肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「島抜け」吉村昭さん(新潮文庫)

 

吉村昭さんの文庫「島抜け」収録の三編がいずれも良作でかんたんしました。

 

www.shinchosha.co.jp

 

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438円+税で2時間みっちり楽しめるんだから名作系の文庫っていいですよね。

 

収められている作品は「島抜け」「欠けた椀」「梅の刺青」になります。

 

 

島抜け

天保の改革頃の江戸時代。

大坂の講釈師「瑞龍」さんが、真田幸村さんが徳川家康さんを追い散らす講釈(講談版難波戦記)で人気を博したために幕府の逆鱗に触れて島流しに遭うお話です。

 

神君家康公にオマエ何上等吐いてくれてんの的な弾圧を受ける訳ですね。

とても理不尽ですが江戸時代の秩序体系的には当然の帰結とも言えます。

 

激しい拍手と瑞龍をたたえる声が交錯し、瑞龍は何度も頭をさげた。

客にとって、徳川方が潰走し、本陣の家康が押し寄せる真田の軍勢に死を予測して恐れおののいたという茶臼山の戦さの講釈は、初めて聴いたもので、それを読む瑞龍に客たちは興奮し、陶然とした。大坂冬、夏の陣は、豊臣方の敗北につぐ敗北で、豊臣家の滅亡は大坂人の深い傷となって残されていた。そうしたかれらに、瑞龍の読む講釈は、豊臣方の名誉を恢復し、家康が恐怖に身をふるわせたという事実に胸をおどらせたのだ。

からの

罪状は明白とされていた。(中略)その戦さで家康が恐怖にかられたと強い口調で講釈したのは、客の歓心をひこうとした甚だもって卑しき行為である。

さらに東照宮様の御名を家康と呼び捨てにし、あしざまに申したのは、御公儀を恐れぬ不当至極である、というものであった。

 

軍記・講談というと現代の歴史ファンからは「史実を歪ませた戦犯文化」みたいな扱いを受けることもありますが、こうした江戸時代の一幕を知ると一概に非難するのも品がないように思えてきちゃうので世の中ってややこしい。

真田家人気がこうした講釈師たちの命がけのパフォーマンスあっての流れなんだとするとあだやおろそかにも扱えませぬ。

 

 

瑞龍さんは捕らえられた後、島津家預かりではるばる種子島に流され、更に種子島から脱出して漂流して清国へ、更に更に脱島者であることを隠して清国船で長崎に送還してもらって、しまいには……という風に物語が展開してまいります。

 

印象的なのは、島津家も種子島の人々も清国人も長崎の役人もみんな親切なのに、瑞龍さんたち罪人が発作的に衝動的に周囲の親切を裏切るようなことばかりしてしまうところ。

ご都合主義感すら漂う感じに脱出のチャンスが突然訪れ、何の計画性もなしに島抜けや脱獄に突き進んでしまう瑞龍さんたちの姿はとても人間味に富んでいます。

犯罪って実際はこんな感じだよな、と思ってしまいます。

 

唐突な成り行きで島抜けすることになった際の瑞龍さんの描写がいいんですよ。

瑞龍は、自分の頭が空白になっているのを意識した。水泡がぎっしり詰り、それが一斉につぶれるような音がみちている。島抜けという言葉が、体にのしかかってきた。そのようなことを考えもしなかっただけに、それが全身を貫いている。

口をきく者はなく、重苦しい沈黙がひろがった。気温は高いのに、海を渡ってくる潮風が刺すように冷たく感じられる。思考力は失われていた。

 

もともと罪ともいえぬような経緯で島送りになった瑞龍さん。

持ち前の頭のよさで流罪人たちの支持を集める瑞龍さん。

けれども流されるままに罪を重ねてしまう瑞龍さん。

 

瑞龍さんの結末はネタバレしませんが、読んでて応援したくなること請け合いですよ。

脱獄モノって妙に主人公を応援したくなりますよね。

 

 

 

欠けた椀

30ページほどの短編で、飢饉に苦しむ江戸時代の甲斐国農民が主人公です。

率直に言って、まったく救いのないストーリーです。


(あえて言えばフィクション作品であることが救い)

