和歌山県の根来寺に行ってみたところ、その深閑とした雰囲気を気に入りつつ、ものすごく大阪南部に近いという事実に気づいてかんたんしました。
根来寺。
中世には大寺院として、また、火縄銃の生産拠点として栄えますが、豊臣秀吉さんと対立してしまって全山焼失。
その後江戸時代に再興を遂げ、現代では桜の名所としても知られています。
大門。
鐘楼門。
光明殿から庭園見物。
桜や紅葉の時期でなければ、ほぼ景観一人占めという贅沢なことができます。
お庭は小堀遠州さん作という説もあるそうですが、正直不明とのこと。
豊臣秀吉さんにお山を焼かれた際、2つだけ焼け残った建造物が手前の大師堂(重要文化財)と真ん中の大塔(国宝)。
ちなみにこの国宝の大塔、天文十六年(1547年)建立とのことです。
天文十六年といえば舎利寺の戦いでまさに根来衆が大奮戦していた時期なんですけど、その裏でこんな立派な塔を完成させていたんですね。
畠山尾州家や細川氏綱さんから多額のお布施を巻き上げて大工さんへの支払に充てていたんだったりして。
※完成したのが天文十六年というだけで、何十年もかけて建築していたみたいです
お寺全体の雰囲気がいいですね。
根来寺、戦国時代ファンからすると、僧兵が火縄銃片手にイキッてるような先入観があるかもしれませんが、現在では枯れた風情を楽しめる静かな寺域になっていますよ。
さて、今回あらためて根来寺を訪れてみて、一番驚いたのが大阪に近いという事実。
や、冷静に地図を見たらそりゃそうなんですが、なんとなく日頃電車メインで行動する者からすると和歌山(市)駅から更に奥深く……というイメージで、とても遠い場所のように感じちゃうんですよ。
根来寺から舎利寺の戦場へは徒歩11時間(現在の道では。以下同じ)
同じく根来寺から久米田の戦場に至っては徒歩5時間半。
もちろん当時の山越えの大変さは現代と比べ物にならないでしょうが、それにしても根来寺から大阪は近いですね。
根来寺のHPでも、最寄りのおすすめ駅は大阪府泉南市の和泉砂川駅になってますし。
(和泉砂川駅からバスで15分)
中世の根来衆は、九条家の日根野界隈の荘園や、松浦氏が拠る岸和田界隈等を頻繁に押領していたイメージがありますけど、そりゃこんなけ近いと気軽に出かけていくわな、と納得した次第です。
河内の畠山尾州家からしても、南紀の湯川氏とかよりも根来寺を頼った方が便利いいですねこれは間違いなく。
大阪からアクセスがいい事実、意外と知られていない気がするので、もっと多くの方に知られて参詣者が増えていきますように。
参考:戦国時代の有名な遠征の距離感
上杉謙信さんサイドからすると徒歩15時間。
織田信長さんの上洛戦~芥川山城制圧は徒歩32時間。
皆さんよく移動したものです。100%徒歩の雑兵は大変ですね。荷物もあるし。
大阪府貝塚市「林宝泉堂のたこぼうずもなか」と「蛸地蔵=本願寺顕如説」 - 肝胆ブログ