肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「松永久秀と下剋上 室町の身分秩序を覆す」天野忠幸さん(平凡社)

 

天野忠幸さんの新作松永本が、従来よりお求めやすい価格(1,800円+税)で氏の三好松永説を分かりやすくコンパクトにまとめはった内容になっていてかんたんしました。

 

あと、あとがきにサラッと結婚されたことを書いてはったことにもかんたんしました。

おめでとうございます。

現代に生きる所帯の暮らしを支えているのだと思えば、あの世の長慶さんも久秀さんも嬉しいのではないでしょうか。

 

 

www.heibonsha.co.jp

 

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おおまかな内容

戦国時代に少し詳しい人であれば、「三好家が再評価されているらしい、というか見方によっては天下を取っていたらしい(三好政権)」とか「松永久秀は実は忠臣だったという説もあるらしい」とか「最近のコーエーは三好主従を推している模様」とか聞いたことがあるかもしれません。

 

そういった流れにドライブをかけてはる学者さんの一人が著者の天野忠幸さんでして、この本でも以前から氏が主張してこられた説……


三好長慶は保守的で甘い人物どころか、当時の価値観からすればとんでもない常識デストロイヤーだった(意訳)」

松永久秀は長慶様だーいすき(意訳)」

三好長慶も久秀のことがだーいすき(意訳)」


みたいな内容を端的に紹介しておられます。

さいきんの三好松永研究にちょっと関心がある、という方にとってはとてもよい入門本に仕上がっているのではないでしょうか。

 

 

 

↓本の記述を一部紹介

久秀は長慶の意向を無視して独断専行したり、自分の意向によって裁許を歪めようとしたりする意図などはなかった。本国寺と清水寺の山論をめぐる将軍義輝の裁許に干渉したことと比べると、その差は歴然である。久秀にとって、長慶こそがあくまでも主君であり、最高主権者であると認識していたのだ。久秀が長慶に背くようなことなど、一度もなかった。

久秀を、長慶は三好氏家臣団内部の家格秩序にとらわれず評価した。多くの大名家では当主一族や有力家臣の名跡を継がせる形で、家格秩序を改変せず、取り立てていた。しかし、長慶は松永姓のまま、久秀を一族や家臣団の最上位に位置づけたのである。長慶は戦国時代で初めて足利将軍家を推戴せず、首都京都を支配したが、家臣団に対しても、家格秩序にとらわれることはなかったのである。

久秀に対して、長慶はもともとは自身の家臣を久秀の家臣としたり、与力や援軍をつけたりして、全面的に後援することで、久秀に腕を振るわせたのである。また久秀も、有為の人材を積極的に受け入れた。それは、天皇の教師、足利一門や守護から、荘園の代官、朝敵とされた南朝由緒の者まで多様性に富む。彼らの中からは、信長の祐筆や秀吉の引き起こした文禄の役の停戦交渉を担い北京へ向かった者、徳川将軍家御流儀としての剣術を確立する者もいた。

大和においては、日本最大の宗教権門であった興福寺と、その膝下の奈良に対峙する形で、新たな武家権力の支配のあり方を示した。その象徴が、南都の宗教建築群を圧倒した多聞山城であり、村落共同体に基づいた支配であった。久秀は大仏殿炎上のイメージが強いが、奈良の住民や柳生氏などの領主だけでなく、興福寺からも官符宗徒中の棟梁として認められるなど、大和に受容され、支持される存在でもあった。

従来、久秀は信長に降伏したとか、名物茶器を信長に献上したことで大和一国を安堵されたと理解されてきた。しかし、これは完全に誤りである。久秀は、義昭や信長にとって敵ではなく、二年前からの味方である。それどころか、久秀は三好三人衆や篠原長房の攻撃を一手に引き受け、その東進を食い止めた。

戦国時代は実力の時代とされるが、それほど単純ではない。身分や家格に規定された秩序が厳然として存在していた。そうした従来の社会秩序を改革することが、久秀にとっての下剋上であった。

 

 

 

もともと天野氏の研究を追いかけていたようなコアな畿内史ファンにとっても、従来の本よりも久秀さんの大和統治の模様が詳しく掘り下げられていますので、戦国期の大和や筒井家の動向等にさまざま触れられて興味深い内容になっていると思いますよ。

 

 

  

特定層に刺さりそうなポイント

久秀さんの人間性というか、あれこれ妄想する余地があるようなエピソードがいくつか取り上げられております。

 

例えば芙蓉ポエム。

南禅寺の高僧が久秀さんに贈った讃の内容が……

「桃李門中多喜色、芙蓉幕下得兵権、民歌美政帰斯主、士感殊恩服厥賢」、久秀さんの下には優れた人物が集まり、芙蓉(富士山の雅名)のように立派な長慶の下で兵権を得ている、民は久秀の仕置きが良いことを喜び、心ある武士は久秀の賢明な処置に服しているという意味になろう。

 

という。

 

芙蓉。

 

確かに富士山のことも芙蓉と表現しますが……。

禅寺では普通に芙蓉の花を活けていたりしますし、ていうか芙蓉って昔から中国では美女の代名詞でもありますし、割とガチでみんな長慶さんのことをそっちの意味のイメージで見ていたんじゃないか説が私の中で腐とはいったい……うごごご!!

