肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「戦国期細川権力の研究」馬部隆弘さん(吉川弘文館)

 

遂に発売された馬部隆弘さんの「戦国期細川権力の研究」。

細川家や三好家や波多野兄弟(特に柳本賢治さん)や木沢長政さんなどの事績について勉強になったことはもちろん、戦国期の畿内社会が少しずつ変容していく様をクリアにイメージできるようになる、めっぽう充実した内容にかんたんいたしました。

 

www.yoshikawa-k.co.jp

 

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ものすごく簡素なかたちで各章の内容を紹介したり感想を呟いたりします。

補論はあえて紹介を省きます。

私のバイアスが入ってもよくないので、詳しくは読んでみよう!
(なお800ページ・20000円)

 

 

序章 問題の所在と本書の構成

この冒頭のメッセージが当著全体をよく表しています。

統一権力は、京都を掌握した三好長慶織田信長豊臣秀吉といった権力者の交代を重ねた末に成立した。阿波や尾張を出身地とする彼らには、必ずしも身分が高くないという点が共通する。では、身分秩序の厳しい京都において、彼らはなぜ支配者として次々と台頭し得たのだろうか。その疑問に対しては、彼らが優れた政治力を有していたから、あるいは幕府や朝廷の権威が失墜していたから、という漠然とした答えしか用意されていないように思われる。これでは、下剋上の世であったからという一点張りで説明しているのと、さほど変わらない。そこで本書では、下位身分の者が上に立つ諸条件が歴史的に調っていく過程について、具体的な私案を提示する。いわば、統一権力成立の前提を説明することが本書の主たる目的となる。

身分秩序が厳しいということは、見方を変えると先例が重視される社会ともいえる。つまり、信長以後の権力については、前代の先例に倣ったというおよその見通しは立つ。したがって、長慶を生み出した環境こそが、まずは問われるべきであろう。長慶が細川京兆家の内衆出身であることから、本書の主たる対象も、自ずと戦国期の畿内政治史と京兆家になる。

 

要するに、

なぜ三好長慶さんのような人が誕生したのか?

なぜ柳本賢治さんや木沢長政さんや三好元長さんは三好長慶さんになれなかったのか?

これらを解くためにも細川時代を研究する必要があるよね!

ということです。

 

 

第一部 細川権力の基本構造と高国期の変容

第一章 奉行人奉書にみる細川京兆家の政治姿勢――勝元期から政元期にかけてを中心に――

細川家の発給文書が、応仁の乱等を受け、徐々に室町幕府が従来担っていた役割を帯びるようになっていく過程を示してくださっている章です。

ポイントは、細川家が能動的にそうしたというより、寺社等受益者の期待・要請に応える形でそうなっていったということかと思います。

 

第二章 細川高国の近習とその構成――「十念寺念仏講衆」の紹介と分析――

細川家、名門守護、というと厳格な身分秩序が貫徹されているイメージがありますが、高国さんくらいの時代から雑多な出自(有力国人等)の者を「近習」として登用していた、但し彼ら新興層は守護代等既存の有力配下との軋轢を生むことも、という章です。

例えば丹波の波多野兄弟(波多野元清、柳本賢治、香西元盛)ですね。

 

第三章 細川高国の近習と内衆の再編

引続き高国さんが波多野兄弟等の新興近習を重用しつつ、宿老たちとの関係配慮もかなりバランスよく統治していた、それでも高国権力は自壊に進んでいった……という章になります。

波多野兄弟の勢力伸長が、従来の身分秩序ではどうしても整理・吸収できないほどの勢いだったため……結果として波多野兄弟は離反していった……という印象。

 

第四章 摂津守護代薬師寺氏の寄子編成

細川京兆家の被官が、守護代に寄子としてつけられていた。

守護代は寄子と直接主従関係を結ぶ(戦国領主化)ことを必ずしも志向するのではなく、寄子の「京兆家被官」という家格の高さを活かして地域統治に役立てていた

これを細川家・畿内独特の戦国大名スタイルと評することもできようし、後の三好長慶時代の細川氏綱被官の活用にも繋がっていくのである、という章です。

この章はもっと世に知られてほしい内容ですね。

 

 

 

