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短編小説「松山新介重治 4/5 松山新介の稲妻」

 

 

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堺の中央を走る大路は『鳳凰通り』と呼ばれている。

何度も衰退の危機を迎えながら、その度に復興し、従前以上の繫栄を手にする。そんな堺の有様を伝説の不死鳥に例えたものらしい。松山新介はこの鳳凰通りを散歩するのが好きだった。

松永久秀の様子を織田信長にどう伝えたものか、新介の腹積もりはまだ決まっていない。歩いているうち、信長と話しているうちに良い考えも浮かぶだろう……と、気楽に構えるのが新介の常だった。事前に段取りした通りに芸を見せても、宴席が盛り上がるとは限らないからだ。新介にとっては宴席も戦場も、外交の場とて同じようなものなのである。

 

鳳凰通りのド真ん中で、そんな新介を何刻も前から待ち構えている者がいた。

数日前、蜂屋で新介にあしらわれた鯰江又一郎である。

巨漢の力士が仁王立ちしているのだから、どうしても人目を引く。形相を見れば乱暴な用件であることも察しがつく。新介との一件は話題になっていたから、鯰江の目当てが新介であろうことも自明である。

実際に新介が通りかかる頃には、既に何十人もの見物客が群がってきていた。

「よぉぉ鯰の兄ちゃん。堺を楽しんでいるかい」

新介が親しげに声をかける。それがまた、鯰江の顔を険しくさせた。

「ジジィ、テメェに果し合いを申し込む!」

「マジかよ。こんな爺ちゃん痛めつけても”誉”にゃならんだろうに」

「問答無用!」

さんざん待たされた鬱憤を晴らさんとばかりに、鯰江が身体ごと新介へ突っ込んだ。が、新介は猫のような軽業で宙へ逃れ、離れた場所に悠々と着地する。空気を含んだ銀髪がきらきらと光った。

「怖い怖い。鯰さん、スゲェ馬力だねえ。鯰というより牛か馬だね」

「ジジィ、やっぱりタダ者じゃねえな。昔は三好で鳴らしたってのは嘘じゃねえらしい」

「俺のこと調べてくれたのかい、嬉しいね。新ちゃんって呼んでくれてもいいんだぜ?」

「問答無用と言ったろうが!」

頭に血を上らせた鯰江が、常人の三倍はありそうな太さの腕で張り手を繰り出す。この強烈な張り手も新介は寸前で避けたが、空振りした鯰江の腕先からは突風のような音が唸った。この一撃で、新介も観衆も、鯰江がただ者ではないことを再認識して目を見張った。

「こないだのことでメンツを潰されたとでも?」

「“松山新介重治の名にビビって帰ってきた”なんて笑われたら生きていけねぇ!」

「ノセられてるんじゃねえよ。お前さん、誰かにいいように使われちゃあいないかい」

「だから、問答無用だっつってんだろ!」

鯰江が右手、左手と連続で張り手を繰り出す。やはり凄まじい迫力である。はじめは興味本位で眺めていた見物客たちは、新介が大変な目に遭わされるのではと本気で心配し始めていた。

「”蜂屋で暴れろ“、”ビビったのか“、”松山新介をやっつけろ“。全部同じやつが言ってんだろ」

「うるせえ!」

新介が回避しながら問いかけをやめないのは、体力温存のための時間稼ぎでもある。しかし、新介が予期した以上に鯰江には響くものがあったようだ。動きが少し鈍っていた。

「当たりかな? だったら、上手くいったらそいつの手柄、失敗したら切り捨てられちまうってところだぜ」

「言うな! そんな方じゃねえんだよ、きのし――」

刹那、新介が鯰江に向かって飛び込んだ。その速さは猫が鼠を捕らえる姿さながら、鯰江も観衆も眼で追うことすらできないまま、次の瞬間には“パアァン”と雷が落ちたような音が鳴り、鯰江が地に倒れ伏した。

新介の得意技、顎先への掌底が決まったのである。稲妻の如き速さの手で芸を見せれば『手妻』。稲妻の如き速さの手で人を殴れば、それはもうそのまま『稲妻』と呼ぶべき技だった。

 

「鯰さんよぉ、人前で黒幕の名前出しちゃあいけねえよ。本当に殺されちまうぜ」

「……木下様はスゲェ方なんだ。テメェみたいなジジィに好き勝手言われるとイラっとする」

失神した鯰江は蜂屋に担ぎ込まれていた。巨体だけに、運ぶのは数人がかりの騒ぎであった。

今も新介は楽に座って話しているが、鯰江は起き上がることができずに寝たまま毒づいている。

「いや、実際スゲェやつらしい。この分だと、織田の若大将に俺や久秀のことをあれこれ吹き込んだのもその木下殿なんだろうな」

木下藤吉郎秀吉と言えば織田家の出頭人として世に名高い。同じ成り上がりの新介にとっては親近感が湧く存在でもあった。だが、一介の家臣の立場から、信長、久秀、新介の人柄や因縁を把握して絵図を描く洞察力、鯰江を使って境目地域の均衡を崩そうとする胆力等、並大抵のものではない。

新介であれば、信長は使者として認める。新介が訪ねれば、久秀は三好家時代を懐かしんで寝返る。そして元三好家の新介が若い鯰江に負ければ、”三好家も今となってはたいしたことはない“という印象が広がり有利になる。新介が鯰江に勝っても、損をするのは若さ故に暴走したとされる鯰江だけだ。

「木下様に合わせる顔がない」

鯰江がめそめそと泣き始めた。デカい男が太い指先を目に当ててぐりぐり涙をぬぐっている。

その様子を見て、新介も心を動かされるものがあった。思い起こせば、かつて新介の元に集った連中もまた、こういう乱暴で幼稚な、かわいいやつばかりだったのだ。

「寝て、元気になったら帰んな。そして、木下殿にこう言うんだ。”松山新介に気に入られてしまって、これからも顔を出すように言われてしまいました。どうしましょう”ってな。そうしたらお前さんには利用価値ができて、しばらくは処分されることもあるまいよ」

「……りようかち」

「フッフフ。そうだ、値打ちだ。これからのお前さんは、強くて堺通の鯰江又一郎だ」

 

手下を作る気は今更ないが、こういう変わった友人ならいてもいいかもしれない。信長に会うのもなんだか楽しみになってきた。

新介はそんな風に感じ始めていた。

 

 

続く