肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「心 いかに生きたらいいか 感想 および 薬師寺焼失と筒井順興・柳本賢治」高田好胤さん(徳間文庫)

 

昭和期に人気を博した薬師寺管主高田好胤さんのベストセラー「心」を取り寄せて読んでみたところ、当時の人気も納得の語り口、中身の充実っぷりにかんたんしました。

薬師寺の再建を成功に導いたというのもさもありなんという感じがいたします。

 

 

高田好胤さんは平成10年に75歳で亡くなるまで、のべ五百万人の修学旅行生に薬師寺の案内や軽妙な説法を行ったり、テレビや講演会へ積極的に出演したり、写経運動を盛り上げたりして、関西圏を中心に絶大な人気を得ていたことで知られている方です。

 

薬師寺は戦国時代に筒井順興さんの兵火により金堂、講堂、中門、西塔、僧坊等が焼失、その後豊臣家(増田長盛さん)がスポンサーになって仮再建が進むも、豊臣家の滅亡により本格的な復興は頓挫、その後豊臣寄りということで徳川家にはあまりよくしてもらえず、江戸・明治を通じてじわじわと再建を進め。

戦後の昭和になってから、高田好胤さんたちがこの本の売り上げであったり、写経奉納を通じて寄付を集めたりして、失われた金堂等を復興させた経緯がございます。

復興にあたって宮大工の西岡常一さんが活躍されたことでも著名ですね。

 

若い世代にはなかなか縁の遠い話題ではありますが、おそらく五十~六十代以上の関西人ならなじみ深いのではないかと思います。

 

 

 

この「心」は高田好胤さんの代表作でして、百二十万部くらい売れたそうです。

高田好胤さんの持ち味らしく、庶民のマインドに沿った語り口での説法・エッセイになっていますので、当時のおっちゃんおばちゃんに大ウケしたのもよく分かります。

 

令和に入った現代に読むと、「洗濯機に頼るな」とか「子育ては母乳で」とか時代を感じる内容も含んでいますし、徳川家への意趣があってか「日光東照宮のデザインは成り上がり者の趣味の悪さそのもの」と僧侶らしからぬ憎まれ口が収録されていたりもしますので、本の内容すべてを「せやせや」と読むのはさすがに抵抗もあるのですけど、それでも美点の多い一冊でございました。

仏教的な考え方や世界の観方を平易に解説いただけますし、「もったいない」という言葉の再評価など平成期によく聞いた論調のルーツなんちゃうかなこの人と感じられる面も多くていいですね。

 

 

個人的に一番好きなエピソードはソ連への旅でして、

第二次世界大戦末期の経緯からソ連のことだけはどうしても心情的に許せない部分があったけれども(高田好胤さんの友人もシベリアで亡くなったそうです)、ひょんなことからソ連に行くことになり……

ソ連行きの飛行機の中から、シベリアで散った方々のためにお経をあげ、

ソ連の一般市民との交流を通じて、政治の方はどうあれ、お互いの国で暮らしている普通の人々同士は心を通い合わせることができるし、ソ連であっても信仰の心はいまも息づいていることを実感する……

 

といったくだり。

 

ロシア正教の総本山があるザゴルスクという町で。

ソビエト滞在中に私はぜひ日本人墓地に参りたかった。そこには訪う人もいない墓の下で同胞が眠っている。しかし、その許可が得られなかったので、最後の日、ザゴルスク寺院の大僧正にあったときに永代供養を頼んできました。

私がこの旅行に、卒塔婆と「観音経」の写経したもの、それにお線香を持って行き、泊まったホテルで窓を開け、卒塔婆を壁に貼って、お経をあげたことは前にも書きましたが、さらに新しい卒塔婆を出して大僧正にこう申しました。

卒塔婆はつまりお墓です。日本では、お盆とかお彼岸にこの卒塔婆を持って墓参をしますが、それは新しいお墓を作っているという気持をあらわしているものです」

そうして、「日本人はこのソビエトでたくさん死にました。その日本人のために拝んでいただけないでしょうか」とお願いしますと、喜んで引き受けてくれました。それで、日本には永代供養というものがあることを話し、それを頼んだのであります。

 

高田好胤さんからこういった話を耳にして、昭和期の、戦争を知る世代の方々の気持ちがどれだけ慰められただろうと思うのです。

申し出を快諾されたというロシア正教の大僧正さんの心意気も尊いですね。

 

 

 

 

ところで、少し本の中身から離れますが。

 

高田好胤さんが再建に取り組んだ薬師寺

伝承では、1528年に筒井順興さんの兵火で多くの施設が焼失したとされています。

 

戦国時代、畿内近辺の寺社焼失と言えば比叡山東大寺大仏殿や山科本願寺根来寺等が著名でして、それぞれの容疑者である織田信長さんや松永久秀さん・三好三人衆や六角定頼さん・法華衆徒や豊臣秀吉さん等のことはよく語られる気がするのですが、

この薬師寺焼亡と筒井順興さんについて戦国ものの本や記事で語られているのはお目にかかったことがありません。

 

で、あらためて1528年(享禄元年)に筒井順興さんって何やってたんやっけかと軽く調べてみたら、まさに細川高国方と細川晴元方の戦いが激しくなっている頃で、筒井順興さんは細川高国方である畠山尾州家に味方していたために、細川晴元方のコア戦力である柳本賢治さんに攻め込まれているのでした。

そっか、薬師寺炎上、ちょうど柳本賢治さんの大和侵入の時期に起きているんですね。

 

ということは、柳本賢治さんが大和に攻め込んできて、筒井順興さんが迎撃して、どっちかが薬師寺に陣を張ってて、戦火でうっかり燃えて……という経緯だったのかなあ。

 

このあたり、柳本賢治さんや両細川家の戦いが戦国時代研究で注目されるようになったのはごく最近のことですし、登場人物がみんな滅んじゃったので江戸時代以降に詳しい経緯も伝わらず、登場人物の中ではまだ一番メジャーな筒井家がとりあえず悪いらしいという伝承だけが残ったような印象を受けなくもありませんね。

 

今後の畿内戦国史研究の進展で、兵火と文化財被害の関係が良くも悪くも明らかになっていくのかもしれません。

 

 

 

薬師寺の再建は高田好胤さん亡きいまも進んでいるところです。

人の心情の機微を知る僧侶方の尽力が連なり、薬師寺や奈良の町へこれからも多くの縁をもたらしますように。