第二部 澄元・晴元派の興隆

第一章 細川澄元陣営の再編と上洛戦

細川澄元さん(細川讃州家=阿波細川家出身)について。

後の晴元さんも含め、京兆家当主と讃州家は一体で活動しているように思われがちですが、実際の両者の権限はかなり厳密に区分されていたと。

その中で、両家を軍事的に結びつけるためには、京兆家・讃州家双方に属している三好家の両属特性が重要だったのではないか、という章です。

木沢長政さんなんかも細川家・畠山総州家の両属特性持ちですね。

両属ですからね、両性愛ではありませんからね。念のため。

 

若年の澄元さんや晴元さん、および細川持隆さんを支える「意見者」として、讃州家出身かもしれない僧「光勝院周適」さん、「可竹軒周聡」さんが暗躍活躍していたという記述も印象的です。

さいきんは可竹軒周聡さん、堺公方期の混乱の元凶みたいな感じで注目されていますもんね、木沢長政さんに続くスケープゴートとして笑。

 

第二章 「堺公方」期の京都支配と松井宗信

堺公方の人々、細川晴元さんを盛り立てようでは一致しているものの、

 将軍は義晴派:柳本賢治・松井宗信

 将軍は義維派:三好元長(しかも晴元さんと高国さんを和睦させようと)

で対立があったことを紹介してくださっている章です。

ちなみに松井宗信さんとは堺公方府の京都統治を主導した丹波出身の人です。

 

第三章 「堺公方」期の京都支配と柳本賢治

堺公方府期の柳本賢治さんの、元細川高国近習としての特性を発揮して京・山崎(・奈良)の都市支配を進めたり、実は朝廷とも親しくしていたり、その過程で京都の下位身分の者を抜擢して配下にしたり、という活躍を紹介してくださる章です。

早世されたのが惜しまれますね。

柳本賢治さんは木沢長政さんや三好長慶さんのように細川家からの自立へは向かいませんでしたが、それは彼の寿命的にも地下層の期待的にも機が熟していなかったからだろうと私は思います。

むしろ、柳本賢治さんが着手した、低い家格の者による京都統治の芽生えが、後の細川国慶さんや三好長慶さんに継承されていったかもしれないと思えば天晴れです。

 

第四章 三好元長の下山城郡代

元長さんの下山城統治スタイルとして、畿内の人間を使わず、仲のいい阿波の国人を郡代として配置して、一種の軍政のようなことをしていたことを紹介いただく章です。

三好家自慢の阿波ヤクザ武将を引き連れて都会を支配しようとする元長さん。

軍事的にはかなり効果があったようですが、畿内の人から見ると郡代制の仕組み自体が分かりにくく、民政的には軋轢も多かったようです。

後の三好長慶さんが阿波・畿内双方の人材をバランスよく使い、カッチリした郡代制などは採用せず、柔軟に地域との融和に努めたのと対照的ですね、と結ばれています。(結果論な気もしますが)

 

第五章 畠山家における奉書の展開と木沢家の出自

乏しい木沢家の史料を丹念に検証された結果、木沢家の家格は一貫して奉行人であり、守護代層とは明らかに区別されるべき存在、しかも木沢長政さんは更にその庶流出身であろう、という内容を教えてくださる章です。

 

第六章 木沢長政の政治的立場と軍事編成

以前も当ブログで取り上げたことのある論文です。

「南近畿の戦国時代 躍動する武士・寺社・民衆」編:小谷利明さん・弓倉弘年さん(戎光祥出版) - 肝胆ブログ

 

第五章の通り、木沢長政さんは家格的にはそんなに上位ではないものの。

細川家・畠山総州家両属に加え、足利義晴さんと直接関係を結んで「守護並み」の権限行使の黙認を得、自立化の道を拓いたり(波多野秀忠さん同様)。

細川家守護代同様、寄子を活用して軍事編成を進めたり。

新興勢力として、遊佐長教さんたちと競合しない河内・大和の境界線上で勢力を拡大したり(赤沢朝経さんに倣ったか)。

次々と居城を移すスタイルを確立したりと。

後の三好長慶さんたちへ繋がるモノを多く残されたことが取り上げられています。

 

