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「アラブが見た十字軍」アミン・マアルーフさん / 訳:牟田口義郎さん・新川雅子さん(ちくま学芸文庫)

 

アラブ人側の一次史料に基づいて十字軍史を描いた当著が様々な観点から印象深い……とりわけヌールッディーン様素敵すぎ……でかんたんしました。

 

www.chikumashobo.co.jp

 

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表題通り、11世紀~13世紀のフランク(十字軍)によるシリア侵略について、アラブ・イスラム教徒の視点から経緯を追った本になります。

 

こう書くと「西欧の侵略者たちはこんなに酷いことした!」的な告発系の内容をイメージするかもしれませんが、そういう事実の描写ももちろんあるものの、アラブ人である筆者の視点は割と公平で、むしろアラブ側の残念な部分を鋭く指摘しながら忸怩たる思いを抱いてはるのが伝わってきて好感度高いです。

 

 

とはいえ、読み始めでつまづく人も多いかもしれないなあという印象もあります。

 

おそらく原文由来だと思うんですが、独特の言い回し、安定しない三人称、史料引用箇所の“(と●●●(史料筆者)はいう)”などなど、この本は文体にけっこうクセがあります。

 

その上、序盤の描写……フランク人の侵略が始まったころ……はイスラム側はぐだぐだだわフランク人(もちろん一部の)はマジ蛮族だわで内容的にも重苦しいものですから、挫折要素が満載なんですよね。

 

 

それでも「イスラム側マジぐだぐだ」「フランク側マジ蛮族」のパートを辛抱しながら読み進め、「暗殺教団マジ恐怖」を経て、「ヌールッディーン様マジ信仰の光」「サラディン様マジ信仰の救い」までいけばもう輝かしいくらいに面白くなってきますので。

 

中盤後半と尻上がりに楽しくなっていくことを信じて読んでみてください!

 

 

 

以下、特に印象に残った点を時系列順にご紹介します。

あくまで私が受けた感想です。

 

 

 

イスラム側マジぐだぐだ&フランク側マジ蛮族

トルコ帝国の見かけだけの統一にだまされてはいなかった。セルジュークの親類縁者のあいだには、連帯感のかけらもない。

フランクに通じている者ならだれでも、彼らをけだものとみなす。勇気と戦う熱意にはすぐれているが、それ以外には何もない。動物が力と攻撃性ですぐれているのと同様である。(年代記作者ウサーマ・イブン・ムンキズ)

 

十字軍……イスラム側は十字軍と呼ばず、単にフランクの侵略と言いますが……はご承知の通り「エルサレム奪還」を企図したもの(大きくは……)であります。

 

フランクの侵略直前、舞台となるエルサレムやダマスカスやアンティオキアなどが存在するシリア界隈は「セルジューク朝(セルジュークトルコ)」の支配地でございました。

ただ、セルジューク朝はイラン辺りが中心の国家でございますので、このシリア界隈はセルジューク朝にとって「辺境」の地であります。

その上どこかの室町時代に聞いたような話ですが、この頃のセルジューク朝は地方有力者同士の内乱や家督争いが恒例行事。

 

平たく言えば、フランクの侵略に対してイスラム側が一枚岩になることはまずありませんでした。

本気でフランクと戦ったらその隙に同じイスラム側のアイツやコイツに攻められるかもしれない……そんな心配ばかりが先に立って、イスラム側で力を合わせてフランクと戦うような動きがまるで起こらないのです。

 

イメージ的には、イスラムの人たちにとってフランクの侵略とは「三国志の物語における北方異民族や南方異民族」程度の扱いで、メイン課題、主要敵国とは思われていなかったようなんですよ。

端っこの方の話よりもセルジューク朝内での勢力拡大が大事……という。

 

ですので、イスラム側もときどきフランクに勝利したりするんですが、勝利が単発で終わってしまいます。

フランクをひとまず撃退したら再び内乱、ていう感じなんですね。

そこで追撃して徹底的にやっつけてたらエルサレムが落とされることもなかったろうに……と作者が情けない思いを抱きながら書いているのがよく分かります。

 

