肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「冬の鷹 感想 働く社会人や引退した社会人におすすめ」吉村昭さん(新潮文庫)

 

解体新書訳出の過程を描いた吉村昭さんの「冬の鷹」を読みまして、前野良沢さんと杉田玄白さんの対比がまるで研究者とビジネスパーソンとの対比のようで非常にリアリティ深く、しみじみかんたんしました。

主人公は前野良沢さんなので構成は前野良沢さん寄りではあるのですが、杉田玄白さんが嫌な風に書かれているかというと個人的にはそこまでの印象は抱かず、どちらも立派で必要な人物だったように映ります。それでいて、得られた名声や富は両者間に圧倒的な格差がありますので、そういうところがまさに世の中だよなあと。

 

あと、吉村昭さんの地元である日暮里界隈の描写が良すぎて、そのパートだけ優れた紀行文みたいになっているのにもかんたんしました笑

(描写は引用しません)

 

www.shinchosha.co.jp

 

 

わずかな手掛りをもとに、苦心惨憺、殆んど独力で訳出した「解体新書」だが、訳者前野良沢の名は記されなかった。出版に尽力した実務肌の相棒杉田玄白が世間の名声を博するのとは対照的に、彼は終始地道な訳業に専心、孤高の晩年を貫いて巷に窮死する。わが国近代医学の礎を築いた画期的偉業、「解体新書」成立の過程を克明に再現し、両者の劇的相剋を浮彫りにする感動の歴史長編。

 

 

あらためて。

語学や翻訳って本当に難しいですね。

前野良沢さんがオランダ語を学ぶ過程、解体新書を翻訳する過程の苦心がめちゃくちゃ伝わってきますので、各言語の教材や学習方法が充実している現代のありがたさを痛感するばかりです。

 

 

本全体の感想は冒頭に書きましたので、以下、特に気に入った描写をいくつか。

 

 

或る日、全沢は良沢に、

「世の中にはすたれかけている芸能が数多くある。が、人というものはそれを見捨ててはならぬ。大切にとりあつかって、後の世につたえるようにしなければならぬものだ。それと同じように、人がかえりみぬものに眼を向け、それを深くきわめることにつよめよ。よいな、人としてこの世に生をうけたかぎり、そうしたことに身をささげねばならぬ」と、言った。

 

芸能を例えに、医学の世界にも未開拓の分野が数限りなくあることを教えてくれる伯父。マイナー趣味の人間にも勇気を与えてくれる名言です。

 

 

いつの間にか良沢は、デキショナールに強い関心をいだくようになっていた。楢林栄左衛門の言によると、それはABCの順序で配列された一冊の書物になっているという。

 

辞書が人類の英知の結晶であることを実感させてくれます。重い重いとぼやく子どもを見たら江戸人や明治人が欲しくても手に入らなかったものなんやでと言ってあげましょう。響かないと思いますが。

 

 

梅雨の季節をむかえたが、雨の降る気配はなく、晴天の日がつづいた。そして、暑熱が江戸の町々をおおった頃になっても雨は降らない。空には、雲の湧くこともなくまばゆい夏の烈日が瓦をやき、土に亀裂を生じさせていた。

 

何気ない地の文による時候描写ですが、吉村昭さんなので可能な限り当時の気候を調べ上げて描いてはるんだろうなあという信頼感がありますね。

 

 

良沢たちは、老人の説明にうなずくこともせず、妙な文字のしるされている書物と見くらべながら、眼を光らせてささやき合っている。そして、かれらの口からは、

「いささかも違いませぬな」

という感嘆したような声がしきりにもれていた。

 

有名な、腑分けとターヘル・アナトミアとを見比べるシーン。

腑分けする老人が良沢さんや玄白さんの様子に畏敬の念を抱き始める描写が好き。

 

 

不意に、玄白が足を止めた。

「いかがでござろう。ぜひおきき下され」

玄白の眼が、良沢と淳庵に据えられた。

良沢たちは、立ち止った。

「いかがでござろうか。このターヘル・アナトミアをわが国の言葉に翻訳してみようではありませぬか。もしもその一部でも翻訳することができ得ましたならば、人体の内部や外部のことがあきらかになり、医学の治療の上にはかり知れない益となります。オランダ語をわが国の言語に翻訳することは、むろん至難のわざにちがいありませぬ。しかし、なんとかして通詞などの手もかりず、医家であるわれらの手で読解してみようではござらぬか」

