臨海部を舞台にした江戸時代の通信網に関する研究書が、歴史学の地に足の着いた楽しさをふんだんに味わわせてくれる良書でかんたんいたしました。
モチベーションが上がると思いますので、歴史学に限らず何らかの学問をしている方におすすめですよ。
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b457636.html
江戸時代、海運・海難に関するお触れ書き「浦触(うらぶれ)」が、全国の海辺の村や町を行き交っていた。
年貢米輸送船の行方捜索や島抜け流人の追跡、瓦や材木の回漕予告、漂着した異国船の長崎への護送など、テーマは海事全般に及ぶ。
国境・藩境を越えて津々浦々に届いた「浦触」を読み解き、幕府の情報ネットワークの仕組みと複合的な全国支配の実態に迫る。
浦触と出会う―プロローグ/
四国を巡る
(大洲藩領の継ぎ送り/松山藩や小松藩領の場合/請印帳の役割)/東海を行き交う
(三河国刈谷町の庄屋留帳と多彩な浦触/瓦と材木/幕府触れ・藩触れと浦触/江戸前期の浦触/九州・四国との比較)/東北・北陸を旅する
(「弘前藩庁日記」を読む/下達型から横断型へ/出羽国酒田湊の記録/越中・能登・加賀では)/仲間を探す
(類似触れのいろいろ/伊能忠敬の測量)/幕末から明治へ―エピローグ
要旨としては上記引用の通りでして、日本津々浦々の海辺の地域を回り、各地に残された浦触の内容を探求・整理していく書物となります。
通常、徳川幕府によるお触れとくれば、各藩に通達されて、そこから各藩内に周知しといてね、というのが通常の実務であるところ。
江戸時代を通じて、地域差はあれど、各藩を横断して海辺の村から村へと触書が回っていく実務が徐々に定着していく。
そんな実態を明らかにしてくださる訳ですね。
浦触の用件も多種多様で、
等々、この内容だったら広い地域横断で幕府が直接連絡したくなる気持ちも分かる、というものがございます。
珍しい事例では、「長崎俵物のフカヒレが足りないので、日ごろフカ漁に馴染みのない者もフカ漁をやって干して長崎俵物請負人へ売り渡すようにせよ」ですとか、「伊能忠敬という男が御用で測量するので便宜を図れ」なんてものもあって楽しい。
現代だったら一斉メールとかで済むところ、墨や手垢で書状を汚さないように気をつけながら各村代表が確認印を押して次の村に回す……という運営をやっているのは大変な手間暇ですね。
村から村への書状の受け渡し時の気の使いようなんかを見ていると、村の代表たる庄屋さんというのもなかなか大変な役目なんだなあと偲ばれますよ。
こうしたテーマの研究は、著名な人物や事件を掘り下げるものではないので一般的には地味に思えるかもしれませんけれど、その時代の行政実務の一端を明らかにしてくれるものですから、研究であれ創作であれ、知識基盤として重要だと思います。
実務の流れを掴めると、その時代の人々の生活やものの考え方に対してもイメージがクリアになるというか、解像度が上がる感じがして好きなんですよね。
その上で、この本は
- 著者が偶然出会った文献(浦触)をもとに好奇心を抱き
- 別の地域でも類似文献を発見して研究テーマが明瞭になり
- 各地の知人や先人と交流する中で研究が掘り下げられていき
- 研究成果として結実する
という、学問を望ましい流れで大変楽しそうに進めてきはったことが読み手に伝わってくるんですよ。著者のお人柄だと思うんですが、楽しんで、充実した研究をしておられるのが分かる。
ひとつの史料との出会いが研究テーマを方向づける。
自分の仮説が、研究を進めるたびに明瞭に、形になっていく。
こういう流れを疑似体験できるので、気持ちがアガっていいと思います。
「著者さん楽しそうだな」と伝わってくる研究成果はいいですね。
どの分野であれ、基礎研究や地域に資源や人材がなかなか回らないと評されがちな世相ですが、伸び伸びと好きなテーマを好きなように研究している方を見つけやすくなって応援しやすくなっていきますように。