 

一方のフランク。

イスラム側のぐだぐだリアクションという幸運もあり、なんだかんだでエデッサやアンティオキアやトリポリエルサレムを落としていくことに成功します。

いわゆる十字軍国家の誕生ですね。

 

ただ……補給の段取りが悪かったことによる極限状態のためか、軍構成員の質の問題か、異文化に対する無知や恐怖か、あるいは狂信によるものか。

フランクはイスラム諸都市で虐殺(果ては食人)を繰り広げてしまいます。

 

史実ベースではあるものの、現代に生きる読者としては頭がくらくらするような描写が続きます……正直しんどい……。

 

 

命からがら逃げだしたイスラム難民たちが悲痛な訴えを起こしてもまともに腰を上げないイスラム有力者たちの姿もまた醜く……ほんまに正直しんどい……経緯が続きます。

 

 

 

暗殺教団マジ恐怖

団員は入門者から総長に至るまで、知識、信頼性および勇気の程度によって評価され、集中講義と肉体的訓練を受ける。ハサンが敵を震え上がらせるために好んだ武器は殺人であった。選んだ人物を殺す使命を担った団員は、一人で、またはほとんど珍しい例だが、二人あるいは三人で派遣される。彼らはふつう商人か修道士に変装し、犯行を実施すべき町のなかを往来して、現場および犠牲者の習慣を熟知し、ひとたび計画が成るや、とびかかる

しかし、準備が極秘のうちに為されるにせよ、実行は必ず公けに、できるだけ多くの群衆の前で起こらなければならない。そのため場所はモスクで、いちばん良い日は金曜日、それも正午ということになる。ハサンにとって、殺人は敵を消す単なる手段ではなく、何よりも先ず、公衆に与える二重の教訓なのである。すなわち一つは殺される人物への懲罰、他は、現場で十中八九命を失うからフィダーイ(決死隊の意)と呼ばれる遂行者の英雄的な犠牲だ。

 

暗殺教団……イスラムシーア派の神秘的な過激派集団……が更に混迷を深めます。

 

エルサレムまで落とされ、イスラム方もさすがにジハード(聖戦)の機運が民衆の間に広がるのですが……。

セルジューク朝イスラムスンナ派

シーア派の暗殺教団としてはスンナ派国家が盛り返すのは歓迎できません。

暗殺教団はイスラム方の団結を実現できそうな要人を次々に暗殺し、諸都市の統治者を傀儡にし、フランク方の支援に努めるのです。

 

この点から見ても、十字軍は単純な「キリスト教 vs イスラム教」という図式ではなく、様々な目的・利害を有する諸勢力が複雑なパワーバランスのもとで時に結び時に争いしていたということが分かります。

 

 

それにしても何なんでしょうね、この一次史料ベースでも普通に出てくるファンタジー集団。

いわゆる「アサシン」伝説の元なのですが……。

イスラムがやっと立ち上がったと思ったら即座にリーダーが暗殺される地獄絵巻。

この後登場するサラディンさんでも結局暗殺教団を撲滅することはできなかったというのも恐ろしい。

 

そんな暗殺教団も含めてイスラム圏を丸ごとぶっ壊したモンゴル帝国(フラーグさん)はもっと恐ろしいですが。

 

 

 

ヌールッディーン様マジ信仰の光

ザンギーはその豪遊ぶりと厚顔無恥とで相手をおびえさせたのであったが、ヌールッディーンは舞台に登場するや、信仰心厚く、謙虚で、公正で、約束を守り、そして、イスラムの敵に対するジハード[聖戦]に全身を打ちこんでいる男であるとの印象を、相手にどうにか植えつけることができた。

さらに、もっと重要なことがある。そこにこそ彼の特性があるのだが、彼はその長所を恐るべき政治兵器に育てあげる。十二世紀の半ばというこの時代に、彼は心理的な動員が演ずる貴重な役割をちゃんと弁えていて、本物の宣伝機関をつくり上げたのである。

 

