ちゃんと読んだことなかった孟子を読んでみまして、いわゆる性善説的な優しい世界の話が多いのかなという先入観を持っていたのですが実際は戦国時代にあって諸家の論争激しきなかで孔子の教えを保って再興の機をつくってという緊張感みなぎる契機の内容であることが分かりましてかんたんしました。
その上で、普遍性のある内容もしっかり見出し偉い人にまっすぐ語らっていただいているのがさすがですね。単に教訓だけを学ぶなら論語のほうが読みやすいと思いつつ、時代環境の中でなおぶれない良さという意味では孟子もいいなと感じました。
有名な人・内容ですので細かい解説は省略しまして、個人的に気に入った箇所の感想をいくつか。現代語訳ベースで引用・紹介します。
ちなみに孟母の話は出てきません。後世に付け加えられたエピソードなんですかね? 忠孝の教えを説きつつ孟子個人の父兄の話も出てきません。まあ教えに属人性がない方がいいのかもです。
取って燕の民が喜ぶというならお取りなさい。昔の聖賢でそのようにした人が、すなわち周の武王であります。もし取ったら燕の民が喜ばぬというなら、お取りなさいますな。昔の聖賢でそのようにした人が、すなわち周の文王であります。
こういう、顧客本位的な姿勢を王道と説く姿、いいですよね。
かりに今、国家が平穏無事として、それをよいことに楽しみにふけり怠惰遨遊したならば、これこそみずから災いを求めるものである。
孟子さんの説く王道、施政者にとっては耳に優しくないのがいいですね。
人々はみな人に忍びざるの心、すなわち人の難儀を見過ごしにできない心持ちがある。
いわゆる惻隠の心ですね。幼児が井戸に落ちようとしてたら誰でも助けるよねと。
仁者の態度は射術と似ている。弓を射る人は、自分の精神・姿勢を正しくして、しかるのちに矢を放つが、放った矢が当たらなくても、当たって自分に勝った相手を恨むことなく、当たらなかった自分に落ち度があったことを反省するだけである
これも自分に厳しい。ストイックさがいいですね。
この時代から弓道的な精神性があったんだなということも興味を引きますね。
いったい、上の者が好むことがあると、下の者は必ずそれに輪をかけてはなはだしくなるものです。たとえば、上に立つ君子の持ち前は風、下にいる小人の持ち前は草のようなもので、草は風が吹けば必ず倒れるものです。
孟子さんの組織観察力が冴え渡っています。常に上の者への諫言がキレてるだけに、天下を望む英邁な方と出会いたいんだろうな感も引き立ちますね。
定職のない者は、恒心がなく心がぐらつくものです。もし恒心がなければ、どんなわがままかってや悪事でもやりかねません。人民をそのようなはめに追い込んでおいて、罪を犯したからといって、当然のこととして刑罰を加えるのは、いわば人民を網に掛けるというものです。
いわゆる恒産なくして恒心なしですが、それを自己責任論にせず政治責任とみなして王様に直言しているのがイケメンです。
人が軽々しく物を言うのは、責任感がないからだ
人の通弊とするところは、好き好んで人の師となろうとすることだ
ごもっともです……。
心の徳はみずから求めれば得られるが、ほっておけば失ってしまう
性善説を説きつつ、そのことを絶対不変とはおっしゃっていない。この辺に性悪説との交点を指摘する人もいますよね。
元来なそうとせぬことをせず、欲しようとせぬことを欲せぬ、君子の道はそれだけのことである
この内観の極みのような姿勢は、老荘や禅にも通ずるところがありそうです。賢人の共通姿勢かもしれません。
ただ禄を与えておくだけで親愛しないのは、豚として扱うようなものだ。また、愛しても敬意を持たないのは、犬や馬のごとき獣を飼うのと同じである。
これも表現はきつめですが、見過ごせない感性ですね。
この他、あえて引用はしませんが、原始社会主義みたいな他学派の言説にめっちゃ強く反論していたり、弟子の(まあまあぶっ込む)質問にもかなり厳し目に返していたりと、この時代独特の「気を抜くとすべてを失う」感が豊富です。そんな中にあって、王や諸家に耳障りのいいことを言わず、上述の厳しいストイックな王道を説いて回る姿は、確かに厚いリスペクトに値しそうです。
孟子は法制度の整っていることを批判はしておらず、それよりも徳治で治まっているのがなお良いと言っている印象です。それはハードローよりソフトロー、ルールベースコンプラよりもプリンシプルベースコンプラのメリットに共通する感覚かもです。
なにもかもが施政者の王道の是非によるとは言いませんが、施政者本人はそのような矜持を持っておいていただきたいですね。
なにはともあれ現代社会も諸家の良いところを活かしてよりよい方向へ向かっていきますように。

































































