201Xにとうとう松永長頼さんまで登場しはってかんたんしました。
しかも有能仕様で……!
↓京洛の暗闘ガチャ リリース
さいきん畿内2倍ガチャで爆死した私の前に、再び現れた長慶2倍ガチャ。
もっと早く来てくれてさえいれば……
このHGJの皆さんが足利義輝さん(もってない)だったら戦力超強化だったろうに……
一応、わずかな紹介状で長頼さんと実休さんが来てくれたのでよかったです。
もうガチャはしばらくやらない。
やらない。
さて、気を取り直して本題の長頼さんです。
既に久秀のニャ望での活躍については取り上げましたが、
あらためて長頼さんの能力と人物面を。
長頼さんの201X能力
背後の味方に溜め&周囲攻バフ20%を与えられる武芸者として登場した長頼さん。
「太守」とは当時の人から「丹州太守」(丹波のドン)と謳われた事績から、
「謹厚」とは「慎み深く、真面目で温厚」という長頼さんっぽい人柄からですね。
(人柄についてはあくまでイメージ論です)
「溜め付与」&「攻バフ」。
これは「豪姫さん」を持っていない私のような者には垂涎のスキルであります。
(吉兆次第で)1ターン目から溜めを付与した全体攻撃なんかをぶっ放したり、
(吉兆次第で)毎ターン溜め付き単体アタックもあり得たり、
何より、自ら溜めることのできない「射撃手アタッカー」「薬師アタッカー」「幕僚・参謀アタッカー」を一気に実用レベルに持っていく事ができます。
例えばこういう荒木村重36%さんの場合。
長頼さんと力を合わせ、それなりのバフや縦陣を用意すれば……
600万くらいのダメージを出すこともできる訳です。
私は持っていませんが、星4でクリティカル可能性付き射撃手アタッカーの「学園お市さん」「伊集院忠朗さん」なんかだとロマンが更にアップですね。
ちなみに長慶さんも、縦陣なしで30万ダメージと笑える事態に。
足利義栄さんと両立できないのは残念ですけどね。
なぜ三好家界隈は似たようなスキル持ちが集まるのか。
そういう訳で松永長頼さんは星3武将でありながら大変優秀なポテンシャルを秘めておられます。
優秀なだけに、特性の組み方には悩んでしまいますね。
壁キャラにして特定状況で守りながら背後を強化する人にするか、馬印を積んで普段使いに便利な人にするか、等。
おおきくは岡部元信さんと似たようなポジションだと思うので、何なら2人確保して壁長頼と馬印長頼を使い分けてもいいかもしれない。
それにしても、攻バフとか防バフとかは「指揮の上手さ」「鼓舞による士気アップ」という感じでなんとなくイメージが湧くのですが、「溜めを付与」って冷静に考えたらどんなスキルなんでしょうね。
「人様に溜めを与える」「そう……君は自分では溜められないんだね」とか、字面だけ見たらすごい下品じゃないですか。
背後の味方に溜めを与える……「ハァハァ、太守様の謹厚な後ろ姿見てたら、俺もう、我慢できないっすよぉ」みたいな? やだぁこの201X。
長頼さんという人物
松永長頼さん。
松永久秀さんの弟。
生年不詳~1565年没。久秀さんの弟なので、長慶さんよりやはり年上でしょうかね。
史実では三好家勢力圏の北部方面担当者で、当初は山科など京都界隈の荘園を押領して公家からクレームをつけられていたことで知られています。
戦では、京都に攻め寄せてきた足利将軍を撃退がてら近江まで追い掛け回して大津に放火して帰ってきたり。
京都に攻め寄せてきた細川晴元派残党の三好宗渭さん、香西元成さん等を撃退していたら、うっかり相国寺が炎上してしまったり。(燃やした犯人がどっちかは知らない)
なんとなく兄上同様に炎上属性をお持ちな気がいたしますね。
その後、丹波守護代内藤氏を後見し、「内藤宗勝」となって、波多野家等と戦うことで「丹州太守」と成り上がっていかはります。
これは久秀さんの大和侵入以前のことですから、大げさに言えば、三好家一門以外で「最も早く一国を任された男」は松永長頼さんということになりましょう。
言い換えれば、松永長頼さんもまた「長慶さんに無茶ぶりされた男」ということです。
丹波はですね、明智光秀さんも苦労されていたことから察せられるかもしれませんが、山岳地帯で攻めづらいわ国人が群雄割拠だわという難しい地勢である上に。
代々細川家が守護を務めていたり、そもそも足利尊氏さんが鎌倉幕府打倒を誓ったりと、足利幕府と非常に縁の強い土地柄でございまして、要は足利家・細川家と戦っている三好家にとってはすこぶる難儀なところなのであります。
長頼さんは、そんな丹波を、いまだ久秀さん大和侵入期ほどには勢力も威光も強くない時期の長慶さんに「お前ちょっと上手いこと攻めて調略して統治してこいよ」と命じられる訳です。
三好長慶さんが信長の野望・天道PKで指南タイプが「鬼」だったのもさもありなん。
三好兄弟は弟だけが鬼な訳じゃないのです。
しかも長頼さん、久秀さん同様、このブラックな無茶ぶりに相当程度まで上手く応えちゃうんですよね。
軍事面ばかりが注目されがちなんですけど、内藤家を実質手中に収めていく過程で老獪な面を見せはったり、御成敗式目(貞永式目抄)を勉強して統治に役立てたりと、長頼さんは政略面でも敏腕でして、ピーク時には波多野家も屈服させて丹波の大部分をゲットしてしまうのです。
しかもしかも、丹波攻略の合間に京や河内の合戦にばりばり援軍しながら。
本当によく働く松永兄弟。
ただ、若狭武田家の内紛に介入したところ、同じく介入してきた朝倉家との戦に敗れてしまい、そこからは丹波国人衆の離反も続き、最終的に長頼さんは赤井(荻野)直正さんに討たれてしまいます。
敗因はたぶん過労(と長慶さん死亡、永禄の変による士気・名分ダウン?)。
もちろん赤井直正さんが名将なのも大きいでしょうけど。
任された国で途中まで上手くいくも、時世が変わる中、最後はその国の在地勢力に逆転されるという点でもお兄様の先駆者っぽい感じがしますね。
ちなみに長頼さんのお子様が、割と有名な内藤ジョアンさんと内藤ジュリアさんです。
内藤ジョアンさんは豊臣秀吉さん期に明との和睦交渉を務める外交官にならはりますが、働き者だったお父さんの血筋が脈々と受け継がれていたのかもしれませんね。
以上、松永長頼さんのご紹介でした。
けっこう魅力的な人物だと思いませんか。
現代では目立ちませんが、松永久秀さんに引けを取らない実力者ですよ。
興味を持った人は戦国ヴァンプを読んでみてもいいかもしれません。
「戦国ヴァンプ」ほおのきソラ先生(ARIA) - 肝胆ブログ
研究でも201Xでも人気が出て、松永長頼さんや丹波界隈のまだ知らぬ事績が明らかになっていきますように。