肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「予習と復習はどっちが大事でどっちが楽しいか」

 

さいきん私生活でかんたんすることがあり、その過程で予習と復習について考えることがあったのでちょっとまとめてみることにしました。

少し抽象的な話になりますがご容赦ください。

 

 

 

予習と復習、どっちが大事か。

一般的には復習の方が大事だと言われることが多い気もしますが……。

 

私としては「置かれた状況によって異なる」という段階的塩梅論を唱えたいです。

 

 

 

初学者や素人は「復習の方が大事」

そりゃそうですよね。

勉強であれ、職業上の技能であれ、まったくの白紙状態にある人はまず「教えてもらったことを確実に身に着ける」ことが重要になります。

いわゆる「何度も同じこと言わすなボケ!」という事態を避けるためにも復習はとても大事ですね。

 

そもそも予習という先の段階に進むためにはある程度ベースとなる実力が必要ですし、ビギナー的段階にある人はまず手近なところからしっかり復習していくべしなのでありましょう。

 

 

 

普通の人が評価を得るには「予習の方が大事」

世の大多数の人が当てはまるのはこの段階かと思います。

基礎学力は身に付いたのでこれから受験勉強を始めるだとか、職場にも慣れてきて何とか一人前になってきただとか。

ペェペェでもない、スゲェでもない、多少幅はあれど普通の人の範疇のケースです。

 

ここからより高みを目指すのであれば、予習が不可欠になってきます。

 

勉強にせよ、企業等組織で働くにせよ、あるいはフリーランスにせよ、基本的に評価は「他人」にしていただくことになりますよね。

他の誰かに評価をしていただくためには、その誰かの評価軸を“予想”して、“予め備える”ということがすこぶる効果的です。

 

大受験なら東大っぽい問題、京大受験なら京大っぽい問題をたくさん解く。

試合の前には、相手の戦術や癖を分析して作戦を立てておく。

営業に行くのなら、キーパーソンの好みや発言や業績を調べ尽くしておく。

証人喚問に呼ばれたなら、想定される質問と答えを網羅的にインプットしておく。

 

復習は材料が手元にある(教科書や打合せ資料等)ことが多いのに対し、予習は自らの判断で材料を“選びにいく”プロセスが必要なことも特徴的です。

 

ガチでデキる人ならば、予習して、実行して、結果を復習して、更に精度の高い予習が可能になる……という美しいPDCAを回し始めてぐんぐん成長していくものです。

 

能動的な行動であるだけに、また、上手くできれば効能が大きい故に、予習とは他人に評価され、また、他人と差をつけるためにはまことに重要な代物と言えるでしょう。

 

 

 

道を極めるには「復習の方が大事」

まあ、私も含めて該当する人はほとんどいないと思いますが……。

トップに立つ人、道なき道を切り開いているような人、また、何がしかの大きな使命や天命を負う人にとっては再び復習の方が大事になってくるのではないでしょうか。

 

予習というものは他者の評価を追う行動であるだけに、己の実力が既に他者が評価できる次元でなくなってしまっているとしたら。

満点近いパフォーマンスができる前提の実力を備えていて、あとは百に一度のミスを防ぐことが勝負の分かれ目になるような世界で競っているような人なのだとしたら。

 

そこまで到達した人ならば、予習ももちろん続けはするのでしょうが、自分の過去の判断が妥当であったか向き合ってみたり、数少ない失敗をなぜ失敗したのか問い続けてみたり、心理的なブレを克服しようとしてみたり……ということに限りある時間を当てていることが多いように思われます。

 

また、ピークを過ぎた人が、可能な限り実力を長く保ち続けるためにもクオリティの高い復習は必要なのかもしれませんね。

 

 

 

予習と復習の「落とし穴」

まさに塩梅の話です。

 

予習は……やり過ぎると「予習頼みの人」になりかねない危うさがありますよね。

予習していることには強いんだけれども、想定外のことに脆くなるというか。
悪いときには、予習していることだけをやりたがるようになっちゃうとか。

突き詰めるとあらゆる事象を予測することなんてできませんので、どんなことが起こっても安定して高い成果を出せるような素の実力、タフな胆力なんかを別途育んでおきたいところです。

 

復習は……やり過ぎると「世間の狭い人」になりかねない危うさがあると思います。

復習というのは自分の世界、自分の過去に向き合う作業なので、それ自体に新たな広がりをもたらす効能が低いのは否めない訳で。

復習を繰り返して実力が上がって、その道で叱られることもなく頼りにされるばかりという立ち位置に至ってしまった場合。

そこに安住してしまっていいのか、という自問はときどきやっておかないとですね。

 

 

 

「楽しい」のはどっちか

人によると思いますけど、私はさいきん「復習」の方が楽しいです。

「~~がよかったです」みたいなブログを書いている時点でお察しですね。

 

「褒められて嬉しい」「一目置かれるようになって誇らしい」といった実生活を楽しい感じにするには予習の方が役に立つとは思うのですが、予習は先のことを考える作業であるだけにやり始めるとキリがなかったり消耗したりで、あんまりオフの時間にまではやりたくないなあというのが本音です。

 

ただ、自分が少しずつ過去の復習志向になってきていて、先のことを考えるのが面倒になってきているのだとしたら、これってボケの始まりなんじゃねとも思うんですよね。

年を取るほどに復習の方が楽しくなってきている自覚はあるのですが、その楽しさはあまりよくない楽しさなのかもしれません。

 

 

 

 

以上、予習と復習の小話でした。

たいした内容でもないことを長々と書いてしまったなあとも思いつつ。

 

予習と復習のよい循環がいつか私になんかいい感じの力を与えてくださいますように。