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短編小説「松山新介重治 一万貫の夢 5/5 三好長逸 うたかたを往く」 - 肝胆ブログ
短編小説「松山新介重治 一万貫の夢 あとがき」 - 肝胆ブログ
東播磨は四国の三好一族や摂津の池田氏、その配下で急速に存在感を増してきている荒木村重等々との音信も盛んである。陸路で摂津、海路で四国と繋がる要衝であり、三好長逸が潜伏するには好適と考えられた。
新介は播州清水寺や地元国人藤田氏等々と旧交を温めつつ、さりげなく情報を引き出している。
鯰江は、当初は新介の人脈の豊かさに感心したりしていたが、途中から飽きてしまって播磨の美味いものを食べることに専念している。彼の本分は力士であり、人探しよりも体重増量の方を優先してしまうのは仕方ないのかもしれない。この様子を秀吉が見たら鯰江の査定を下げるだろうと新介は想像した。
「長逸さんの身柄に一万貫を懸けたやつは天才だぜ」
「だろう?」
「ああ。一万貫っていう“夢”のある響きがいい。どんな奴でも人生一発逆転を考える」
敬う秀吉のことを褒められて鯰江が無邪気に喜んでいる。
世の情勢は三好方優位に進んでいた。播磨も摂津も足利・織田方は次々と陥落している。だが、新介が掴んだ諸将の生の感情は、「一万貫」に揺れているのが見て取れた。足利義昭はともかく、織田信長は銭のことで嘘をつかないという信用はある。一万貫、またはそれに匹敵する権益を得られることは疑いない。各地の国人衆だけでなく、荒木村重や阿波三好家の重臣層等、三好方の真ん中で一枚岩であるべき連中まで内心で天秤を見計らっている匂いがあるのだ。
――相思う仲さえ変わる世の習い――
新介の唇から歌が漏れた。
三好家と全面戦争をするには一万貫以上の銭がかかる。織田家にとってまず守るべきは濃尾であり、力は浅井家、朝倉家、長島一向一揆、次いで武田家の動向に備えねばならない。三好家の対応は最後。まして海を渡って淡路や四国へ遠征する余裕などあるはずもないのだ。それが、「一万貫の噂」であれば、無料で海を越えて広がり、今後の内応工作の布石にまでできてしまう。木下秀吉ならば、淡路や阿波・讃岐に手を伸ばしていくことを今のうちから見据えているのかもしれない。
「で、これからどうするんだい?」
「別所の一党が大事な“手がかり”を捕らえたらしい。そいつを確かめに行く」
東播磨の有力国人別所氏は、かつては三好家に従属していたが、三好家と同盟する浦上家への対抗もあって現在は足利・織田方に転じており、そのために三好方から動きを封じられている。「一発逆転」を望む一派がいても不思議ではない。
堅城で知られる三木城、その支城群のひとつ。
この界隈は丘陵地帯に加古川水系の支流が入り交じる地形で、本城である三木城はもとより、支城の選地や土塁等の造作も優れた防備力を誇る。
「この城は別所家重臣の三宅一族が受け持っていてな。ほら、戦でもないのに兵が見張ってるだろ」
「本当だあ。二、三十人はいそうだぞ。二人でこんなのどうすんだよ」
「この城の縄張りには穴があるんだ。川を遡って裏手に回るぜ」
「詳しいなあ」
「落としたことがあるからな」
三好長逸の指揮で新介たち荒武者が暴れまわり、三木城の支城をすべて陥落させたのはもう随分昔のことだ。それでも、その経緯があるからこそ、別所家は大っぴらに三好家へ反抗することを今も避けている。
城の裏手、巧妙に目隠しされている場所に、川から引いた水くみ場がある。離れた高台の木々のすき間から新介と鯰江が伺ってみたところ、三人の女が水をくみつつ、半裸で身体をぬぐっているのが見えた。
「女までいるってことは、世話が必要な“捕われ人”がいる訳だ。よしよし……ん、鯰さん?」
隣りの鯰江を見ると、ガチゴチに身体を強張らせ、女どもに目をくぎ付けにしている。
「い、いけねえよ……許しもねえのに女の裸を見ちゃいけねえ」
「…………お前さん、女も苦手だったのかい。ならちょうどいい、克服してきな」
新介が鯰江の背を勢いよく突き飛ばした。女のところへ一直線に斜面を転げ落ちていく。たちまち甲高い悲鳴が響いた。少しして、城から兵たちが駆け下りてくる。今のうちである。新介は鯰江が囮になってくれている間に城の周囲を更に回り、搦め手口からやすやすと本曲輪に潜入した。
「懐かしいなあ」
見張り二人を叩きのめし、槍を奪って進んでいく。あの頃は毎日がむやみに熱かった。褒められるのが嬉しくてしかたなかった。戻りたいとは思わないが、思い出すのは楽しい。年寄りの特権だ。
――ただ暇々求め遊び戯れん――
歌いながら、兵たちを槍の石突で一突きに気絶させていく。見渡したところ城に詰めているのは若い連中ばかりのようだ。堺の若侍、根来の自由斎、噂に踊らされるのは若者の特権なのかもしれない。
「きっといい思い出になろうよ〽」
もう一人。十人近くを打倒した頃には、残った連中は新介を遠巻きに囲むばかりでかかってこなくなった。弓矢を持っている者もいるが、飛んできた矢を何回か素手で掴んでみせると諦めたらしい。
「なんなんだジジィ。何者なんだよ」
「松山新介重治だ」
「ま、松山新介!」
ざわめきが広がる。“本物!?”“公方の兵を一人で五十三人も斬ったっていう”“バケモンかよ”“俺の親父、声かけてもらったことがあるって”、新介の武名は播磨では尾ひれがついている。
「ここに俺の友達が捕まってるって聞いたんでね。返してもらえるかい」
「は、はい!」
若兵たちの目が恐怖から憧れに変わっていた。この連中にしてみれば、「遠くの一万貫より近くの有名人」というところだろうか。
首尾よく目的の人物を取り返した。ようやく長逸に近づいてきたようだ。
続く