いいところがなかったイスラム世界に、ついに反転の時が訪れます。

セルジューク朝の猛将「ザンギー」さんが、フランクに占領されたままだったエデッサを回復しはったのです。

 

ザンギーさんは典型的なイスラム武人で、このエデッサ回復も信仰的理由というよりはセルジューク朝内乱を有利に進めるため(具体的にはダマスカスを奪うため)の布石に過ぎなかった気がしないでもないのですが、フランクに対する大勝利は大勝利です。

 

イスラム世界は熱狂。

 

結局ザンギーさんはエデッサ奪還の2年後にお酒がらみのイスラム教徒らしからぬ理由で暗殺されてしまうのですが……。

 

 

跡を継いだ「聖王」ヌールッディーンさんが救世主ばりのカリスマを発揮して第2回十字軍を蹴散らし、ダマスカスの無血併合に成功。

ムスリムシリアをほぼ統一し、十字軍国家に圧迫をかけまくります。

(ダマスカスはイスラム都市だけど内乱に生き残るために十字軍国家と組んでいた経緯があります)

 

 

ヌールッディーンさんは武人としての卓越した力量に加え、酒を飲まない、音曲に興じない、清貧、謙虚、節度、イケメン、イスラムスンナ派の発展にひたすら尽力と、人物面までパーフェクトだったようで。

各地のイスラム有力者はヌールッディーンさんに要請されたら、民や宗教人の目もあって協力せざるを得なかったようでありますよ。

 

 

 

サラディン様マジ信仰の救い

個人差はあるが、その差を超えて、サラディンはヌールッディーンのずば抜けた偉大さから、特に初期のころは、強い影響を受けている。彼はふさわしい後継者であろうとし、同じ目標を休むことなく追及する。それはすなわち、アラブ世界を統一すること、そして強力な宣伝機関を駆使して、被占領地、とくにエルサレムの回復のため、精神的にも、また軍事的にも、ムスリムを動員すること――の二つである。

サラディンエルサレムを征服したのは、財物を集めるためでも、ましてや復讐のためでもない。彼が特に求めたのは、自身の説明によれば、神と信仰にかかわる義務を遂行することであった。彼の勝利、それは聖地を侵略の束縛から、流血も、破壊も、また憎悪もなく解放したことだ。彼の幸福、それは、彼なくしてはだれも祈れなかった聖地でひれ伏すことができることから生まれる。

 

ヌールッディーンさんの配下から、もう一人の英雄「サラディン」さんが登場します。

 

フランクのエルサレム王国と結びつかないよう、ヌールッディーンさんはエジプトのファーティマ朝に軍勢を派兵。

紆余曲折の果て、エジプト内の権力闘争に介入することでファーティマ朝を崩壊させることに成功します。

 

ただ、エジプトのトップとして君臨することになったサラディンさんは、ヌールッディーンさんから独立の姿勢を見せ始めます。

この本では、これはサラディンさんの野心というよりは、ヌールッディーンさんサイドから嫌疑をかけられて殺されないため(イスラムあるある)、また、シーア派中心のエジプト人の統治者である以上はガチスンナ勢のヌールッディーンさんと距離を置かざるを得ないため、などと説明されていますね。

 

結局、エジプト掌握の3年後にヌールッディーンさんが病死したこともあり、あらためてシリア&エジプトムスリムサラディンさんのもとに統一されることになります。

 

ここまでイスラム勢力が強大になればフランク側は厳しい。

 

サラディンさんはエルサレムを含むフランク領の大部分を奪回。

イギリスの獅子王リチャードさんの巧みな交渉による部分巻き返しはあったものの、フランク勢力の退潮は決定的になりました。

 

 

有名な話ですが、サラディンさんの大盤振る舞い過ぎるほどの寛大さは素晴らしいですね。経理担当者が不満を言いまくっている描写が楽しいです。

 

 

 

サラディンさんの死後。

 