 

 

餓死、口べらし、嫁の里追い、物乞い、藁餅、食人疑惑などなど……つらい描写がこれでもかというくらい続きます。

未経験者にも飢饉の恐ろしさが充分伝わる迫真味があって完成度が高い一編ですよ。

 

詳細な経緯は伏せますが、主人公「由蔵」さんの妻「かよ」さんが飢餓と、倫理感と、悔悟とのるつぼに落ちて苦しみ悶える姿は直視できないものがあります。

 

かよの口数は少くなり、それにつれて泣くこともしなくなった。由蔵の後から歩いてきてはいたが、うつろな眼を遠い空に向けているだけであった。

 

かよさんがこうなるに至るまでの事情が……つらい。

でも目をそらさずに読んでしまう作品なんです。

 

 

 

梅の刺青

江戸時代から明治時代にかけての解剖史を扱うドキュメンタリーです。

医学の発展に人体解剖は不可欠だけれど、当時の倫理道徳として遺体の解剖は許されるものではなかったので……という背景がある訳ですね。

 

現代でも献体希望は基本的に少なく、死を扱う話題でもあるだけに慎重な議論がなされている状況です。

献体希望者がじわじわ増えているような報道もありますが、メジャーになったとまでは言えないように思われます。

www.nhk.or.jp

 

 

この小説では、当初は刑死人に限られていた解剖が、徐々に希望者の献体を対象とし始める経緯を記してくださっています。

 

初の献体希望者「宇都宮鉱之進(三郎)」さん。

難病により死は目前、日本医学の発展を望んでの献体申し出でしたが。
奇跡的な病気快癒のため解剖は未実現、宇都宮さんは後に化学界の権威となられます。

 

日本初の献体解剖実施となった梅毒患者の遊女「みき」さん。

タイトルの「梅の刺青」は彼女の腕に彫られていた梅と短冊の刺青からきているそうです。短冊の刺青には「……さま命」と男の名が記されていたそうで、70-80年代のヤンキー姉ちゃんのルーツ味を感じたりして親近混じりの悼みを覚えます。

 

米沢藩士「雲井龍雄」さんの遺体(刑死)も解剖されていたことが紹介されていたり。

政府顚覆を企てた一党の首魁である雲井は体躯も大きいと予想していたが、体は華奢で肌は白く、あたかも女体のようであった。

 

 

特に感じ入ったのが、病理解剖の献体者を讃える岸田吟香さんの美文。

ドイツ人医師のデーニッツさんが心臓肥大症の女性「おいね」さんの病理解剖を行ったことを紹介する東京日日新聞の記事なのですが。

 

「一婦人死体解剖を希望し ジョーニッチ(デーニッツ)執刀」

「(解剖後)直に創口を縫ひ合わせ、血は浄いに拭き取りたれば、只一つの赤筋あるのみにて、少しも姿に変り無きにぞ。親類朋友を始て、その術の精妙なるに感じ、且つはおいねが願を遂げたるを喜び合へり」

「嗚呼偉哉、おいね婦女ノ身ヲ以テ、天下ノ率先トナリ、此難為ノ事ヲ為ス、惟フニ之レ医学ノ歴史上ニ於テ、決シテ泯滅スベカラザルノ要件ニシテ、衛生学実歴ノ端緒ヲ今日ニ開キシ者ト云フベシ」

 

最大級の賛辞をおいねさんに送っておられます。

こうした美文が活字となって新聞紙上に掲載されることは後の献体希望者を励ますだけでなく、おいねさんの親類友人方の心を何よりも慰めたことでしょう。

 

 

淡々とした筆致が先人の功績をくっきり浮かび上がらせている作品だと思います。

 

 

 

 

 

全体的にコンパクトで読みやすくて、とてもいい文庫作品だと思います。

吉村昭さんの作品なのでどれも死の気配が濃厚ですが、決して嫌な気持ちになるような内容ではありません。

死の近くにある緊張と静謐とが、読み手の心に何かを与えてくれるかのようなのです。

 

引続き吉村昭さんの作品が広く読み継がれていきますように。