 

 

他にも、天野氏の脚色が若干入っているような気がしないでもないのですけど、長慶さんのお気に入り1号の松永久秀さん、お気に入り2号の石成友通さん、前妻と後妻の対立……長逸は見た! みたいな文脈がときどき出てくるのが面白いです。

 

こんな対立軸を挿れられると、三好義興さんが瀕死の時に、久秀さんが友通さんへの手紙の中で悲嘆にくれているという割と最近有名なエピソードについても……

「こんな大変な時に、殿と若のそばにいるのがよりにもよって後妻のあなたで、大和にいる私は悔しいながらもあなたからの便りを心待ちにせざるを得ない」

みたいなニュアンスが実は混じっていたんじゃないかとかもはや史実とか全然関係ない別方面の妄想が頭に浮かんできて困ってしまいます。

 

 

三好家中のこと以外にも、実のお母さんが病気になった時、お母さんはほどなく治ったのに今度は久秀さんの方が心配しすぎて倒れてしまった、みたいな梟雄イメージからはだいぶ遠い一面が紹介されていたりもして楽しいですよ。

 

 

 

ちょい真面目な感想(でも妄想)

少し三好贔屓過ぎではないか、ちょっと足利義輝さんが色々押し付けられ過ぎではないか、などの感触はいつも通りではありつつ。

 

その上で、天野忠幸さんの唱える三好長慶こそが戦乱と従来秩序の克服を最初に手掛けた天下人」「長慶のビジョンを他の誰よりも深く共有し、かつ強く支えていたのが松永久秀という描像は大変魅力的な仮説で、私も含めて多くの人が影響を受けているのですけれど。

 

この本で久秀さんの後半生、長慶さん死後の活動がだいぶ掘り下げられたこともあって、かえって前半生と後半生の繋がりの整合性が難しくなってきたなあ、という印象も抱きました。

 

 

長慶さん死後、三好家中の内乱で三好三人衆や篠原長房さんに押されていたのはまだともかくとして……

その後の、足利義昭さん上洛作戦を牽引し、織田信長さんと一緒に見事足利義昭政権成立を手掛ける松永久秀さんのビジョンがよく分からないんですよね。

久秀さんの実力が相変わらずすごいのはよく分かるんですけれども。

 

長慶さん死後の久秀さん、および三好長逸さんあたりの行動を見ていると、本の前半部分、三好長慶さん生存時部分で語られていた「従来秩序の克服」というビジョンって、あんまり部下の久秀さんや長逸さんには伝わってなかったんじゃないの? という印象を持ってしまうのが正直なところです。

状況に応じて久秀さんは義昭さんを担いだり、三人衆は義栄さんを担いだり。

長慶さんが実際にやっていたこと……義輝さんを追い出したり、仲直りするけど立場をどんどん相対化していったり、そもそも義冬(義維)さんを無視したり……とだいぶ違うじゃないですか。

 

久秀さん・長逸さんに比べれば、むしろ義冬さんを担いだ篠原長房さんの方がとても素直に分かりやすいと思うのです。

 

もちろん人間なので宗旨替えはよくあることですし、臨機応変な立ち回りこそが武家の本分でもありますし、実際の世の中は小説のような分かりやすい一本道のストーリーで進んでいくはずがないですしなんですけどね。

 

結局のところ

秩序克服のような高邁なことを考えているのは長慶さん一人だけだったの?

長慶さんにしても個々の賢い判断を積み重ねた結果がたまたまそうなっただけなの?

久秀さんたちにしてもやはり生き残ることや権益を守ることを最優先したためなの?

などなど、実像らしい実像を掴むにはまだまだ材料が足りないなあという印象です。

 

この、長慶さん死後の反動、混沌がね。

とても人間らしい史実なんだけどね。

 

仮説通り長慶さんが高邁なビジョンをお持ちだったとして、実はそのビジョンを一番よく受け継いだのは部下の久秀さんや長逸さんではなく、友達の千利休さんだった……お茶の世界で新たな秩序を拓くんや……みたいなんもありだなあと思ったりとかね。

 

 

 

 

と、いろいろ書きましたが、最近の研究に触れる上でも、それに反論する上でも、あるいは何かしらの妄想を働かせる上でも、とても好適な材料になる本だと思います。

 

もっともっと研究や議論が進むのを見ていたいですね。

 

この頃の史料……本人たちの手紙などに加え、世論を示すような日記類などなど……がもっと表に出てきて、当時の情勢をクリアに想像できるようになりますように。