コメント欄で「河越夜戦シナリオで細川晴元失脚イベントが発生する」という情報を教えていただきました。
ありがとうございます。
さっそく河越夜戦を開始して次々起こるイベントを見てみたところ……
大志世界における
「足利義輝」さんのあまりにも残念な人物像と
「三好長慶」さんのあまりにも危うい人物像の
描かれっぷりにかんたんしてしまいました。
以前紹介した松永久秀さん言行録とあわせて、大志のシナリオライターさんがどのような演出をされているのか一本の線で繋がったような印象です。
信長の野望・大志の「松永久秀言行録(三好家崩壊)」 - 肝胆ブログ
信長の野望・大志の「松永久秀言行録②(永禄・金ヶ崎・忠臣・爆死等)」 - 肝胆ブログ
足利義輝像(剣豪将軍誕生) 1546年12月
征夷大将軍となった足利義輝さんと、側近の細川藤孝さんが仲良く会話してはります。
(あくまで俗説ですが、このふたりは腹違いの兄弟説もあったりします)
意気込む義輝さん。
義輝さんの人物像自体は従来シリーズと一緒で、剣技を磨き幕府再興に燃える武家の棟梁らしい描かれ方です。
しかし……
と。
細川藤孝さんは「何言ってんだこいつ……(はっ! お任せくだされ!)」みたいな受け止め方をされています。
……大志では、義輝さんは一貫して残念な人扱いされていて気の毒です。
信長さん以前の畿内史研究が進んでいなかった頃は、義輝さんは孤軍奮闘したけど非業の死を遂げた無念の英傑といったイメージで見られておりました。
例の、畳に宝刀を何本も差して……という講談の影響もあって、義輝さんは実像がよく分からないまま高く評価されがちだったのです。
ところが、畿内史の実態がさまざま明らかになってきた中で、細川家も畠山家も三好家も国衆も幕府奉公衆もそれぞれがそれぞれの立場でいろいろ頑張っていたことが注目されてくると、「義輝さんの振る舞いは畿内の混迷を深めただけではないか」「統治者としてあんたは何をしてたんだ」「刀振ってる場合じゃないだろ」「奉公衆をちゃんとマネジメントしろよ」という感じに見られることが多くなってまいりました。
これが大志版久秀さんの「よく動く馬鹿者」発言にも繋がっていると思われます……。
とはいえ、個人的にはこうした最近の評され方はやや反動的というか、今度は過小評価に振れてしまったような印象を抱いています。
とりわけ1558年の三好長慶さんとの和睦以後は、まさに上で藤孝さんが言ってはる通り、うまく三好家の力を活用できていたんじゃないでしょうか。
1558年の和睦は、義輝さんにとっても長慶さんにとっても、お互いに勇気の要る決断だったと思います。
畿内静謐を最優先した両者も、和睦を斡旋した六角義賢さんも立派ですよね。
(久米田の戦いと義興さんの急死が、再び流れを悪くしちゃいました)
マイナーな畿内史世界の中で、三好家がさいきんちょっと人気が出ている一方、義輝さんが単純な残念キャラに見られがちなのは、まだまだ研究過渡期だからこその現象ではないでしょうか。
と、まじめな話をしましたところで。
このイベント、1546年発生です。
足利義輝さんは1536年生まれでこの年11歳、
細川藤孝さんは1534年生まれでこの年13歳です。
上のおっさん二人がしゃべっている画像は、あくまで小学生と中学生の会話なのです。
小学生はでかいこと言って、中学生は斜に構えている。
いたって普通の光景ですよね。
史実とか実像とかはいったん置いておいて、創作作品だしティーンエイジャーだしという感じに軽やかに眺めるのが正しい楽しみ方かと思われます。
あと、一般に知られていない義晴さんの苦労も仄めかされていたのはよかったです。
さあみんなで義晴さん時代の混沌に飛び込もう。
三好長慶像(細川晴元失脚) 1548年5月
とうとう本家野望シリーズで「三好政権」を明言しちゃいましたね。
三好政権&長慶天下人説を受け入れがたい方も多いと思うんですが大丈夫でしょうか。
さて、大志の三好長慶さん。
おおきくは「血を好まぬ、慈愛に満ちた雅なる心をお持ちのお方」ですが。
\わしが仕えるに相応しい/
長慶さん関係イベントを通してみると、もうひとつの面が見えてまいります。
まずは細川晴元失脚イベント。
三好長慶さん27歳。
精悍かつ尖ってはりますね。
細川晴元さんを「邪知暴虐」「能無し」と断じた上で、お前は支配者の資格がないから自分が代わりて統治せんと言い切っております。
