綱を張っていただければいいなと思っていますが、その場合は高い確率で一人横綱期間が続きそうな気がいたしますので、横綱土俵入りの注目度が増して膝へ更に負担がかかりそうなのがちょっと心配なんですよね。

 

貴景勝関もナイスファイトでした。

優勝決定戦に持ち込んで、見事に大関の務めを果たされましたね。

千秋楽の北の富士さんのコメントで「来場所は白鵬の調子と大関二人……」と語られていてカウント外にされた正代関は気の毒ですけれども、今後も照ノ富士関に負けず劣らず肉薄してよきライバルな盛り上がりをもたらしていただきたいものです。

 

遠藤関は貴景勝関戦・照ノ富士関戦の勝利が素晴らしかったです。

文字通り、胸が熱くなるような取組でした。

今場所の遠藤関は色々な思いを込めておられたようで、ふとした時に見せる表情もたいそう男前でしたね。

 

高安関や御嶽海関も調子が上がってきていて何より。

逸ノ城関の復調も嬉しいところです。初心に戻って稽古に励んでいるという話も耳にしますし、彼らが再び上位で輝いてくれると嬉しいです。

琴恵光関の地力が着々と増しているのも嬉しいなあ。

 

若隆景関は凄かった。

なんだあのおっつけ。えらい勢いで弾けるように突っこんできて、おっつけで斜め下からグイグイされたら相手はもう堪らないですね。

技能賞に相応しい出頭っぷりでますます先行きが楽しみであります。

 

星数はかろうじての勝ち越しですけど、千代翔馬関もバタバタしつつ色んな動きを試していて楽しかったです。

絶対の型は持っていない方ながら、曲者として皆から警戒される存在になってきている感がありますよね。

 

推しの明生関もなんとか上位で勝ち越せてよございました。

一方、大栄翔関(6勝)や隆の勝関(5勝)が三役で負け越したのは残念です。

とりわけ大栄翔関は立ち合いの威力が低下していて、どこか痛めたのかと心配になりました。来場所から復調してくれるといいのですが。

 

負け越した中では、豊昇龍関がキラキラに光っていましたね。

惜しくも7勝に終わりましたけれども、来年くらいには三役とか大関挑戦とか言われているんじゃないでしょうか。

同じく残念ながら負け越しましたが、石浦関も内容は良かったと思います。

石浦関の出し投げ好き。

 

 

あとは、朝乃山関でしょうか。

彼は綱も目指せる地力があると思っていますので、本当に本当に残念でなりません。

えげつない立ち合いを体得しさえすればと常々願っていたのに、こんな形でもうほんまに何やってるの……。

土俵に残れるかすらどうか分かりませんけれども、もしチャンスが与えられるのであれば、心根を入れ替えて今度こそ真摯に技と心を磨いていただきたいですね。

 

 

 

さて、次はいよいよ白鵬関が進退をかける7月場所です。

まずは無事に開催ができますように。

そして、白鵬関、照ノ富士関、高安関等々、それぞれが懸けるドラマが熱くて爽やかなものになりますように。