何気なく日経新聞を眺めていたら、裏側の文化面、「私の履歴書」と同じページに三好長慶さんの記事が掲載されていてかんたんしました。
ついに日経新聞にまで名前が載るようになってきたんですね。
紙面では、呉座勇一さんの「応仁の乱」や亀田俊和さんの「観応の擾乱」の紹介記事に続く流れで三好長慶記事が載っています。
変わる室町観 応仁の乱は地方分権 秩序あった 関連本のブーム続く :日本経済新聞
「室町時代観と一緒に戦国時代観も変わっちゃえよ」と言わんばかりな構成で、静かに楽しいです。
「近世の城郭の起源?」の方では、三好長慶さんが晩年過ごしていた「飯盛城※」の立派な石垣跡に触れ、信長さん以前の三好時代に近世城郭の嚆矢があったんじゃないか的なことを紹介いただいております。
※以前は「飯盛山城」でしたが、最近は「飯盛城」と呼ぶのが主流のようです。
個人的には「いいもりじょう」より「いいもりやまじょう」の方が発声の音韻が
快いと思いますが。
記事中の“信長以前に本格的な石垣を築いた城郭は飯盛城以外に見当たらない”はちょっと言い過ぎじゃないかという気がしますけれど。
(滋賀の観音寺城とかにも石垣は使われていたかと思います。石垣自体はもともと寺社建築で使われていた技術ですしね)
また、記事では長慶さんが信長さん同様に本拠地を次々と移していたことも紹介されており、そうした先進性を以て「信長の手法先取り」と褒めていただいている流れです。
最近の長慶さんをアゲるムーブメントが、こうして全国紙でも取り上げられるようになってきました。
そのこと自体はとっても嬉しいです。
嬉しいんですけど……。
「手法先取り」……。
日経の記事がどうこうではなくて、またこういうパーツを拾って誰がすごい誰がすごくないと批評する歴史ファンが出てくるんだろうなあと思うとうーーんという気分になります。
戦国大名の優劣を批評するときに、個別の政策・執行・戦績を数え上げて、星取表みたいに「この大名はこれを取り入れたのが早かった……イケてる」「この大名はこれができてないので遅れてる……守旧的」と〇・✖と先・後を並べていって、「長慶さんはこれもこれも早くからやっている」「信長さんは意外と独自政策が少ないじゃん」とか述べていく我々戦国時代ファン側のスタンス。
これって、これからもそうなんかなあ……と近ごろ感じています。
完全に私見ベースですが、プロの人にはお叱りを受けるかもしれませんが、戦国時代の研究って室町時代からの連続性をブッた切ったところから始まっていて、それって記録が多く残る北条家の内政面といったところを中心に発展してきて、具体的には「検地・税制」「土木・治水」「軍制」「築城術」「大名集権と官僚的制度」「分国法」など……すなわち「戦国大名」「独自地方政権」としてどれだけ体制が整備されているか、という視点であの大名は立派だ立派じゃないんだということを整理してきたっぽいんです。
で、研究が比較的浅かった時代ですと、なんでもかんでも信長さんが発明したということになっていましたので、「信長さんは革新的」「天才」という感じで褒められ。
さいきんは研究が進展してきて、信長さんの独自政策はどれもこれも先駆者がいるということが分かって検地や軍制も東国に比べると遅れているように見えて、「信長さんは守旧的」「成り上がったのは尾張という土地のおかげ」という感じにディスられるようになってきているんですけど。
なんかこう……
ファンサイドが節操ないと申しますか……
史実の大名さんたちがどうこう以前に、我々戦国時代ファン側が「スペック比較マニア」みたいじゃないですか。
(戦績面……一つひとつの戦の規模や意味合いが違うのに、勝率とかで各武将を比較するのも同様です)
残念ながらどんなジャンルの趣味にも見られる現象ですけど。
スペックだけで優劣を比較するのは……なんかこう……
いまは長慶さんが先駆的だ信長さんより先だと褒めていただいていますが、じゃあ研究が進んで細川晴元さんや高国さんが同じようなことをやっていたことが分かったら、またしても掌クルクルするんですかと……。
技術なんかは畿内にいれば先に入ってくるのが当たり前で、「他の地域の大名より早いぞ!」ってアピールする方が虚しいと思うんですよね。
