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かんたんにかんたんします。

「幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版」青木直己さん(ちくま文庫)

 

漫画/ドラマ「ブシメシ」の原作、「幕末単身赴任 下級武士の食日記」に
かんたんしました。

 

筑摩書房 幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版 / 青木 直己 著

株式会社リイド社 » 勤番グルメ ブシメシ!

幕末グルメ ブシメシ! | NHK プレミアムよるドラマ

 


2日続けて和歌山に縁のある話で、
先日紹介した土山しげる先生にもかかわる話になります。

 

漫画「ブシメシ」(土山しげる先生)、あるいは
少し前に放映されたドラマ「ブシメシ」(NHK)をご存知でしょうか。

私は例によって土山しげる先生のグルメ漫画を集めている関係で知りました。
江戸ものグルメ漫画としては「銀平飯科帳」(河合単先生)と並んでお気に入り。

ドラマ「ブシメシ」はいかにもNHKドラマらしい脚色演出でして、
草刈正雄さんと戸田恵子さんの夫婦演技がお気に入りです。


で、NHKドラマ「ブシメシ」の原作が土山しげる先生の「ブシメシ」で、
土山しげる「ブシメシ」の原作がこの「下級武士の食日記」で紹介されている
酒井伴四郎日記」であります。

なんかややこしい説明ですみません。



酒井伴四郎さんは幕末の和歌山藩の武士でございまして、
仕事は衣紋方……殿様などの衣装を取り扱う職務です。

この日記は万延元年(1860年)に伴四郎さんが江戸藩邸勤務となった際の
ものでございまして、当時の文化習俗や風聞、政治動向が分かる資料として
重宝されているものでございます。

 

1860年と言えばペリー来航から8年後、桜田門外の変が起こった頃です。
幕末真っ只中です。

幕末と言えば新撰組だとか龍馬暗殺だとか白虎隊だとか人斬り抜刀斎だとか
とりあえず不穏で血生臭い世情を想起する人も多いかと思いますが、
この日記はどちらかというとお気楽というか太平楽極まりない内容で、
なんか創作の幕末ものと随分印象が違うなあ……という代物なんですよ。


まず仕事内容がユルい。

江戸に向かう道中こそ大雨が続いて大変だったのですが、
江戸についてからは本当にユルいのです。
(なお、道中では六角義賢さん由来のうばがもちを召し上がってます
 「六角義賢と滋賀県草津市のうばがもち」 - 肝胆ブログ )



徳川御三家の殿さまの衣装関係業務と言えば難しくてかつ忙しそうなところ、

六月の勤務は午前勤務が計六日。
七月はまるまる休み。
八月の勤務は午前勤務が計十三日。
と、ほとんど働いていない。

当時の下級武士はポスト不足で日頃仕事がない者も多かったと聞きますが、
あらためてこう日数を確認してみるととんでもなく羨ましい会社にお勤めです。


ちなみにこの紀州徳川家という会社、役員対応もおおらかでした。

伴四郎さん、江戸付家老さんに赴任挨拶のアポを
取っておきながら、
「近所の祭を見物したい」

という理由で延期してもらっています。

これがまったく問題にならないくらい、風通しのいい職場のようです。
和歌山藩ホワイト企業だったんですね。



プライベートもユルいです。

幕末です。
仕事がない日は剣術の稽古でもしてるのかと思えば、やってることは
「買い食い」「観光」「銭湯」「三味線稽古」

まるで緊張感がありません。

このとき伴四郎さんは二十八歳です。
いわゆる幕末の若者です。
国を変えようと駆け回っているイメージの、あの幕末の若者です。


「六月十八日
 今日は色々あほ噺(はなし)をしました。」


……まるで緊張感がありません。

それにしても「あほ話」って最近っぽい物言いですが、
この頃からあった言葉なんですね。


後に伴四郎さんは「第二次長州征伐」に従軍するのですが、
その頃の日記からも「行きたくない」感がありありと読み取れます。
(ちなみに特に怪我することもなく無事に和歌山へ戻ってきたようです)

まあ幕末に限らず、熱い血をたぎらせて世の中を変革している者は一握りで、
大半の庶民はのほほんと暮らしているのが現実なのかもしれません。

 

その分、日記に描かれている庶民の暮らしっぷりはとてもリアルで、
共感の湧く内容ばかりです。



食べもの。

日頃は自炊して節制、ハレの日はパーッと外食or高級食材購入という感じです。

江戸前の魚や江戸野菜、そば、餅菓子など、江戸料理がたくさん登場しますよ。
この頃には肉食もだいぶ広まっていたようで、風邪薬と称してしょっちゅう豚鍋を
お召し上がりになっています。
ついでにいつもいつも昼間っから酒を飲んでいて幸せそうです。

日本橋の豪商「三井家」(のちの三井財閥)に衣装業務のレクチャーをして
御馳走を振舞ってもらう等、ちゃっかり職能を活かしたりもしています。


個人的に興味を持ったのは日常使いのさつま芋と人参で、
なんとなく江戸時代ではまだまだ高級食材なのかなと思っていたのですが。

さつま芋は一貫(3.75㎏)で五十文(1,000円)。
人参は一回購入分で八文(160円)。

安い!

