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かんたんにかんたんします。

「戦国時代の流行歌 高三隆達の世界 感想 いい本なのに売ってない」小野恭靖さん(中公新書)

 

堺が誇る戦国時代の文化人「高三隆達」さんを軸に戦国時代の流行歌を紹介していただける本が良著でかんたんしたのですが、なぜか出版元の中公新書HPには紹介ページすらなく、amazon等各種通販サイトでもほとんど在庫切れで惜しいなあと思います。

戦国時代の通俗的な文化・価値観を堪能できる本ですので、戦国コンテンツを作っている人には広く読んでいただきたいし、ついでに三好一族や松山新介重治さんのことを知って好きになってくれたら嬉しいんですけどね。

 

↓とりあえず紀伊国屋書店の紹介ページを張っておきます。在庫切れですが。

www.kinokuniya.co.jp

 

 

戦国末から江戸初期にかけて一大流行をみた隆達節は、高三隆達が独特の節付けをして歌い広めた一群の歌謡である。しかし、隆達の実像は後世の数多くの説話に包まれて必ずしも明らかではない。本書は新しい資料を博捜し、隆達の生涯とその幅広い交遊関係を探る。さらに恋歌を中心に隆達節の代表歌を紹介、そこに現れた清新な言語感覚と叙情を指摘し、乱世に生を享けた人々の無常観に裏打ちされた「流行歌」の世界を描き出す。

 

著者の小野恭靖さんは大河ドラマ「江」「利家とまつ」「武蔵」等の歌謡面監修をされていたそうで、劇中で登場人物が口ずさむ歌は堺発祥の「隆達節」だったりするんですって。

 

 

「隆達節」を創始した高三隆達さんは堺の顕本寺で修行後、還俗して商売に精を出しつつ隆達節を編み出された方です。

1527年生まれ、1611年没。

三好長慶さんや千利休さんの5歳年下ですね。

幼いころに縁深い顕本寺三好元長さんが腹を切り、若い頃には三好長慶さんや松山新介さんがブイブイ言わせていて、壮年期には千利休さん等とともに豊臣秀吉さんに召し出されたりしていはります。

一説には長慶さんたちの連歌、松山新介さんの早歌(ラップ)が隆達節の成立に大きな影響を与えているんじゃないかと言われていて嬉しい。

 

 

本書の半分は文学部的な隆達節の後世での受容っぷりを解きほぐす内容でして、徳川秀忠さんやの茶屋四郎次郎さんやの小泉八雲さんやの芥川龍之介さんやの菊池寛さんやの、錚々たる面々が隆達節を愛していたことを紹介いただけます。

 

そして、もう半分は隆達節そのものを味わうパートでして、こちらが室町時代から続く無常観に富みつつ、恋歌としてのセンス良さもふんだんに味わえて実にいい。

ほんと戦国時代の小説とか創作とかする人に参考資料として配りたいくらい。

 

「雨の降る夜の独り寝は、いづれ雨とも涙とも」

「あら何ともなの、うき世やの」

「いつも春立つ門の松、茂れ松山、千代も幾千代若緑」

「生まるるも育ちも知らぬ人の子を、いとほしいは何の因果ぞの」

「梅は匂ひ、花は紅、柳は緑、人は心」

「梅は匂ひよ木立は要らぬ、人は心よ姿は要らぬ」

「帯を遣りたれば、し馴らしの帯とて非難をおしやる、帯がし馴らしならば、そなたの肌も寝馴らし(帯をプレゼントしたらこの帯中古やないかと文句を言うが、お前も他の男に抱かれて中古やんけ)」

「面白の春雨や、花の散らぬほど降れ」

君が代は千代に八千代にさざれ石の、巌となりて苔のむすまで」

「添うたより添はぬ契りはなほ深い、添はで添はでと思ふほどに」

「ただ遊べ、帰らぬ道は誰も同じ、柳は緑、花は紅」

「月よ花よと暮らせただ、ほどはないもの、うき世は」

「泣いても笑うても行くものを、月よ花よと遊べただ」

「人と契らば薄く契りて末遂げよ、紅葉葉を見よ、濃きは散るもの」

「世の中は霰よの、笹の葉の上のさらさらさつと降るよの」

「悋気心か枕な投げそ、投げそ枕に咎はよもあらじ」

 

 

いずれも味わいあってまことにいいですね。

隆達節の唄い方、音韻は残っていないのが残念ですが、どなたかひとつ上手いこと唄っていただきたいものであります。

 

恋歌は全体的に江戸時代の文学と似通うものを感じつつ、

無常観あふれる「あら何ともなの、うき世やの」「泣いても笑うても行くものを」「遊べただ」は室町時代の小唄や松山新介さんの逸話と似通うものがあって、

まさに近世の幕開けを象徴する歌詞が好きやなあとしみじみ。

 

 

当著が復刊されたり、リスペクタブルな後継本が出版されたりして、戦国時代の文化好きの裾野が広がっていきますように。

年明けには閑吟集の新版が岩波文庫から出るっぽくて楽しみです。

 

「閑吟集 感想 戦国時代の人々、邯鄲の枕が好きなんだね」校注:真鍋昌弘さん(岩波文庫) - 肝胆ブログ