肝胆ブログ

かんたんにかんたんします。

「中世ヨーロッパの城の生活 感想 想像力を補強してくれるよい資料」ジョゼフ・ギース&フランシス・ギース / 訳:栗原泉(講談社学術文庫)

 

中世ヨーロッパにおけるお城の暮らしをまとめた文庫本を目にしまして、読んでみたら思った以上に中世城主の日々の暮らしや仕事や特性など記述が多種多方面に及んでいてかんたんしました。

中世ヨーロッパといえばファンタジー的世界を想像するときの土台になることも多い舞台ですから、こういう本で想像力を補強できると楽しいんじゃないでしょうか。創作をする人が手元に資料として置いておいたり。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

 

↑ オフィシャルHPの画像を原寸大で引用しました。

城壁のテクスチャーまでよく分かりますね。

初代スーパーマリオクッパ城も思い返せば中世ヨーロッパ城モチーフだったような。

 

 

牢固とまた堂々と風格を漂わせ、聳(そび)える城。西欧中世、要塞のような城が陸続と建造されていった。城作りはいついかなる理由で始まったのだろうか。城の内外ではどのような生活が営まれていたのだろうか。ウェールズ東南端の古城チェプストー城を例に挙げ、年代記、裁判記録、家計簿など豊富な資料を駆使し、中世の人々の生活実態と「中世」の全体像を描き出す。

 

まえがき――チェプストー城
第1章 城、海を渡る
第2章 城のあるじ
第3章 住まいとしての城
第4章 城の奥方
第5章 城の切り盛り
第6章 城の1日
第7章 狩猟
第8章 村人たち
第9章 騎士
第10章 戦時の城
第11章 城の1年
第12章 城の衰退

 

 

目次の通り、イギリスにある「チェプストー城」というお城を主な題材に、中世イギリスの各種戦争や政変に少し言及しながら、チェプストー城主たちの暮らしや家計や行事、また、中世城郭の興廃について紹介してくださる構成になっています。

 

防御施設として建築された城が、やがて住まいとして暮らしやすさ・快適性も重視されるようになり、軍事や政治の変化もあって貴族はより暮らしやすくて快適な宮殿に居を移していく……という時代の変遷にしみじみ。

まったく一緒ではないにせよ、日本の中世~近世における武士の暮らしの移り変わりに似た要素も感じて、人間の感性や判断のユニーバサリティに思いが至るようでもあります。

 

 

いくつか印象的だった描写をご紹介。

 

土地こそが領主権の基盤をなしていた。領地で暮らし、領地によって生計を立て、領地のために生きる日々が、領主の人となりを左右したのは疑うべくもない。領主は土地から収入を得、農地以外の土地は猟場にした。

もちろん領主は政治には関心を寄せた。しかし、ほとんどの場合、領主が政治に関心を寄せたのは、政治が領地の経済状態を左右したからであった。

 

イグサはときどき取り換え、床も掃除をされた。エラスムスによれば、イグサの下には「昔からのビールや油の沁み、得体の知れない何かのかけら、骨、唾、イヌやネコの糞といった具合に、ありとあらゆる不潔なものがあつまっていた」。当時の城の床がこのようなありさまだったのは間違いないだろう。

 

毛織布や亜麻布を染めた当時の壁掛けは、十四世紀に入るとタペストリーへと進化を遂げていく。しかし当時は装飾というだけでなく、隙間風を防ぐ大事な役目も負っていた。

 

荘園管理には手紙の書き方や法的手続きをはじめとして、書類の準備や経理などの知識が求められたから、家令になるには特別な訓練が欠かせなかった。ヘンリー三世の治世の初め頃から、オクスフォードの町の教師たちが荘園管理の講座を定期的に開くようになり、領主にやとわれて実地奉公をはじめる機会に恵まれた青年たちを六ヵ月から一年間ほどかけて訓練したようである。

 

皿は一枚を二人で使う

 

中世ヨーロッパで最も広く人々の情熱を駆り立てた狩猟といえばタカ狩りである。

城の中庭になくてはならない建物のひとつにタカ部屋がある。

 

森林地域は莫大な価値のある天然資源だったから、誰もが森を欲しがり、森の防衛に努めたし、また森をめぐる争いも絶えなかった。狩猟を好んだウィリアム征服王はイングランドの森林を自分が使うために保護しようとして、フランスから「森林法」を持ち込んでいる。

 

密猟者に同情を覚える人も多かったようだ。森林裁判所の巻き物には、村人たちが「何も知りません」、「誰だかわかりません」、「疑わしい者はおりません」と証言したと、繰り返し記録されている。

森の役人たちは憎悪の対象だったのだ。

 

実入りの少ない平和時に、騎士に残されていた行動と収入の道はただひとつ、武芸試合である。

 

聖ミカエル祭は冬の始まりとされただけでなく、城の会計年度の始まりでもあった。

 

城の暮らしの中心であった大広間は、こうした邸宅の出現で変化をせまられることになる。プライバシーが求められ、城主一家専用の食堂や個室が増えていくにつれて、中世を通してより広く、より凝った作りに成長しつづけた大広間の重要性が失われていったのである。十三世紀の大広間は、十七世紀にはとうとう召し使いたちのたまり部屋になっていった。

 

 

等々。

 

興味ある方はぜひ手に取って詳しい描写を読んでみてくださいまし。

 

 

日本史世界史のかわりなく、歴史から人間のありようを学び、歴史にリスペクトを抱くような機会がこれからもふんだんにもたらされますように。