肝胆ブログ

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「寛容についての手紙 感想」ジョン・ロックさん/訳:加藤節さん・李静和さん(岩波文庫)

 

ロックさんの「寛容についての手紙」が非常に高度な精神性に満ちた名文でかんたんしました。

政教分離や信仰の自由といった、現代社会の常識や前提のルーツのひとつになっていることが読むだけで伝わってきますよ。

 

https://www.iwanami.co.jp/book/b369932.html

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ここでいう「寛容」とは、キリスト教社会における「他宗派・他宗教」に対する寛容のことを指します。

要は、権力者による他宗派・他宗教への弾圧や迫害や強制改宗なんてイケてないよね、ということを書いている文章な訳ですね。

 

17世紀に書かれた文章ですが、率直に申し上げれば現代においてもなお新しさを感じる名文でして、ここでロックさんが述べているような精神性がこの300年間で人類にもっと身についていたらなあとすら思えてしまいます。

 

 

当著で述べられている要点を雑に紹介すると、次のとおりであります。

 

  1. 魂の救済は自分自身の信仰上の問題である
  2. 政治権力の仕事は現世に関することに限られる
  3. よって、政治権力は信仰を強要したり他宗派・他宗教を迫害したりしてはならず、寛容であるべきだ

 

言葉にしてしまうと「そりゃそうだ」感もございますが、これを17世紀に明言したことは素晴らしいことですし、現代においてもこれがその通りになっているかというと必ずしもそうでもないというところが世の中って難しい感がございますね。

 

もちろん17世紀の文章ですし、キリスト教信者の目線で書かれたものですから、他宗派やイスラム教に対しては相当寛容ながら、無宗教の者に対してはあまり寛容でないといった現代人目線での粗はございますが、そうしたことを細々とチェックすることよりも、素直にロックさんいいこと言わはるなあと思いながら読み進める方が楽しいと思います。

 

 

 

 

個人的に印象に残ったことが2点ありまして。

 

 

1つは、ロックさんのキリスト教に対する原典主義というかキリストさんに帰れ感というか、17世紀当時の教会のあり方、教会内の支配秩序とか司教や長老といった権威とかについて「キリストはそんなルールを教会に授けてないよね」「そんなルール聖書に書いてないじゃん」「そういうルールを強く主張するやつらに限って教会を分裂させてきた歴史があるけどどう考えてんの?」みたいな強い煽りが手紙に混じっているところ。

 

ロックさん、名前の通りロックですね……。

インテリな人がパンクってるところって、素敵だと思います。

 

 

 

もう1つは、あらためて現代人の目で「魂の救済は自分自身の問題」「政治の仕事ではないよ」と明言しているのを読むと、ちょっとヒヤヒヤするというか、ショック受ける人も出てくるんじゃないかというか、思いのほかな刺激を感じました。

 

現代って、日本に限らず各地各国で、政治に対して自分の魂の救済を求めている人って一定割合いるような気がしないでもないですし。

 

何かしらの強い信仰を持っている人はまあいいとして、現代では17世紀平均よりも信心が後退している人は多いと思うんですね。

でも、魂の救われてなさという点では17世紀も現代もあんまり変わらないと思いますから、宗教とのかかわりが薄くなった分だけ、他の手段で自分の魂を救ってあげないといけない訳ですよたぶん。

そうか、財産や権利の自力救済は禁じられたけれども、魂の自力救済はむしろ奨励されているというのが現代社会の本質なんだね! と。

 

家族、友情、仕事、財産、アート、奉仕、旅、性癖等々、宗教の代わりに自分の魂を救ってくれる手段は人それぞれだと思いますが、それを自分で見つけなきゃならないってえところが今を生きるうえで難しいことであり楽しいことでもありますね。

 

 

ロックさんも元カノとその旦那の館に転がり込んで皆で暮らすという楽しそうな晩年を送ったそうですし、我々現代人も17世紀の方々に負けないくらい楽しく生きて魂をピカピカにできますように。