吉村昭さんの小説「大黒屋光太夫」が、壮大な漂流小説の中で変遷していく人の望みのありようをビビッドに表現していてかんたんしました。
大黒屋光太夫さん。
有名人なのでご存知の方も多いと思いますが、
- 江戸時代(徳川家斉さんの頃)、
- 伊勢を出港した船が遠州灘で嵐に遭って漂流し、
- 黒潮に乗って遥かアラスカのアムチトカ島まで流され、
- ロシアを横断する旅をする羽目になるも、
- 女帝エカテリナさんの温情で日本に帰国できることになり、
- 帰国後はロシア知識が重宝されけっこう伸び伸び暮らすことができた、
というのが大黒屋光太夫さんの生涯となります。
当著でも、上下巻に分かれるボリュームで、こうした流れを丹念に追っていっていただけます。
とりわけ、帰国後けっこう伸び伸び暮らすことができていたというのは、吉村昭さんの調査によって文献が発見されて分かったそうでして、そういう小説執筆時の質の高い調査っぷりと、それを活かした表現・構成っぷりがいいものでございますね。
吉村昭さんの小説なので、漂流の酸鼻も、凍傷の恐怖も、アムトチカ島でのロシア商人の原住民への横暴も、ロシアの方々による光太夫さんたちへの親切も、光太夫さん一行一人ひとりの運命の転変も、淡々と静かに染み入るように説いてくださいます。
とりわけ光太夫さんたちへ信じられないほどの厚情を与えてくれたロシア人キリロさんや、頬や鼻や足が凍傷で腐り落ちるほどのロシアの極寒、そして帰国を諦めキリスト教への改宗を決心する光太夫さんの一部の仲間たち、等々の描写が秀逸ですよ。
わけても私が感じ入ったのは、大黒屋光太夫さんのありよう。
他の漂流者と違って、帰国を決して諦めない意志の強さや、ロシア語・ロシア文字を積極的に体得していく知性の高さ等、たいへん主人公らしい活躍をなさるのですが。
この光太夫さんが、状況状況で異なる望みを希っている様子が人間臭くていいなあと思うんです。
著者はそういうことを特段説明していませんが、たぶん意識してそう表現してはるんだと思うんですよね。
ざっくり紹介すると
- 漂流中は陸地や雨(飲用水)を強く願い
- ロシアでは帰国を強く願い
- 蝦夷地付近まで戻ってこれた頃には、日本人の優秀さをロシア人にアピールしたいとお国自慢心が湧いて出てきて
- 日本に着いてからは「たまには牛肉・牛乳を口にしたいな」とロシアもよかった感も出てきて
- 江戸に落ち着いてからは「故郷に一度戻りたい」と強い望郷心が湧いてくる
というのがね。
当たり前なんですけど、人間って次々と望みが変わっていくよなあ、まったくタフな生き物だなあ、これこそが健全な生命力なんだろうなあ、とね。
かんたんしてしまうのです。
ひとつ望みが叶えば次の望みが湧いてくる。
置かれた状況が変われば別の望みが湧いてくる。
そうやって、一つひとつ目標を達成して、いつの間にか大きなことを成し遂げている。
史実の大黒屋光太夫さんがどんな気持ちだったかはもちろん分かりませんけど、吉村昭さんのリアリティに富んだ文章を読んでいると、そんなことを思い浮かべてしまうんですよ。
生きているだけで幸せ、と安易に留めないところがとてもいいの。
歴史小説としてだけでなく、人間の偉大な生命力に接することができるという点でも優れた作品だと思いますね。
海で漂流することは減りましたが、現代人も生き方やキャリアや人間関係で漂流してしまう方はたくさんいらっしゃいますので、そうした人々の胸に小さな大黒屋光太夫さんが灯って周囲の親切も得られてやがては自分のホームを取り戻すことができますように。