信長の野望とかは娯楽ゲームですから、好きに数値化したり主人公の信長さん周辺を強くしたりして楽しめばいいと思うんですけど、歴史のファンや研究者までもが細部スペック星取表比べや独自性アピールだけに夢中になってしまったらそれはちょっとなあと。
もちろん、優れた独自統治をたくさんしてきた大名を乏しめたい訳じゃないんですよ。
「戦国大名としての独自っぷり」という物差しだけで評価しちゃうのがどうかなあと言っているだけです。
早くから室町秩序の解体が進んだ東国と、幕府の権威が強く残っていた畿内西国とではまたフィールドが違うじゃないですか。
あるいは長慶さん時代と信長さん時代と秀吉さん時代だったら、当然に技術の進展状況も政治に対する世論も違うじゃないですか。
そういう地域や時間軸の特性を踏まえつつ、いろんな物差しで各大名の動きや優れた面を見ていく必要があるんじゃないかなということです。
例えば。
「変わる室町観」の記事でも紹介されているとおり、室町時代って意外と秩序があったことがだんだん認知されてきております。
じゃあ、その秩序がどのように解体されていって、安土、桃山、江戸時代へと再構築されていくか……という流れがポイントになってくるんですが。
「従来秩序の解体」を物差しにするならば、「下剋上」という行為が一層ポジティブに評価されていくことになるでしょう。
先駆けの朝倉英林孝景さんなんかがもっともっと評価されていくかもしれません。
細川京兆家が中央政権構造を変容させていった役割もすこぶる大きいと思いますし、
北条家は内政面ばかりが取り上げられますが、関東足利氏・上杉氏による秩序を克服していった過程こそもっと評価されるべきだと思います。
反対に、意外とあった室町秩序を実際に支えてきた方々……平たく言えば守護大名の皆様(六角家、畠山家、武田家、大内家などなど)の、従来秩序を守る責任感や公徳心なんかももっと評価されてしかるべきだと思います。
秩序克服側も秩序守護側も、お互いよかれと思ってやっているんですからね。
どっちが正しいではなく、社会全体の合意形成のために意見をすり合わせることこそが必要な時代だったんだろうなと受け止めています。
(すり合わせる手段が議論ではなくて合戦だったのは室町的ですが)
そして、長慶さんも信長さんも、「●●を先に始めたからすごい」だけではなくて、幕府・守護大名の秩序に挑戦していった面や、地方分権の流れを再び中央集権の流れに転換せしめた面、何よりも天下静謐の為に自らの身を捧げた公共心といった面も、スペック以外の定性評価として注目いただけたらなあと考えちゃいます。
(ある程度なりゆきでそうなったのかもしれませんけど)
現代人にしても。
「新たな技術」「新たな制度」といったツールだけでは世の中の閉塞感は打開できないって身に染みてきているじゃないですか。
だからこそ、歴史上の人物を評するときには「how」のところばかりでなく、「why」「for what」のところをもっともっと注目していくといいと思うんですよね。
室町時代本が売れているのも、三好長慶さんの生涯がなぜか人を惹きつけるのも、そういうところが求められているからではないでしょうか。
以上、いつも以上にまとまりのないことを書いてしまって恐縮です。
読み返してみると、せっかく長慶さんを取り上げてくれた日経新聞さんの見出しにイチャモンつけているように見えなくもないのでヤッベェと恐れおののいているのですが、目立つ紙面で長慶さんを取り上げてくださって本当にうれしく思っています!
周囲にもアピールして日経新聞を購読するよう勧めておきました!
今朝の朝刊、せっかくなのでパラパラ読んでいたんですが、18面の「歌壇」もよかったです。
歌人の名(日経の読者さん)は伏せますが、
ひたすらに年を重ねて手をさすり足をさすりて秋の夕暮れ
世界中の兵器工場を饅頭の工場にせよと願う秋の日
といった歌が特にいいなあと感じました。
こういう趣味も素敵ですね。
もうちょっと私に国語力があったら俳句とか和歌とかにも挑戦してみたいです。
引き続き三好長慶さんの知名度が高まりつつ、だからといって他の大名がディスられたりしない懐の深い感じに歴史趣味界隈の秩序が構築されていきますように。
歴史に限らず、悪魔城でもwizardryでもマジンガーでもガンダムでも、ファン同士の罵り合いが苦手なんですよね……。