三重県の山深いところにある北畠神社・霧山城へ遂に行くことができまして、そこで拝見した北畠氏館跡庭園(伝:細川高国作庭)が見事すぎてかんたんしました。
おりしも季節は晩秋。
色づく紅葉が散り始めた景の中、
北畠氏の南北朝期・戦国期それぞれの晩秋、
最後の決戦に向かうべく身を寄せていた細川高国さんの晩秋が、
私のなかでオーバーラップして得も言われぬ感慨に浸ることができました。
歴史を趣味にしていてよかったと思うのはこういう時ですね。
ビジネスや実社会に歴史から得た教訓を活かすのもいいものですけど、現実をひと時忘れるために歴史に触れるのもいいものだと思います。
北畠神社。
大阪からでも名古屋からでも2時間はかかるかと思います。
行っただけの値打ちはありますので心して向かいましょう。
駐車場側から見た入口。
ここから左に行くと霧山城登山口、右に行くと北畠神社です。
森閑とした山里の中、椿のお出迎えがさっそく雅ですね。
この時期に咲く椿をわざわざ植えてくれているんでしょうか。
社殿。
南朝ガチ勢のご紹介。
こうして眺めてみると、全部は行ったことないなあ。
「花将軍」という呼び方、シンプルにして究極にセンスいいですよね。
北畠顕能さんの歌碑。
南北朝期を駆け抜けたお方ですが、歌に込められた思いは静謐です。
北畠一族や家臣、郎党、農民の戦死者を弔う留魂社。
どなた様の手によるものかは分かりませんが、地域に根差した気持ちのこもった、非常に尊い文章だと思います。
室町期の非常に早い段階から、北畠氏の館は石垣で演出されていたようです。
北畠氏ですもんね……いかにも納得感が高い。
そして、いよいよ北畠氏館跡庭園です。
絵にうつし 石をつくりし 海山を 後の世までも目かれずや見む
大物崩れにて三好元長さんに敗れた際、細川高国さんが北畠晴具さんに贈った辞世。
隣りの、本居宣長さん(そういえばこの辺の生まれだ)が北畠家臣だった祖先を偲んだ歌もいいものですね。
庭園は周遊式で、どこから見ても美しい。
一つひとつの石や木も素敵ですが、それ以上に庭園全体に満ちた野趣と雅の調和っぷりがすばらしいですね。
京的なものと鄙的なものが見事に溶け合っていて、北畠氏という意味でも細川高国さんという意味でも最高だわありがとうという気持ちがあふれて止まりません。
よくぞこんなお庭を遺してくれていたものだわ……。
北畠氏、細川高国さんのファンは絶対見に来た方がいいと思いますよ!
理屈抜きで、気持ちの面で彼らのことをもっと好きになります。
今回の写真は秋ですが、おそらく新緑の時期も雪の時期もさぞ美しかろうと想像できますし、私自身もまた訪れたいものであります。
さて、霧山城登山です。
時間配分的にはこれがメイン。
山歩きがまあまあ得意な私の足の場合、30分で本丸まで昇れました。休み休みでも片道1時間くらいで登れると思います。
登山道はこんな感じの土の道ですので、ストックや、登山口に置いてある竹杖を持っていくのがおすすめです。
ピカピカの靴で神社に来たついでに登る、はおすすめしません。
ちなみに鹿がいた形跡がたくさんあったので、たくさん生息してはるっぽいです。
途中二又になりますが、どっちに行っても大丈夫。
左に登ると鐘突堂跡(見晴らしの良い高台・南曲輪)経由で本丸へ、右のちょい下っている道へ行くと本丸直通です。
本丸直前の目印はこちら。
この「森林セラピー」看板から左に登ると本丸、右の開けたところが矢倉跡です。
本丸到着。
この方角看板がイケてます。
この城が何のために築かれたのが一目でわかりますね。
それにしても、東西南北どっちを向いても雲海たなびく山山山。
伊勢国の北畠氏って、東国に船で親房さんたちが出発(→難破)した印象が強いためか、もう少し海寄りのところを治めていたような先入観もあったのですけど、こうして現地に来てみると吉野や畿内への接続を強く意識しつつ防衛・潜伏に長けた選地であることがよく分かりますね。
いずれにせよ、私は視界に山があると安心するのでこういう土地は大好物です。
最後に、本丸近辺で赤く染まっていた紅葉。
この紅葉も庭園同様、野趣と雅がよく調和していると申しますか、人に見せるつもりなく生えている野生の紅葉の色づきが、都人の文化にフィットした美しさに感じ取れるって様が情趣深いですね。
この季節、有名なお山はどこも登山客でいっぱいですが、こちらの北畠神社・霧山城は朝早くいけば週末でも人がほとんどいませんでした。
南北朝大河ドラマなんかが発表されたら観光客が急増すること間違いなしですから、一人で静かに楽しめる間に行っておくといいんじゃないでしょうか。
ともあれ、
北畠一族や細川高国さんが安らかにお眠りいただいておりますように。