戎光祥出版の実像に迫るシリーズの「鍋島直茂」が端的に分かりやすく彼の生涯を解説してくださっていてかんたんしました。
信長の野望・大志の鍋島直茂さんが格好よかったのでつい買ってしまいました。
信長の野望・大志「龍造寺隆信と龍造寺家(1570年信長包囲網)」&「鍋島直茂言行録」 - 肝胆ブログ
あんまり九州戦国史や朝鮮出兵には詳しくないので、この本で基本的なことからおさらいできてためになりました。
内容をオフィシャルHPの紹介から引用させていただくと、
【目次】
はしがき 口絵
第一部 龍造寺の仁王門
第一章 鍋島氏の由緒と勢力拡大 謎を秘めた鍋島氏の起こり
/少弐氏の没落と鍋島氏の由緒
第二章 龍造寺隆信の客将となる 千葉胤連の養子となった直茂
/龍造寺隆信の台頭と直茂の初陣/隆信と激戦をくりひろげた
宿敵神代勝利
/大友親貞を討った今山の夜襲
/肥前国内を統一する
/筑後・肥後への侵入/蒲池鎮並の反乱を鎮圧
第三章 揺れる龍造寺家 嫡子勝茂の誕生と隆信の隠居
/動揺する龍造寺家中
/島津氏との雌雄を決した島原の戦い-隆信の戦死-
/戦後処理を差配し筑後を確保
第二部 大名としての自立
第一章 秀吉の島津征伐・朝鮮出兵の直茂 秀吉に好を通じる
/風雲急を告げる九州情勢
/秀吉の島津征伐に従軍し龍造寺家より独立
/肥後国人一揆を討伐
/龍造寺氏に代わり肥前の国政を任される
/急いで進められた朝鮮出兵の準備
/快進撃をつづけた序盤戦
/和平交渉により京城を撤退
/秀吉から帰国命令を受けるも動かず
/ふたたびの朝鮮出兵-慶長の役の開幕-
/朝鮮で奮戦するも秀吉の死により帰国
第二章 関ヶ原から大坂の陣とかけぬけた晩年 上杉景勝討伐に伴い
九州の守りを固める
/柳川城の立花宗茂を攻める
/徳川政権下における龍造寺氏との関係
/官制下佐賀城の五層の天守
/大坂の陣に参陣した勝茂
/直茂の死と処世訓
主要参考文献/基本資料集鍋島直茂関連年表
という構成になっております。
鍋島直茂さんの生涯を素直に史実ベースで辿っていく流れになっていますので、キャラクター性の強い逸話などは載っておりませんし、龍造寺隆信さんなど周辺重要人物もサラリとした紹介に留まっております。
全部で100ページ足らずのボリュームで、淡々と史実事績だけを追っていただくスタンスのシリーズ本でして、そのシンプルさが初学者にとってありがたいんですよね。
ボリュームが少ない一方で、印刷の仕上がりがきれいで、関係文献や史跡の写真がよい品質でたくさん掲載されているのがまた嬉しいのです。
この「実像に迫る」シリーズは短いのでついつい立ち読みで済ませてしまいたくなるのですが、いい本なのできちんと買いましょう。
鍋島直茂さんの生涯……龍造寺家の武将として大活躍していた時代、いち早く豊臣秀吉さんに誼を通じる外交センス、朝鮮出兵で加藤清正さんたちと最前線で戦っていた事績、そして徳川政権下での肥前国主化・主家克服……という流れをあらためて学ばせていただきますと。
個人的に印象に残ったことが三つ。
一つは外交センス。
大友家への対抗上、代々龍造寺家は大内家・毛利家という中国地方の覇者と外交関係を築いていたところに、鍋島直茂さんは天正九年(1581年)の段階で羽柴秀吉さんに南蛮帽子を贈って誼を通じていたということが取り上げられています。
これは織田家および秀吉さんの勢いを見て、毛利家と織田家を両天秤にかけていたということなのだと思いますが、その後の秀吉さんの躍進に龍造寺家&鍋島家がしっかり乗っていけたことを踏まえればとてもよい判断だったと言えるでしょう。
(各地方勢力は秀吉さんにつくかつかないかでお家存否が分かれましたからね……)
秀吉政権下では、毛利家との旧縁を活かしてかちゃっかり小早川隆景さんを通じて中央に伺いを立てているケースが多いのも上手いなあと思わされます。
二つ目は龍造寺隆信さん敗死後のお家立て直し。
島原の戦い(沖田畷の戦い)から秀吉さんの九州征伐までの間の龍造寺家って何してたかあんまり印象がなかったんですが、龍造寺政家さん&鍋島直茂さん(実質はやはり直茂さんの下にまとまっていたっぽい)がしっかりと肥前勢をまとめ、島津家と和平し、大友家の立花(戸次)道雪さん&高橋紹運さんと対峙していたことが取り上げられています。
当主と重臣があんなに一気にお亡くなりになったのに、島津・大友に蹂躙されることなく引続き勢力をよく保っていたという手腕は凄いと思いますし、龍造寺家の底力を感じますね。
三つ目は朝鮮出兵。
鍋島直茂さんは加藤清正さんとともに大活躍していたということは何となく知っていたのですが、交易利権確保を睨んでか帰国命令を受けても無視して朝鮮に居残ったり、清正さん同様に虎狩りに励んで肝などを秀吉さんに贈ったりといったアグレッシブな働きをされていたことは存じませんでしたので印象深かったです。
加藤清正さんが明の大軍に包囲されているところを毛利秀元さんや蜂須賀家政さんや黒田長政さんと一緒に助けるところなんて「若いなあ」とかんたんしてしまいます。
この時点で鍋島直茂さんは61歳ですからね。
このとき緒将は、老将直茂に作戦を求めたので、いったんは辞退しながらも答えて、三十万からの明軍を攻撃するにあたり、囲みの弱い所を自分の軍勢で攻撃するので、その様子を見て作戦を練り、総攻撃に移るように献策し、みずから千六百の軍勢を率いて明軍に攻撃を加えたといわれる。
……やっぱり葉隠味を感じます。
朝鮮出兵関係では、直茂さんだけでなく成富茂安さんの大活躍も印象的でした。
そりゃこんなけ武功上げてたら戦後に加藤清正さんたちにも顔が効くわというくらい。
信長の野望などでは政務家の印象が強いのですが、もっと武勇方面も知られて評価されてもいいんじゃないかと思っちゃいますね。
全体を通じて、淡々とした事績解説からでも充分に、鍋島直茂さんの戦術家としての、あるいは政治家としての、突出した凄みを感じることができました。
やるべきことをやるべきタイミングでやり過ぎちゃうかというくらいガツンとやってる感。
しかも本人は静かにストイックにやってるのが怖い。
そりゃこんな人を隆信さん以外の龍造寺一門が御するのは難しいでしょうし、秀吉さんや家康さんもこっちを立てておくわなと思ってしまいます。
そして、私はそんな鍋島直茂さんにやっぱり憧れてしまいます。
九州三国志というと大友家と島津家の人気が高い印象がありますが、龍造寺家も負けずに人気が出ていきますように。
いちど九州にも暮らしてみたいものです。
「戦国の肥前と龍造寺隆信 感想」川副義敦さん(宮帯出版社) - 肝胆ブログ