肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

幻の後南朝小説「吉野葛」谷崎潤一郎さん(青空文庫)

 

 

谷崎潤一郎さんの「吉野葛」の書き出しで
「んほぉおー!! 後南朝小説! まじか!!」とかんたんしてたら
そんなことはなくてうまい話はないもんだとがっかりしつつも
内容自体はやっぱり面白くてかんたんいたしました。

 

 

青空文庫リンク)
谷崎潤一郎 吉野葛

 

 

以下、ネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

吉野葛」は……

谷崎潤一郎さんが「後南朝もの」のネタ取材にお友達と吉野へ行きました。
道々、源義経南朝逸話にまつわる事物風光を見物しつつも、
お友達の話す「吉野生まれの母」の物語に引き込まれ……

という筋立てになります。
吉野葛をつかったお料理はでてきません。

 

 

構成は一見とっ散らかっていて、何を主題にした小説? エッセイ? なのか
よく分からない……とっつきづらい……という第一印象になるのですが。

よく見るとあれやこれやが後半の友達の物語に対する前フリや伏線になっていて、
ひょっとして緻密に計算された構成なのではとも思ってしまうのです。

賛否両論な作品と聞きますが、その理由はこんなところにあるのかもしれません。

 


作者が谷崎潤一郎さんですから、文章の美しさはひとしおです。

 

個人的には吉野の集落の風景を描写したこんな一篇

恐らくこの辺の家は、五十年以上、中には百年二百年もたっているのがあろう。が、建物の古い割りに、どこの家でも障子の紙が皆新しい。今貼りかえたばかりのような汚れ目のないのが貼ってあって、ちょっとした小さな破れ目も花弁型の紙で丹念に塞いである。それが澄み切った秋の空気の中に、冷え冷えと白い。一つは埃が立たないので、こんなに清潔なのでもあろうが、一つはガラス障子を使わない結果、紙に対して都会人よりも神経質なのであろう。東京あたりの家のように、外側にもう一重ガラス戸があればよいけれども、そうでなかったら、紙が汚れて暗かったり、穴から風が吹き込んだりしては、捨てて置けない訳である。とにかくその障子の色のすがすがしさは、軒並の格子や建具の煤ぼけたのを、貧しいながら身だしなみのよい美女のように、清楚で品よく見せている。私はその紙の上に照っている日の色を眺めると、さすがに秋だなあと云う感を深くした。

であったり(この描写は後段の物語の前フリにもなっています)、

源義経静御前の遺物(真偽は疑わしい)を見せてくれた土地の方が
ご馳走してくれた「ずくし」(熟柿)を食べた時の感慨

私はしばらく手の上にある一顆の露の玉に見入った。そして自分の手のひらの中に、この山間の霊気と日光とが凝り固まった気がした。昔田舎者が京へ上ると、都の土をひと握り紙に包んで土産にしたと聞いているが、私がもし誰かから、吉野の秋の色を問われたら、この柿の実を大切に持ち帰って示すであろう。

であったりが特に印象に残りました。

障子の清々しさや熟柿の尊さがこんなに深々と感じられる文章は
そうそうないですよね。

 

 

 

前述の通り、後段のその四~その六はお友達の話がメインになります。


お友達の早世した母親について。

お友達は長らく母親のルーツを調べていたが、結婚前は苦界にいたこともあって
誰も教えてくれない、分からないまま時が流れてしまった。

ある日、偶然に母が吉野生まれであることを知った。

吉野を訪れてみたら、母の親族に幸い出遭うことができた。

その親族のひとりに見惚れてしまった。
嫁に貰いたいと思うのだが、君にも是非会って貰って君の観察を聞きたいんだ。


というような流れでお話が進んでいきます。


話の背骨になっているのはお友達の亡き母への思慕の強さで、
純粋な慕情なのか歪んだ恋慕なのかと混濁した印象を抱くほどです。


折々に文楽浄瑠璃の一節なんかを引用していて格調高いことが
かえって頽廃的な照りを出しているように思いますね。

例えば母親と「葛の葉」を重ね合わせるような物言いがあるのですが、
「葛」というところでタイトルとも繋がっている気がするのですが、
普通の母親に「葛の葉」みたいなキャラ設定はつけませんからね。

葛の葉っていわゆる安倍晴明の母親(正体は狐)ですからね。
シャーマンキングで言えばハオおじさんのお母様ですからね。


つまりお友達は自分の身上を安倍晴明とかハオとかになぞらえた上で
母恋し中二全開editionな焦がれを長年患いこんできた訳なんですよ。
それを格調高い美文で延々語っているから面白いんですよ。

最終的に母の面影を感じる娘さん(要はアンナ)に惚れてしまう訳ですし。
エディプス! コンプレックス!!


