肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「道頓堀川」宮本輝さん(新潮文庫)

 

 

宮本輝さんの「道頓堀川」という小説にかんたんしました。

 

www.shinchosha.co.jp

 

カネなし、コネなし、単位なし。極貧学生邦彦。就活は書類落ちの日々だけど、コーヒーを淹れさせたら、絶品なのだった。哀しみとネオンが川面に滲む大阪文学の金字塔。

両親を亡くした大学生の邦彦は、生活の糧を求めて道頓堀の喫茶店に住み込んだ。邦彦に優しい目を向ける店主の武内は、かつて玉突きに命をかけ、妻に去られた無頼の過去をもっていた。――夜は華やかなネオンの光に染まり、昼は街の汚濁を川面に浮かべて流れる道頓堀川。その歓楽の街に生きる男と女たちの人情の機微、秘めた情熱と屈折した思いを、青年の真率な視線でとらえた秀作。

 


昭和56年に発表された作品です。

上記概要のとおり大阪の道頓堀を舞台とした小説でして、登場人物それぞれの人生の機微を刻々と描写している点が特長かと思います。

 

 

以下、ネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主人公は二人です。


一人目は大学生の邦彦くん。
両親に先立たれ、道頓堀・戎橋近くの喫茶店「リバー」でバイト・居候しています。
老成しているところがあって年上の男女に愛されるキャラクター。
物語の開始時点では童貞で、就職先も決まっておりません。


もう一人は喫茶店「リバー」のマスター、武内さん。
戦後の復興期は玉突き(ビリヤード)バクチで生計を立てていた方で、玉突きの腕では並ぶ者がおりません。
現在は喫茶店経営に身を落ち着けており、玉突きからは遠ざかっております。
かつて自身の暴力が(間接的な)原因となって妻を亡くしており、その経緯もあって息子の政夫くんとの関係はぎこちない感じです。

 

 

邦彦くんの役割は狂言回し的で、物語の中で彼はさまざまな人物に出会っていきます。
武内さんの息子で玉突きにハマっている政夫くん、死んだ父親の愛人だった女、ゲイバーで働くかおるさん、ヌードダンサーのさとみさん、死んだ父親の世話になったという料理屋の主、金持ちの妾であるまち子さんと、まち子さんが拾った三本足の犬……などなど。

社会に出る直前の彼が“道頓堀らしい”人生の数々に触れて何を思い、どのような道を選ぶのか。

結末は明記されておりませんが、彼は「この街にいてはいけない、抜け出さないと」と決心したように思えます

 



武内さんは実際にストーリーを動かしていく役目です。


武内さんの人生は壮絶で……


 ・玉突きバクチで生計を立てていたこと

 ・拾った女に気まぐれで銭を与えてやったこと

 ・その女は現在焼肉店を経営していて成功していること

 ・一方の自分は小さな喫茶店の主で終わってしまいそうなこと

 ・妻との出会い

 ・妻が貧乏画家の杉山さんに寝取られたこと

 ・生活に困窮して戻ってきた妻を本気で蹴り飛ばしたこと

 ・蹴られた妻は腎臓を悪くして早くに亡くなったこと

 ・喫茶店「リバー」に死んだ妻が選んだギヤマンの水指を飾ったこと

 ・ギヤマンは杉山さんが書いた海の絵の色とそっくりだと気づいたこと

 ・息子の政夫くんがかつての自分と同じく玉突きで生計を立てていること

 ・息子の政夫くんは赤ん坊の頃に杉山さんに懐いていたこと


などなど……

一見そこそこ繁盛している喫茶店のマスターなんですが、内面はドロッドロ、「受け容れられない」「消化できない」ことだらけのお方なのです。


物語終盤、彼は息子の政夫くんと玉突きで勝負することになります。
勝敗は明らかではありませんが、「政夫が勝ったらビリヤードの店を出してやる」だなんて言い出しはります。
玉突き勝負を経て息子との確執は溶けつつあるも、逆に玉突きバクチの世界に再び引き寄せられつつあるように思えます。