第七章 細川晴元の取次と内衆の対立構造

これまでの章や、細川晴元配下の取次ルート検証を通じて。

細川晴元さんは、京兆家の伝統的権威を継承しつつも、内実は三好長慶さん、三好政長さん、木沢長政さん等の新興内衆の台頭が著しい、新興勢力に等しかったと。

しかも、家格秩序回復に向けたカウンター、あるいは純粋な権勢争いとして、内衆同士の対立も激しく、実際に木沢長政さんは三好長慶さん・三好政長さんの計略で排除されてしまったのだと。

このように、晴元権力は従来の細川京兆家とは内実面で家格秩序が崩れている点で決定的に違いがあった。この環境こそが三好長慶さん誕生の格好の土壌だったのだ、と結ばれています。

 

木沢長政さんの反乱を、三好長慶さん&三好政長さんが仕掛けた謀略のように扱っている点が人目を引きます。

しかも三好政長さんは木沢長政さんの死を悼んでいることに触れ、あたかも三好長慶さんのエゲツナイ面が出たんじゃないの的な文脈になっているのが面白いです笑。

この辺りは解釈の幅を広げられるので、断定は避けたいところですけどね。

 

第八章 細川晴元に対する交渉と取次

畿内の地域社会からすれば、細川晴元さんと交渉するにあたって、窓口となる大身取次の三好長慶さん、三好政長さん、木沢長政さんの意向に左右されるところが大きかった。

結果として、地域社会の期待は細川晴元さん本人ではなく、三好長慶さんたち大身取次の方に集まっていく……という流れを説いてくださる章です。

各地域で守護代等が実権を得ていくのと似ていますし、納得感がありますね。

 

 

第三部 高国派残党の蜂起

第一章 細川晴国・氏綱の出自と関係――「長府細川系図」の史料批判を兼ねて――

高国残党としてひとまとめにされがちな晴国さん・氏綱さんについて、史料検証の結果、両者の間には連続性がない、それどころか軋轢さえ確認できることを教えてくださる章です。

その上で、なぜ細川家の家督争いはこうも長く続くのか? という課題提起をしてくださるのがいいいですね。

 

第二章 細川晴国陣営の再編と崩壊――発給文書の年次比定を踏まえて――

大物崩れにより壊滅的な被害を受けた高国方を、晴国さんが丹波を拠点にして勢力を再興していく……だけならよかったのですが、結局は内藤国貞さん、波多野秀忠さん、三宅国村さん(バックに本願寺あり)たちが順次晴元方に寝返っていき、晴国さんは遂に自刃に追い込まれてしまう……という経緯を説明してくださいます。

しかも、寝返った方々は順調に勢力や地位を向上させているという。

すなわち、細川家の争いが容易に収束しないのは、上の対立を利用して立身出世を図ろうとする領主層の動きに下支えされている面もあるのでは、という鋭い指摘をされているのですね。

その究極が晴元方から氏綱方に転じた三好長慶さんだとも。

私はこの考え方好きですね。プロスポーツ選手もサラリーマンも、属するチームが他のチームと競争しているからこそ年俸が上がっていくのであって、独占企業内では待遇は上がらないのであります。(競争がコスト競争になって年俸が下がっていくのは×)

 

第三章 細川国慶の出自と同族関係

細川遠州家、玄蕃頭家の系図を明らかにされた上で、細川国慶さんの事績を紹介してくださる章です。

柳本賢治さんとの交流や、三好長慶さんに先立つ京都支配等。

「細川国慶さんが"町”に当てた最古の禁制を発給していたことがニュースに……」産経WESTより - 肝胆ブログ

 

個人的には、著者も憶測と断りつつですが、若くして父を失った国慶さんは祖父元治さんに後見され、晴元方への徹底抗戦を刷り込まれながら育っていったのでは、という文章がエモーショナルで気に入りました。

 

第四章 細川国慶の上洛戦と京都支配

引続き細川国慶さんの活躍です。

国慶さんが柳本賢治さん段階の京都支配を一層進め、今村慶満さんなど地下の者を積極的に登用し、都市社会の実態を知る者による統治体制を構築したことを特筆。

今村慶満さんたちは三好長慶さんの抜擢と誤解を受けやすいのですが、実は国慶さんが見出した者たちを長慶さんが引き継いだんですよ、と。

もちろん、彼らを上手く生かしたのは長慶さんの器量ですけどね。

 