あくまで私の先入観とのギャップなのですが、室町時代や戦国時代とは
ずいぶん身近な食材が違うなあと驚きました。



観光。

大名行列見物、横浜異人見物、浅草や日本橋等の繁華街散歩、
武家庭園見物、見世物見物、落語鑑賞、土地土地の名物買い食い……。

すんごく楽しそうです。

完全に上京してはとバス乗っている感じです。

虎(実は豹)の子どもを見物したりもしています。
ネコ科猛獣の子ども、かわいいですもんね。

 

 

人間付き合い。

お友達との酒盛りや観光だったり、
初め仲よかった人がだんだん疎遠になったり、
上司兼親戚兼同居人の叔父さんのずうずうしさに苛立ったり、
家格の違いを超えた武士と庶民の仲睦まじさであったり、
現代と変わらぬ日常が繰り広げられております。

和歌山に残してきた娘と同い年くらいの捨て子がいたと聞けば涙したり、
基本は倹約してつましく暮らしていて妾もつくらないのに
単身赴任終了直前で同僚と風俗に行ってしまったりと、
いかにもなサラリーマン男子っぽさ。

江戸時代人も同じ人間、という感じがいたします。



旧暦ベースの風雅な年中行事。

五節句や六月十六日の嘉定など、日々に加えられるメリハリと季節感。

嘉祥 (行事) - Wikipedia

文中の嘉定の解説はさすが著者は元虎屋の社員さんという感じで
大変興味を引かれます。

解説でコメントされている「日本の季節行事は旧暦でないとピンとこない」
というのも、「まさに!」と完全同意してしまいます。

 ※ちなみに虎屋さんの和菓子に因んだ歴史HPはとても勉強になりますよ。
  歴史上の人物と和菓子 | 菓子資料室 虎屋文庫 | 株式会社 虎屋



そう、日記内容の他に、著者の青木直己さんのコメントがまたいいんですよね。

とりわけ文庫版あとがきで、古文書の収集と公開の重要性について語られている
パートは、短文ながら極めて意義深い名文だと思います。

伴四郎日記の内容とは直接関係しませんが、せっかくなので引用します。

個人が収集した古文書は、その人の死後に散逸するか、その後まさに死蔵されることが多いように思われます。そうしたなかで伴四郎の記録史料類が二つの公的な博物館に所蔵され、それぞれ翻刻公開されたことは僥倖と言わざるを得ないと思います。

私も江戸時代の古文書を随分と収集してきました。停年となった今、少しずつ整理して古文書目録を作ったり、収集した史料を使って論文を書いたり、あるいは大学の授業でも利用しています。しかし、いくら目録を作って論文を書いたとしても、私蔵(死蔵)であることに違いがないということに思い至りました。もちろん収集資料を積極的に公開して、コレクターとしての責務を十二分に果たされている方がいらっしゃるのも事実ではありますし、明確な主題をもったコレクターの収集資料の意義には大きいものがあります。それがどのようにして受け継がれていくかが課題なのでしょう。伴四郎の記録史料類は、そうしたことに気づかせてくれました。


いかがでしょうか。

先人が遺してくれた史料への理解と愛情、敬意を感じます。

時代区分関係なく、歴史好きや歴史にかかわる仕事に就いている方、
多くの人に読んでもらいたいなあと思ってしまいます。

旧家名家にお住まいの方は、お手数ですが古い襖とかそのまま捨てずに
裏紙に古文書が使われていないか等チェックしていただけると幸いです。

 

 

さて、伴四郎さんの日記はこの幕末期の一部しか残っていなくて、
明治元年以降の足取りはまったくの不明だそうです。

子孫の方とかいないんでしょうか。
まだまだマイナーな人物ですから、子孫ご自身もご存じないかもしれませんね。



そのうち新たな史料が発見されますように。
できれば没落士族としてやさぐれず、引き続き呑気に暮らしてはりますように。

 

 

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