 

一同の運命が変わった瞬間。

実際の翻訳は前野良沢さんの手によるものなれど、発案、進捗管理、関係者の人間関係調整、出版、幕府等との折衝等、プロジェクトマネジメントの一切合切は杉田玄白さんによる尽力が大。小説全体を通してこの点は克明に描写されていて、その後の富や名声の格差にも直結している訳でして、働く社会人であれば肌感覚に刺激がビシビシきます。

誰一人かけてもプロジェクトは実現しないんだけどもやっぱり言い出しっぺって大事ですし、プロジェクトマネージャーがいないと実現もなかなかしないんですよね。

 

 

「それならば尚更のことです。源内殿に参加して下さるよう懇請すべきです」

「それは不同意です」

「なぜでござります」

淳庵が、驚いたように玄白の顔を見つめた。

「第一に、私は、源内殿のオランダ語の知識を信用いたしておりませぬ」

玄白の冷ややかな声に、淳案は呆れたように口をつぐんだ。

 

かつて世話になった平賀源内を翻訳事業に加えるか否か。

前野良沢さんの知らないところで、プロジェクト人事を冷静に手掛けている杉田玄白さん。平賀源内さんは移り気で翻訳みたいな地道な作業は無理、と。

後に高山彦九郎さんも登場するのですが、同時代のゆかりある奇才が出てくるのもこの小説の面白さを膨らませています。

 

 

完全主義者である良沢が、「解体新書」の不十分な翻訳に不満をいだいていて、それが自分の氏名の掲載を固辞した原因だということも察していた。

「愚しいことだ」

玄白は、腹立たしげにつぶやいた。

良沢を満足させるような翻訳をはたすには、さらに長い歳月を必要とするだろう。それよりも、たとえ不備な点は少々あっても「解体新書」を一日も早く世に出して、医家たちに利益をあたえるのが自分たちの社会的義務だと思った。

 

翻訳成るも、出版を望む玄白さんと出版を嫌がる良沢さん。

二人の対比がいよいよ鮮やかになってまいります。

 

 

良沢は、幸左衛門の序文が、多くの序文と同じように実のない儀礼に堕したものに感じられて不快だった。そして、その序文を涙をながし喜んでいる玄白を滑稽にも思った。学業には、このような虚礼は必要ない、とかれは胸の中でつぶやいた。

 

良沢さんの描写の中でも特に好きなシーンです。

長崎出島のオランダ語通詞から解体新書を称える序文をもらったものの、数日間で読み込んで褒めれる訳ないだろと冷めた気持ちになる良沢さん。

この厳しすぎる姿勢、人づきあいなどまったく考慮しない一徹ぶりが大きな成果を生み、一方で晩年の困窮を招く。

杉田玄白さんのようなハイバランスの人材にも我々は憧れますし、前野良沢さんのような不器用な偉才にも我々は敬意を抱くものですね。

 

 

「人の死は、その人間がどのように生きたかをしめす結果だ。どのように死をむかえたかをみれば、その人間の生き方がわかる」

良沢は、そこで言葉をきると、杯をゆったりと口にはこんだ。

 

平賀源内さんの死にコメントする良沢さん。

この良沢さんのコメントを描写しておいた上で、この小説のラストを前野良沢さんと杉田玄白さん二人の死に様対比描写で締めくくるのすごすぎると思う。

 

 

 

等々。

 

翻訳と医学とを題材にした小説ながら、社会人的には実感あふれる描写の数々で、働く人や引退した人にとって共感するところも多いですし世の中の厳しさに震えるところも多いと思います。現代にも通じる視点や要素がふんだんで。

戦死したり沈没したり漂流したり岩から熱湯が吹き出したり羆に襲われたりしないだけ、吉村昭作品のなかでは比較的おだやかな気持ちで読み進めやすいですよ。

 

 

人一人ひとりが異なる才能や性格を有している中、熱意で結びつけられたチームが大きな仕事を成し遂げ、再び一人ひとりになってそれぞれの晩年を過ごしていく。

そんな変わらぬ人の営みを、私も皆々様も送っていくことができますように。