肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「応仁の乱」呉座勇一さん/中公新書

 

呉座勇一さんの新書「応仁の乱」にかんたんしました。

 

応仁の乱|新書|中央公論新社

 


10万部以上売れているというこの新書。

読んでみた感想としては、
「歴史が好きなら間違いなく面白い」、
でも「途中で脱落した人も多いだろうな」という印象である。


脱落した人は大半が第一章で諦めたことだろう。
第二・三章から歴史イベントとして応仁の乱が始まっていくのだが、
第一章は予備知識として「中世の大和・興福寺を知ろう」という
予習コーナーになるからだ。

摂関家興福寺」くらいならまだついてこれる人も多いだろうが、
「一条院と大乗院」「後南朝」「郡内一揆」となってくると
単語すら聞いたことがない読者が大半な気がする。

この第一章の内容をしっかりインプットできれば、
第二章以降の動乱をある程度「当事者目線」「同時代者目線」で
追っていくことができるようになっており、
これは非常に巧みな構成だと思うのだが、
それでもこの第一章のハードルは相当に高いのだ。

これから読む人、一章で既に躓いている人は、
見晴らしのよい場所へ辿り着くための坂道だと割り切って、
頑張って読んでいただくことをお勧めしたい。

知らない言葉に囲まれる、脳に汗をかくようなインプットは苦しいが、
これは報われる類の努力なのだから。
900円もする新書なのだし、ここでフェードアウトするのはもったいない。


さて、室町時代のノリに適応するまで苦労する分、
慣れてきた二章以降はページを繰るごとに読み易くなってくる。

スター不在、皆がそれなりに頑張ってるけど事態がちっとも改善しない。
そんな広告通りの実情をよくよく実感できるはずだ。
ある程度社会経験や実務経験がある人ならば、
「ああ、どの時代も同じだ」とつくづく納得・共感できるのではないか。


この「納得・共感」は、一章を通じて「当事者目線」「同時代者目線」を
知らず知らずのうちに体得できているからこそなのだ。

歴史の楽しみ方は色々あるのだろうが、
「現代と異なる価値観で生きる人々の中に、なお現代に通じる価値感や
教訓、現代人の心を揺さぶる振る舞いを見出す」こともひとつだと思う。

そのためには海外旅行や見知らぬクラスタとの接触と同様、
「相手を知る努力」「未知の事物への敬意」が必要になる。
歴史趣味においては「登場人物の事情を知る努力」とも言えるだろう。

その後の歴史や現代の価値観に照らし合わせて、この人物はイケてる、
この人物は終わってる、などと断じるのは簡単だ。
そうした簡単なジャッジが、あるいは我々に勇気や励ましを
もたらすこともあるかもしれない。
だがそれは、テレビやネットの情報だけで見知らぬ誰かを罵倒したり、
あるいは過度に称賛してしまう振舞いに近い。

きっかけがそうしたところからであっても、徐々に、徐々にと
当事者の事情を知り、自らの不見識を省み、自らの想像力を拡げていく。
歴史を学ぶとは、己の器量を磨くことでもあるのだ。


その点、この新書の著者である呉座勇一さんの言説は情味深い。
守旧的だと批判されがちな興福寺の尋尊という人物について、

 

大乗院門主の尋尊にとって、大乗院門跡という経営体の維持こそが最重要課題であった。将来発生するであろう問題を予見し、事前に対策を練っておく尋尊の手腕は見事というほかない。大乱の傍観者と侮っていると、尋尊の本質を見失ってしまうだろう。

 

中世興福寺大和国人の領主的成長を阻んだかもしれないが、一方で大和国の戦争被害を減らした。両面を合わせて評価しなければ、興福寺が気の毒だろう。


こうした人物評ができる著作家は数少ないように思われる。

人の評価は難しい。
様々なバイアスで、過大評価も過小評価も容易に起こる。
通説の評価を吟味し、当事者の事情を丹念に調べたうえで、
見直すべきものは見直すべきだと主張する。

これは、歴史家だけに求められるモラルではない。
こうしたスタンスの上司を求めている人は数多いはずだ。


それにしても、畿内の中世史~戦国史は面白い。
複雑故に面白い。

この著は、興福寺という切り口から応仁の乱を論じた。
細川や山名、大内、足利家といった視点からは少し遠い。
もとより、教科書的な全体像や相関図、ビジュアルマップを
売りにしている本でもない。

それがいいのだと思う。
歴史を学ぶ際は、好きな人物なり、好きな作家の著作なり、
何かの切り口からまずは入っていけばいいのだ。

それで物足りなくなってきたら、他の切り口を求めればよい。
この著のような当事者目線に触れられるものであればなおよい。

足利家の分裂から鞆幕府と毛利外交のディープさに嵌まっていくもよし、
細川家の分裂から三好家の横暴と悲哀に嵌まっていくもよし、
畠山家の分裂を追ってからUターンして畠山重忠まで遡ってみるもよし。

そうやって少しずつ、知っていることを増やしていく。
知らないことがいかに多いかを学んでいく。
自分なりにストーリーが醸成されていく。

歴史は面白い。


これからも中世史~戦国時代前半の研究がもっともっと進展してくれますように。