同時に、武内さんは息子同然と可愛がっているバイトの邦彦くんを「自分のところに引き留めておこう」と決心しはります。



物語の最終局面、「道頓堀から離れよう」としている邦彦くんと、「邦彦くんを道頓堀に留め置こう」としている武内さん。

この対比が絶妙だと思います。

 

 


……物語の冒頭。

邦彦くんの主観において、道頓堀に対してこんな描写が入ります。

夜、幾つかの色あざやかな光彩がそのまわりに林立するとき、川は実像から無数の生あるものを奪い取る黯い鏡と化してしまう。不信や倦怠や情欲や野心や、その他まといついているさまざまな夾雑物をくるりと剥いで、鏡はくらがりの底に簡略な、実際の色や形よりもはるかに美しい虚像を映し出してみせる。だが、陽の明るいうちは、それは墨汁のような色をたたえてねっとりと淀む巨大な泥溝である。

あぶくこそ湧くことはないが、ほとんど流れのない、粘りつくような光沢を放つ腐った運河なのであった。

 



また、同じく邦彦くんは物語の中で、こんな詩に出会います。

船に乗って行く
別々のところで生まれた
別々の心の
俺という数千人が
同じ船に乗り合わせて
流れて行く

 

 

川と船の違いはありますが……


思うに、道頓堀や詩の中の船は、武内さんたち道頓堀で生きる人々の象徴なのではないでしょうか

夜の街にせよ玉突きバクチにせよ、きらやかで艶やかな魅力はあるのだけれど……。



武内さんなんて、人生のあれこれにより濁りに濁った魂の持ち主になっております。

息子の政夫くんも玉突きバクチにハマってどっぷり泥溝に浸かっています。

ゲイバーのかおるさんは相当濁っていますが、道頓堀から脱出しようとしています。

ヌードダンサーのさとみさんは明け方の喫茶店リバーで全裸で踊り、泣きじゃくります。

「私なんか、毎日、頭が変になってるわ」

そう絞り出すさとみさんからは、濁りつつある若い女性の魂の慟哭を感じます。

妾をしているまち子姐さんは旦那が超高齢者なので乾いた泥のような状態です。
その乾きに応えて邦彦くんは優しく接しますが、濡れた彼女の正体も結局は泥なのです。

 

「泥のように濁っている=悪で是正すべき」という訳ではないですよ。
濁りとは……世俗の垢、悔い、煩悶、鬱屈、傲慢、悲痛、そういった大人になった誰もが持つものの総称と考えています。

道頓堀に限らず、人が集まって暮らせばそうなるんだろうと思います。
だからこそ、この小説は人の世の真実を正面から書き表している凄味があるのです。

 

 


私見ですが、邦彦くんはこのあと一旦道頓堀を離れ、どこかの土地で暮らし始めるも……
結局は道頓堀に戻ってくる気がいたします。

そしてそれは、まさしく武内さんが現在進行形で進んでいるような、人生が道頓堀と化していく道なのだと思います。

 

 


演歌でも、大阪エレジーでも、ミナミの帝王でも描写された道頓堀。

美しい表面が1割と、濁った因業が9割のような世界。


底知れないですね。


この作品から35年の時が経ってますが、いまも道頓堀はそんなに変わっていないように思えます(笑)。

そんな道頓堀の雰囲気が私は好きです。

 

 

 

さまざま書きましたが、宮本輝さんならではの筆の冴え、人生と人生が交錯する迫真を感じ取れる素晴らしい作品だと思います。

以前錦繍という作品にも深く感動したことがあるのですが、この方の描く文章は「実在する誰かの人生の結晶」のような抒情がありますね。

他の作品も積極的に読んでみようと思います。

 

 

近年、少しずつ大阪の水辺がきれいになってきています。
中之島周辺の景観なんて驚くほど様変わりしましたよね。

「水の都」大阪の洗練が、泥のような庶民ひとりひとりの喜びにも繋がりますように。

 

 

 

 

↓ご参考:物語に出てくる幸橋はこちらです。なにわ筋の一本西側。

 

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