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短編小説「松山新介重治 一万貫の夢 2/5 鯰江又一郎 馬上を往く」

 

短編小説「松山新介重治 一万貫の夢 1/5 松山新介 屋根を往く」 - 肝胆ブログ

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短編小説「松山新介重治 一万貫の夢 5/5 三好長逸 うたかたを往く」 - 肝胆ブログ

短編小説「松山新介重治 一万貫の夢 あとがき」 - 肝胆ブログ

 

 

 

馬という生き物は、ちょっとやそっとの荷物に音を上げることはない。それでも鯰江又一郎という巨漢を運ぶのは骨が折れる仕事らしい。堺でも特に力自慢の馬を選んだのだが、ブフゥブフゥと息が弾んでいる。

素人じみた若侍たちですら新介の身柄を狙ってきたことからして、秀吉が撒いた噂に食いつく者は多かったようだ。ひとまず堺を脱出した新介と鯰江は、馬で北西へ向かっていた。

「新ちゃん、オレたちどこに向かっているんだい」

「播磨だ」

新介の読みでは、三好長逸は播磨か淡路にいる。畿内の三好勢力に指示を出すには、阿波や讃岐は遠すぎる。堺にいるなら新介が知らぬはずがない。足利・織田方が比較的おとなしく、畿内と四国の結節点、長逸が持つ人脈という点でも、播磨・淡路あたりが至当であろう。

「播磨かぁ、行ったことないや。何が美味いの?」

穴子と、田楽だな」

穴子は瀬戸内の漁場に恵まれ、田楽は生姜を効かした土地の味付けが乙なものである。

穴子かあ、楽しみだぁ」

「無事にありつけたらの話だぜ」

西国街道まで数里。裏道を選んだために人気は少ない。日暮れも近づいてきている。

新介も鯰江も気づいていた。後をつけてくる者が一騎。遠い。豆粒ほどの大きさ、顔かたちは分からない。や、どうやら黒髪総髪、黒の着流し……金飾りの佩刀、片手には棒?……少しずつ近づいてくる……。

「襲ってくるかな」

「鯰さん、騎馬での戦いは得意……じゃなさそうだな」

「馬に乗りながら戦うなんて、想像もできねえ……」

「おい、あいつが持ってるの、鉄砲じゃねえか」

「げぇ。鉄砲も苦手だあ」

「急ごう」

あの出で立ち、間違いなく上位の根来者の特徴。一騎で追ってくるということは腕に覚えもあるのだろう。二対一でも有利にはならない――

二人の馬が駆け始めようとした瞬間、“ダン”と爆ぜる音が聞こえた。同時に、すぐ前方の松の枝がはじけ飛び、馬の足元へ降ってくる。新介はかろうじて避けたが、鯰江は落馬して転げ落ちた。

「な、な、なんだあ」

「あの距離、しかも騎射で枝を撃ち抜くとはな。……鯰さん、立ってもう一度馬に乗れ。馬にしがみついて先に行くんだ。馬から身体を離すなよ、あいつら人間以外は殺生しないからね」

「し、新ちゃんは」

「足止め」

馬首を返して根来者に向かう。相手は器用に馬上で次弾の弾込めを済まそうとしている。

まだ遠い。次弾の発射は避けられない。蹄の音が頭に響く。風の音も混じる。根来者の面構えを視認。彫の深い顔立ち、整った口ひげと眉、鷹のような眼光。分かる、あと二呼吸で撃ってくる。

ならば。

即時、新介は手綱から手を放し、鞍の上に両立ちとなった。馬は勢いよく駆けたまま。常人離れした平衡感覚に身を任せ、あろうことか鞍の上で小刻みに足拍子を取って踊り始める。

これには根来者も少し驚いたらしい。銃の狙いを外し、新介の動きを両目で見つめている。

「自由! 自由かよ! 問おう、貴様が松山新介か!?」

新介は答えない。踊りの所作が大きくなっていく。両者の距離が更に詰まる。

再び銃の狙いを新介に合わせてきた。騎射の姿勢で不動の体幹、一厘もブレない射線。美しい。

今後は一呼吸で撃ってくる。――撃った。

直前に新介は飛んでいた。全身のバネと馬の勢いを使い、根来者の馬に向かって。

近距離、斜め上への跳躍。照準を合わせ続けるのは至難である。銃弾は新介の着物をかすめ――

新介は相手の馬に飛び乗り、根来者を背後から抱くかたちになっていた。

「捕まえた」

「吃驚! 松山新介、噂以上の自由者よな!」

「こちょこちょこちょ」

「ぶっ、むふふふ」

「フッフフ」

新介にわき腹をくすぐられ、腰が浮いたところに組み付かれ、二人そろって草っぱらへ転落。

転がる。湧き立つ草と土の匂い。着地の痛み、それ以上の興奮、からの間髪入れぬ新介の掌底。

 

気づけば根来者は大の字に。身体が指先まで痺れて動かない。愛銃は新介に見分されている。

「すごい腕だねえ。お前さんほどの鉄砲撃ちに会ったのは初めてだよ」

「口惜しいな! 口惜しいぞ!」

「三好家に仕返しできなくて、かい?」

「この津田自由斎が自由ぶりで後れを取った!」

「ほお。中身まで色男なんだねえ」

根来衆に津田氏という大物がいたことは新介も記憶している。津田の次代を担う男、というところか。

起き上がれない自由斎の脇に根来筒を置き、新介は自分の馬に乗って鯰江を追いかけていく。

 

新介の無事を見て鯰江が輝くように笑った。

「さっすが新ちゃんだ。やっつけてきたんだな」

「殺し合いなら負けていたかもしれんぜ」

三好家や懸賞金に執着している様子はなかった。自由に武を磨き、自由に成長していくことが本望の男なのだろう。ただ、今回は新介を捕らえるという役目の分だけ自由でなかったのだ。

陽が沈む。銀髪が朱に染まり、馬の脚に合わせてゆらゆらと揺れる。

久しぶりのヒリヒリするような戦いを経て、新介の中もまだ熱くたぎっていた。

 

 

続く