このお友達、大阪の島の内出身の旦那さんです。
ええところのお坊ちゃんなんです。

いいですねえ、亡き母親の呪縛に囚われた無垢青年。
いつの時代もけっこうなニーズがありますよね。 
ぜったい夜中にひとりで「母さん……」とか呟いて泣いてますよ。

 

 

 


さて、本編は以上の通りなのですが。


私がこの小説を読み始めたのは、次の導入部に痺れたからなのです。

 

読者のうちには多分ご承知の方もあろうが、昔からあの地方、十津川、北山、川上の荘あたりでは、今も土民によって「南朝様」あるいは「自天王様」と呼ばれている南帝の後裔に関する伝説がある。


 

普通小中学校の歴史の教科書では、南朝の元中九年、北朝の明徳三年、将軍義満の代に両統合体の和議が成立し、いわゆる吉野朝なるものはこの時を限りとして、後醍醐天皇の延元元年以来五十余年で廃絶したとなっているけれども、そののち嘉吉三年九月二十三日の夜半、楠二郎正秀と云う者が大覚寺統親王万寿寺宮を奉じて、急に土御門内裏を襲い、三種の神器を偸み出して叡山に立て籠った事実がある。
この時、討手の追撃を受けて宮は自害し給い、神器のうち宝剣と鏡とは取り返されたが、神璽のみは南朝方の手に残ったので、楠氏越智氏の一族等は更に宮の御子お二方を奉じて義兵を挙げ、伊勢から紀井、紀井から大和と、次第に北朝軍の手の届かない奥吉野の山間僻地へ逃れ、一の宮を自天王と崇め、二の宮を征夷大将軍に仰いで、年号を天靖と改元し、容易に敵の窺い知り得ない峡谷の間に六十有余年も神璽を擁していたと云う。
それが赤松家の遺臣に欺むかれて、お二方の宮は討たれ給い、ついに全く大覚寺統のおん末の絶えさせられたのが長禄元年十二月であるから、もしそれまでを通算すると、延元元年から元中九年までが五十七年、それから長禄元年までが六十五年、実に百二十二年ものあいだ、ともかくも南朝の流れを酌み給うお方が吉野におわして、京方に対抗されたのである。


!!

 

私の知り得たこう云ういろいろの資料は、かねてから考えていた歴史小説の計画に熱度を加えずにはいなかった。南朝、―――花の吉野、―――山奥の神秘境、―――十八歳になり給ううら若き自天王、―――楠二郎正秀、―――岩窟の奥に隠されたる神璽、―――雪中より血を噴き上げる王の御首、―――と、こう並べてみただけでも、これほど絶好な題材はない。

普通世間に行き亘っている範囲では、読み本にも、浄瑠璃にも、芝居にも、ついぞ眼に触れたものはないのである。そんなことから、私は誰も手を染めないうちに、自分が是非共その材料をこなしてみたいと思っていた。


!!!

 

 

 

まじかーー!!

 


文豪!

 

 

谷崎潤一郎が!!

 

 

後南朝小説を!!!

 

 


うっほぉぉおおイェーイと痺れまくったのです。

(しかし吉野民のことを土民とは言い過ぎではないか)

 

しかし、お話はまったく後南朝に関係のない方向に流れていき、
それはそれで前述のとおりたいそう面白かったのですが、
あれ? 後南朝は? と思い続けて最後まで読んでみると……

 

 

私の計画した歴史小説は、やや材料負けの形でとうとう書けずにしまったが

 


…………ズコー!!


肩すかしを喰らって土俵下まで突っ込んで頭を割ったような思いです。

 


谷崎潤一郎をして「材料負け」。

 


なんて重いんだ後南朝

ますます誰も手を出せないぜ後南朝

 

 

 

いつか後南朝を扱った大ヒット伝奇物語が生まれますように。