第五章 細川京兆家の内訌と京都の土豪――今村家の動向を中心に――

大名や国人だけでなく、今村家など土豪層も対立や分裂を繰り返していたことを教えてくださいます。

おおきくは京都の土豪が高国派、京都郊外の土豪が晴元派についたりして、それぞれの権益確保・拡大を図っていた。その中で今村家も慶満さんは高国・氏綱派、弟の政次さんは晴元派に立って上手く生き残ろうとされていたのだとか。

上の三部二章と同様、土豪層も上位権力の争いの中で選別され、成長していく。上の争いをある意味で活用する。そして三好長慶さんが各層の対立を止揚していく。そんな読後感を楽しめる章になっています。

 

第六章 内衆から見た細川氏綱三好長慶の関係

細川氏綱さんの内衆構成を概観した上で、江口の戦い以後、いきなり長慶さんが氏綱さんを傀儡にしたのではなく、当初は両者の共同統治であったこと、そこから段階的に長慶さんの権威・権力拡大が進んでいくこと、等を説明してくださいます。

いよいよ長かったこの本もフィナーレ、三好長慶さんの君臨まで辿り着きましたね。
細川ファンも三好ファンも目を通されるといいと思います。

 

一点、著者さんの思いがこもっている箇所が。
(著者の馬部隆弘さんは細川氏綱さんの書状に出会って畿内史研究を始めたそうです)

実権を握る者と傀儡の間には、得てして軋轢が生じやすいが、国貞没後の茨木長隆奉書と氏綱直書の時差を除けば、それ以外で氏綱と長慶の間で意見が衝突した形跡は認められない。氏綱が長頼の要請に従って直状を発給するなど、むしろ氏綱は長慶方に協力的であった。氏綱は、長慶方との協調を模索しており、そのために自発的に一線から退いたとしか思えないのである。

氏綱がその思惑を吐露した史料は残されていないので推測に留まるが、自らでは畿内の治安維持が不可能と察した氏綱は、その役割を長慶に委ねたのではなかろうか。あるいは、氏綱が後継者を立てた形跡がないことから、晴元と長慶が対立する現状に鑑み、細川家の内訌を終息させるため、昭元に晴元派と高国派の融合を委ねたという見方もできる。従来は、長慶方からの視点に偏っていたため、自ずと将軍家や京兆家などの旧体制は克服すべき対象とされがちであったが、見直す必要があるだろう。

 

なるほどと思いつつ、この本では一貫して長慶さん誕生の背景を「国人・土豪・町衆・寺社など受益者からの要請」「身分秩序と、受益者からの要請に応え得る実力者との乖離・摩擦」の環境的、ボトムアップ的視点から説明されてきているので、ここだけ氏綱さんの主体的判断が入ってくるのは氏綱さん贔屓だろうとどうしても映ります。

そんな馬部隆弘さんの文章が好き。

天野忠幸さんであれ今谷明さんであれ、歴史学者さんもどこか人間味が入っている文章ほど読者の胸に残ってしまうのはお互い人間だから仕方ないですね。

科学的な学問に徹するのって難しい。

 

 

終章 戦国期畿内政治史と細川権力の展開

まとめの章なので紹介は省略します。

 

個人的に強調しておきたいのは、著者の馬部先生が、細川であれ、三好であれ、段階的に権力や統治体制を変容させていったことを重んじておられること。

これは当たり前と言えば当たり前ですが、中世史や戦国時代を十把一絡げにして初期段階の人と中期段階の人と後期段階の人を単純比較したりしがちな素人には、胸に刻んでおきたい視点だなあとあらためて思いました。

 

 

 

 

以上、「戦国期細川権力の研究」のご紹介でした。

本当にいい本ですよ。

三好長慶さんなど個人の資質の高さを否定せず、その上で前史や環境やボトムアップの観点から歴史にアプローチいただく姿勢、私は大好きです。

 

たびたび申していますが、近年の畿内史研究の進展は素晴らしいですね。

次々と知識や情報がアップデートされていく。

そもそも世間様には三好長慶さんの名前すら知れ渡っていない中、学界ではこれだけの論争や蓄積が進んでいるという。

どこかで閾値を超えれば一気にこの界隈が知れ渡っちゃうかも。と新年への希望を。

 

 

めっちゃ長い記事になってしまいました。

最後まで読んでくださった方には感謝申し上げます。

また、今年も当ブログにお付き合いくださり本当にありがとうございます。

 

2019年も素晴らしい一年になりますように!