相撲関係のニュースで「高安城」に触れられていてかんたんしました。
高安関が大関昇進後も「本名」四股名のままでいこうとしていること、
それは相撲界では珍しいこと(眉をひそめる人もいるということ)、
“高安”が天智天皇時代まで遡る由緒ある名前であることを紹介しています。
相撲界の本名四股名忌避もなかなか興味深い習慣であります。
戦国時代頃までは本名四股名が中心だったようで、
江戸時代頃から本名以外の四股名を名乗るようになったみたいですね。
宗教とかもそうですが、文化方面における“伝統”ルールは
江戸時代発祥のものが多い印象です。
さて、高安城です。
時は7世紀。
日本は朝鮮半島まで殴りこんでいって、白村江の戦いで唐・新羅に
大敗を喫しました。
それで、唐・新羅が逆に日本まで攻め込んでくるかもしれないということで、
九州に防人を置いたり、西日本各地に古代山城を築いたりした訳です。
その古代山城シリーズで、畿内最後の砦がこの高安城。
詳細不明ですが、場所は大阪と奈良の境目と推定されています。
ちょうど木沢長政&松永久秀で有名な信貴山城の近くですね。
外国勢の侵略を警戒して城を構築。
これは日本の歴史の中でも相当珍しい事例です。
元寇でも第2次大戦でも、九州や沖縄等の防衛線整備はともかく、
鎌倉や東京近辺に城や要塞を築いたりはしていないような……。
(私が知らないだけかもしれませんが)
心底、“倭”という国が消滅してしまうかもしれないという
危機感があったのでしょう。
当時は世界地図が明らかになっていない時代ですから、
感覚としては全世界を敵に回したようなものだったはずです。
古代過ぎて詳細はよく分かりませんが、
当時の人々がそこまでのリスクを負って百済救出に向かった
動機が気になりますね。
同盟国復興に向けた純粋な“義”なのか。
朝鮮半島権益が莫大だったのか。
無謀なる蛮勇だったのか。
白村江敗戦後の数々の施策を見る限り、
当時の人々の情報収集の確かさ、意思決定の迅速さは
相当な水準に達していたと思うのですが。
「7世紀の唐に喧嘩を売るのと、
13世紀の元に喧嘩を売るのと、
20世紀の中国&アメリカに喧嘩を売るのと。
リスク・リターンの観点から合理的と思われる順に並べ替えよ。
また、その根拠をそれぞれ800文字以内で記述せよ(3時間)」
みたいな日本史試験があったら学生さんが悶絶してしまいそうです。
こんなマニアックな高安城がヤフーニュースに出てくるくらい、
大関昇進というのは本当に大きな影響力を持ってるんですねえ。
高安関の話に戻りますと。
本名四股名で外野がやいや言い過ぎるのもどうかと思いますし、
歴史ある名前だからいいやんと周りが開き直るというのも微妙です。
(佐藤も鈴木も長い歴史があります。由緒が軽い名前なんてないでしょう)
本人と師匠が考えてやっていることですから、
マスコミも含めてあんまり話題にしないのが一番だと思いますね。
嫁の箸の上げ下ろしまで監視して陰口ネタにする
近所のおばちゃんたちみたいじゃないですか。
それでなくても大関昇進後は色んな行事参加が増えて
稽古に専念しづらくなるんですから。
こんなこと言っているうちに、もう6月も半ばです。
高安関が名古屋場所でもばりばり活躍しはりますように。