フランク(第4回十字軍)がイスラムでなくコンスタンティノープルを略奪したり、アル=カーミルさんとフリードリヒ二世さんの政治的調整によりエルサレムが再びフランク側に引き渡されたり、やっぱりエルサレムイスラムが奪還したり、イスラム勢の中心がマムルーク朝に切り替わったり、モンゴル帝国が何もかも滅ぼす間際まで暴れまくったりしつつ、最終的にはマムルーク朝の手でフランク勢力は駆逐され、十字軍の時代は終焉を迎えます。

 

 

結果だけ見ればイスラムの勝利ですが……

 

 

 

筆者の、そしてアラブのコンプレックス

十字軍時代において、アラブ世界はスペインからイラクまで、依然として、知的および物質的に、この世で最も進んだ文明の担い手だった。しかしその後、世界の中心は決定的に西へ移る。

アラブは十字軍以前から、ある種の「疾患」に悩んでいて、これはフランクの実在によって明らかとなり、たぶん悪化もしたが、ともあれフランクがつくったものではまったくない。

西ヨーロッパにとって、十字軍時代が真の経済的・文化的革命の糸口であったのに対し、オリエントにおいては、これらの聖戦は衰退と反開化主義の長い世紀に通じてしまう。四方から攻められて、ムスリム世界はちぢみあがり、過度に敏感に、守勢的に、狭量に、非生産的になるのだが、このような態度は世界的規模の発展が続くにつれて一層ひどくなり、発展から疎外されていると思い込む。

 

 

本の終章パートになります。

 

 

フランクを撃退したものの。

 

アラブがもともと有していた潜在的な課題……もはやイスラム世界はアラブ人にはコントロールできていない……ヌールッディーンはトルコ人サラディンクルド人だ……アラブは過去の栄光に浸るのみ……という点であったり、イスラム教と一体化した社会制度が強固すぎて、西欧のような法制・人権が確立されなかったことであったりが、十字軍を機にいよいよ顕在化してきたことを作者さんは喝破しております。

 

その上で、敗れたものの侵略者であった西欧はアラブから多くのもの……医学・天文学・化学・数学・建築、紙の作り方、皮のなめし方、紡績、蒸留、農産物、伝書鳩、風呂などなど……を学び取ったのに対し。

アラブサイドは「侵略されたという被害者意識」ばかりが残って、西欧から何も学ぼうとしない、むしろイスラム文化に閉じこもろうという意識を生んだのだと。

 

それが現在の西欧社会との差になっているのだと……。

 

 

自国の歴史を真摯に見つめ、その上で同胞に対して厳しいメッセージを放つ作者さんの姿勢には敬服を禁じえません。

知識人かくあるべし。

 

 

 

私見ですが、対十字軍の勝利が「英雄」と「信仰の結束」によってもたらされたものであると(一般に解釈されていると)いうのも、副作用が大きかったのかなと思います。

 

英雄って、「英雄頼み」の気質を生んじゃうんですよね……。

組織や制度の見直しに目がいかなくなる……という。

 

信仰にしてもそれは同じで、精神的なものに頼り過ぎる怖さは現代日本人ならなんとなく共感できるのではないでしょうか。

 

私はアラブ人ではないのであんまり過ぎた発言はできませんが、同胞がいまだに「サラディンの再来」ばかりを願っているのだとしたら確かにちょっと……な気持ちになるのだろうとは想像できます。

 

 

 

 

 

以上の通り、十字軍の歴史について相手サイドの視点から、しかも割と公平なスタンスで学んでいける楽しい本であります。

得られる知見も考えさせられる視点も多く、良質な内容になっていますよ。

サラディンさんはともかく、ヌールッディーンさんの魅力をこんなに掘り下げてくださる本も珍しいですし。

 

過去の歴史が現代の我々にどのようなくびきを嵌めているのか。

たまには真面目に考えてみるのもおつなものだと思います。

 

 

 

あいかわらずシリア方面はあいかわらずですけれども、いつの日か古代以来の美しい都市景観が復活いたしますように。

 

 

「アイデンティティが人を殺す 感想」アミン・マアルーフさん / 訳:小野正嗣さん(ちくま学芸文庫) - 肝胆ブログ