時は流れて長慶さん臨終の際。
「血も……家も……つまらぬこと」
「この乱世に要るは腕と知のみ」
と、久秀さんへの権力継承を快く認めはります。
(ルート選択次第ですが)
さらにさらに久秀さん臨終時には。
信長さんに対して「天下は譲ろう」。
この一連の流れ、いかがでしょうか。
さりげない表現ですが、これらのイベントを通して長慶さんの危うさ、異常性が浮かび上がっているように私は思います。
「血も家もつまらぬ」「要るは腕と知」というセリフが象徴していますが……
大志世界の長慶さんは、いわば究極の実力至上主義者。
野望のためではない。
仇討ちのためでもない。
お家のためですらない。
もちろん氏綱様のためでもない。
ただ、
己や国衆や民に難儀をかける統治者がいるなら、実力者が取って代わるべき。
そこに躊躇がありません。
細川家? 足利家? 家格なんて関係ない。
自分が去った後の三好家? 一門に実力者がいないなら他の実力者に委ねるべき。
自分の家を例外にはしない。
そしてこの志を受け継いだ久秀さんも……
己以上の実力者が現れたなら、潔く天下を譲るという姿勢を見せるのです。
\されど長慶様が一緒なら負けなかったもん/
実力主義。
パッと聞きにはいい言葉です。
ですが、これは突き詰めるとものすごく危険な思想です。
無限の下剋上を招きかねない発想です。
秩序の破壊者宣言なのです。
この時代、実力を示すにはどうしても戦が伴います。
「俺の方が実力がある!」と言い出す挑戦者がいる限り戦乱が止むことはありません。
愚かな支配者は吊るしてもいい、となったらどんな世界になることか。
なんだかんだで戦国時代でも家格や権威はものすごく大事で、建前であっても大半の人が家や血がもたらす秩序に服していたのです。
統治者にとって、この長慶さんの本音ほど恐ろしいものはありません。
後の秀吉さん⇒家康さん⇒秀忠さん⇒家光さん⇒……が全力で封印した下剋上ですよ。
いやさ三好家中にとっても長慶さんの本音は危険すぎます。
家内安全とは真逆のスタンスなのです。
長慶さんの超一級の実力があれば当座は秩序が成り立つかもしれませんが……。
義興さんが存命ならば実力者から実力者への権力移行もできたかもしれませんが……。
長慶さんの実像についても確たる定説はありません。
なりゆき下剋上おじさん説もいまだ有力ですし。
ただ、見方にもよりますが、長慶さんの事績を辿って浮かび上がってくるのは確かにこうした人物像だったりもするんですよね……。
大きくは穏健で良心的な文化人なんだけど、やってることをよく見たらエゲツナイ。
頭おかしいというか、何かが欠落しているかのような。
静かに秩序と常識を破壊しまくる怪物感。
こうした長慶さんのS級危険人物な面をうまく表現し、主人公信長さんに至る流れへと繋げてくれた大志という作品。
ゲーム性の部分でいろいろ非難も受けていますが、歴史考証とシナリオテキストづくりの部分では大成果を上げてはると思いますし、私は感謝しています。
(この辺に興味のあるユーザーは数%でしょうけど……)
それにしても。
長慶さんのような人が現れたのは、やはり畿内という環境が特殊だったからなんでしょうか。
木沢長政さんなんかも長慶さん同様に実力至上主義の匂いがします。
応仁の乱以来100年の争乱がこうした常識をぶち壊す系人材を生んだのかもです。
(私は細川晴元さんのことも愚か者というより被害者だと思っています)
ちなみに、細川晴元失脚イベントでは
池田信正さん謀殺事件が取り上げられていました。
まさか勝正さんより先に信正さんが注目されるとは。
これには全国の池田家ファンもびっくりですね。
いろいろと書きましたが、あくまで素人雑感ですのでご留意ください。
三好家好きの視点に偏っていることを自覚しております。
むしろ、「近頃の三好長慶は持ち上げられすぎだ!」「細川家だって~~という成果を上げている!」「足利将軍の権力構造を単純化して語りすぎ!」みたいな多様な議論が畿内史研究で盛り上がって、新たな定説の形成に向かっていったらいいなと思っています。
かつて信長さん研究が受けた苦難……世間イメージ先行のバイアスに嵌まることなく、畿内史研究が着実素直に進展していきますように。
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河越夜戦シナリオ。
他にも様々なイベントが起こって楽しいですよ。