昨年に発売されていた松永久秀さんの小説が、さいきんの史実研究をベースに松永久秀を等身大の好人物として描いておられてかんたんしました。
じわじわと松永久秀さんのコンテンツも増えてきているような印象があります。
松永久秀さんのコンテンツと言えば、
- 従来説どおりの大悪人として描く
- さいきんの三好家忠臣っぽさを取り入れながらもアクとケレン味を強くして従来説的な評判が広まるのもさもありなん的な人物として描く
あたりが二大主流になってきているような気がいたしますが、
こちらの「天下兵乱記」版の松永久秀さんは
- ものすごく真面目
- ふつうに有能
- 野心は特にない
- ときどき地の関西弁が出る
- 里芋大好き
- 三好長慶さん大好き
- 弟の甚介さんや息子の久通さんや妻や母たち家族も大好き
- 長慶さん死後は三好義継さんや織田信長さんに期待をかけるも、思っていたのとなんか違うな……とだんだん諦念をいだく
- 最後はいろいろ上手くいかなくなるけど、人生にはけっこう満足して去っていく
- 表紙はさいきん発見された松永久秀さん像とされる肖像画
と、まったくアクやケレン味のない、「ええ人やなあ」「頑張らはったんやなあ」という感想が出てきそうな人物として描かれているのが特徴です。
「さいきんの忠臣説を採用し、従来説っぽいキャラ付けは一切しない」「織田信長さんとは特に深く関わらず、プレ信長さん的な位置づけも特にされず、ただただ距離感だけが開いていく」松永久秀小説というのはありそうでなかった気がいたしますね。
なお、三好長慶さんも近年の説が採用されていますが、最期は精神を病んでしまいますので長慶さんメンタル説が許せない方はご留意ください。
文章構成としては、松永久秀さんの生涯を編年体で記述していく教科書的なスタイルで、創作要素はあまり多くないので、取っつきやすいんじゃないかなと思います。
いくつか当小説の松永久秀さん描写を引用いたしますと。
長慶さんから仕えんかと勧誘され、さっそく心が燃える久秀さん。
人の心をくすぐるような、嗾けるような物言いをして、ひと回り以上も年上のこの儂を誘っておる。
『若造めっ』
と思いながらも、儂は儂で、己の心の奥底で何やらが燃え始めたのを感じていた。
長慶さんに仕え始めて、さっそく大満足な久秀さん。
そうなのである。儂が申し上げたからなのか、それはわからないが、長慶様は独断に走らず、よく皆の考えを聞いてくださる。今日の軍議もそうであった。
甚介が「我が殿は素晴らしきお方じゃ」と言うておったが、ほんに素晴らしき殿様じゃ……と、儂も思う。
褒め上手の松山重治さんにおだてられて嬉しい久秀さん。
「さすがは音に聞こえた松永弾正殿じゃ。聞きしに勝る戦いぶり。何と言うても戦が鮮やか。それに鉄砲を使うなど戦い方が斬新じゃ」
松山重治から絶賛を浴びた。
「いやいや、松山殿がご助勢くだされたからこその勝利でござる」
少々照れながら儂は言葉を返した。
などなど。
超素直な久秀さんがいちいちかわいくないですか。
その上で、個人的にいちばん好きな描写は、
天正元年(西暦一五七三年)に松永久秀さんが三好家に復帰し、再び畿内に三好家の勢いが戻ったと思ったら……三好長逸さん、篠原長房さんという中核人物が次々とご逝去されてしまうシーン。
この大事な局面のさなか、三好長逸が病で身罷った。
「何故、今なのじゃ、これからという時に……」
長慶様との出会いの場面から今日に至るまで、良しにつけ悪しにつけ、長いこと苦楽を共にしてきた。その戦友とも言うべき同輩の死に接し、悼むというよりは、どこか恨めしく思い、取り残されたような気持ちに儂は包まれた。
阿波三好家の執政である篠原長房が、有ろうことか、主である三好長治に討たれてしまった。
「どいつもこいつも、皆、何をしておるのだ」
使者の知らせを聞いた途端、言いようもない怒りが込み上げてきた儂は、鴨居の横木に掛けてあった槍を掴み、ブンっと振り回し、板戸を打ち抜き粉砕した。
使者も近侍も驚いて腰を抜かした。
従来小説の松永久秀さんなら、三好長逸さんや篠原長房さんの死にこんなけ動揺することはないと思うんですよね。
取り残されて、恨んだり、ムカついたりする等身大極まりない松永久秀さんのありように、好感度がもうストップ高であります。
「こんなに頑張っているのにこんなに報われない松永久秀」像を直球で投げてくれている小説、イケてるなあとひしひし思いました。
こういうタイプの松永久秀さんも面白いものですね。
研究の進展を踏まえ、これからも多様な三好家コンテンツが増えていきますように。
こちらの小説、松山重治さんが松永久秀さんと仲よかったり、
石成友通さんが松永久秀さんのことをライバル視していたりするところも好き。